チャンスの神様には前髪しかない

 

出世のチャンスが目の前に来た時、考え込んではならない。

チャンスの神さまには、前髪しかない。

そんな言葉を聞いたことがある。

 

「今日からおまえは鬼だ」

 

作家の瀬戸内寂聴氏が、

子を捨て夫を捨て飛び込んだ愛人とも別れ、

心身共にまいった日、実家へ戻ったら、

実父にそう吐き捨てられた、と自伝にあります。

 

「世間はおまえのような者を鬼と呼ぶ。おまえは鬼だ」

 

荷物をとかしてもくれず、落ち込んだまま出ていこうとする娘に、

「鬼なら鬼でいい。とことん鬼で生きれ」

情を叩き切った鬼が親をのこのこと訪ねてくるものではない、と

翌日お父様は他界された。

 

チャンスの前髪が私の目の前にも置かれたことがあった。

 

「寂聴庵」へ行け、と師匠から命令があった。

 

蒸発・もしくは出奔

それくらいの心意気で現実から離れよ、と

そうすれば、たぶんあなたもやがてはプロになれる、と

そして師匠はアメリカへ旅立っていった。

電話は入れといたから、あとはあなた次第

 

急な話に気が動転もしたが、

したたかさが足りない私は中途半端にホテルに一週間滞在をし、

カンヅメというものを体験し、そこで物語を書いた。

 

まだ幼い子供がいる。

伴侶に預けて、次のステップへの道として挑んだ。

とても師匠の声かけには及ばない小ちゃな意気込みだったが

一週間のホテル予約さえ無駄にして、子供会いたさに

3日2晩で書いた物語はほぼあらすじみたいなものだった。

 

そこでいったん文筆業への夢は諦めた。

二の足を踏んだ私に、

師匠の申し出に乗り切れなかった私に、

チャンスの神様には確かに後ろ髪はなかった。

 

本気で出奔や出家をさせたいわけではなく

一度は死ぬ気で頑張れ、本気でそのものだけを取りに行け

鬼になれ、と当時は誰もがわかっていたと思うが・・・

 

師匠も寂聴さんも天国へ帰っていかれた。

私はまだこの時に及んでも

あれもこれも器用にこなそうといる。

 

一流の人は

チャンスの神様の前髪をしっかりとらえる人なのだろうと思う。

その時、鬼と呼ばれようと

失った何かで、のちに苦しもうとも、一流の何かを残している。

 

カンヅメしなくても

誰も書くことを止めることもないコロナ禍でのステイ・ホーム中

あの時のように夕鶴のような羽を抜き取り織るような刹那はなく

 

やはり試験前の部屋掃除のようなわがままだったなら

あの選択で良かったのだと思っている。

 

子供、子供とどうも私は子供離れが下手らしい。

自由に今度こそ何もかも忘れて書けばよいものを

今も子供のことにばかり気がいってしまう。 

 

想像の世界へ飛び立つのも訓練が必要

師匠は、あの時、その訓練期間、修業期間を企画して下さったのだと

今なら十分わかるのだが、

いかにせん、チャンスの神様には前髪しかない。

 

 

臆病者は臆病者のやり方でいくしかないか、と

まずは末っ子のところへ行くかな、それを果たしながら

書いていたものを少しづつ出して悔いをひとつづつなだめていく。

 

これが終活というものか。

いくらなんでも気が早い。

ステイ・ホームが長すぎたせいで、慎重さと前倒しの癖とが

ますます強くなってしまった。

 

誰か背中をぽんと押してください、と

今日も神様、夢で教えてください、と

地団太を踏む日の長いこと・・・ 

 

 

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