1 初めに、ことばがあった。

  ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

2 この方は、初めに神とともにおられた。

3 すべてのものは、この方によって造られた。

  造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

                  (ヨハネの福音書1章)

 

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三位一体の神・イエス・キリストはことばとして来られた、とある箇所です。

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イエス様は、三位一体の神・御父を知らせるために来られ、

三位一体の聖霊なる神はイエス様を証しする霊である、と聖書は語ります。

神は光ですから闇は、神と同在することはできません。

消えてしまいます。

不思議な説明ですが、これを説き明かすのがことばであり、

ことばを吸収させて下さるのが聖なる霊。

聖霊が働かないところで聖書の言葉を正論として相手へぶつけても

愛のない説教はうるさいシンバルのようだ、と聖書は語ります。

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緩和ケア病棟で

すべてのケアを拒否する呼吸器疾患の患者さんがいた。

動くと辛い。

頼むから何もしないでくれ

それでも説得してお風呂へ誘いだそうものなら

おまえらは俺の寿命を奪い取るどろぼうだ、と喘ぎながら力を振り絞って

罵って、自分を守ろうとする。

スタッフに頼まれて部屋へ行った。

患者さんの睨みつける怒り

部屋中にただよう限界がある臭気のはざまで途方に暮れているスタッフ、

その対立するような立ち位置にちょうど壁に掲げられたことばがあった。

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「 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 」 

                詩編23-1

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「ごめんなさいね、本当にすみません」 

と痰を取る許可を得て処置をしたあと、

「OOさん、ここにはどろぼうは一人もいないですよ。

みんなOOさんの助けになろうと思っています。

奪うつもりで働いているなら、

神様のバチが当たってここに立っておられる人は一人もいないです」

壁の言葉を指さしながら、少し息が楽になってであろう患者さんへ

「どろぼう、どろぼうだ、おまえらは」

と、絶望的な空気の漂う中、

こういう病院だと承知で入院されていたとしてもご法度のようなことを

気が付けば言ってしまっていた。

思わず、私はクビ! と自分を指さし口に手がいき、首に手がいき・・・

目を閉じている患者さんへ

「申し訳ございません」

と頭を下げ、すごすごと部屋を出た。

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「風呂、入るよ」

患者さんからスタッフがナースコールを受けたのは10分後

あっという間に準備が始まって、

あっという間に室内が掃除された。

ふろ場からベッドごときれいになって患者さんが戻った部屋は

主が出た後、

すぐに窓全開、大型扇風機が換気をし

プロの動きは無駄がなく、壁まできれいに拭かれたあとは

大好きだと主が言っておられた珈琲が淹れたての香りで待っていた。

髭もそられ、すっかりよそ行きの表情はとても清々しく笑って余裕があった。

ベッドが定位置へ戻ろうとした時、

あの歌のほうへ連れて行ってくれ、と

広間はベッドや車いすや椅子に座る患者さんでいっぱいだったが

そこで珈琲を一口すすり、

ピアノやバイオリンの旋律と共に聞こえる讃美歌のことばを真似て歌い

10分もいなかったが

部屋へ戻ると

「主は私の羊飼い」

僕の羊飼いは・・・神様ということだな

と、もう一度痰を吸引しようと近づいたらポツリとおっしゃった。

思わず涙がこぼれて

「なかなかわかろうと思ってもわからない方も多いんですよ」

と言うと、

「ほら、こっちはゆとりがないから」

と、やってくれと指を動かし

ありがとうね、と涙をこぼされた。

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車いすで午後2時から広間で過ごされる日が多くなった。

そのたび、あの数秒の悟りの瞬間をその方は奇跡だったと語って下さった。

きれいな尊厳に満ちた旅立ちのお顔を覚えている。

お孫さんが

おじいちゃん、かっこいいな。

俺、仕事、将来、病院で働きたいな。

おじいちゃん、ありがとう。俺、そうする、そうするよ

と、泣きながらもまっすぐ立って、親にとも祖父にも

静かに立ち働くスタッフにとも聞こえるように報告するように話しておられた。

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受験したことを報告下さり

合格したことも親御さん(患者さんの娘さん)と共に伝えに来てくださった。

奇跡はリレーする。

ことばは神なのだと何度も思いました。