月別:2020年04月
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。

私はそれであなたのおきてを学びました。

       (詩編119章ー71)

 

救急室のベットで呼吸の限界の恐怖で凍り付いた時のことを

まだ自立していない子どもたちを置いて息が終わることの恐怖を今でも覚えている。

 

「だれか助けてください。誰か私を助けてください」

 

聖書を読んだことのない、教会へ行く機会もなかった私は本当に助けられた。

 

主治医は優秀で

全力で

遅くまで帰らずに椅子から転げ落ちそうになり寝落ちしていたのも覚えている。

 

子どもたち一人ひとりの表情も覚えている。

 

生き抜く力を背中で示すはずの親が

まったく見本になれないヘタレの極み。

 

もう何の手立てもなく

余力もなく

この子らへの責任を果たさせてください。

 

吐けない息のはざまで懇願した。

 

先生のたった一人の患者の前で全力投球する神業はもう申し訳ない。

 

子だくさんで家へ帰してあげたいし、

外来患者は列をつくる超人気ドクター、明日も外来があるし、

時間はいくらあっても足りない逸材だと十分理解しているし、

 

それなのに

先生の全力を私はもう使うのが怖い・・・

 

生身の人には限界があるのは自分も知っている。

 

もう誰か、誰か、誰か助けて、先生も助けて下さい。

 

「誰か助けてください。誰か私を助けてください」

 

渇ききった呼吸を諦めた刹那

「あなたにはできない。わたしがした。あなたにはできない」

 

***

 

十字架を見てしまったのです。

 

ああ、神様だとすうと意識がそのあと遠のきました。

 

どれだけわたしがあがいても

先生がどれだけ優秀で全力を捧げても

子どもたちがどれだけどん底に落とされ生活困窮者の道を辿ろうとも

もう意識はなくなりました。

 

「死」

 

いのちの極限から蘇ったあと、

主治医の先生へ子供たちへ長い歳月をかけて、

あの時の意味をこうして書かせて頂いております。

 

子どもたちは読んでいない記事ですが

恩人の先生へはご案内させて頂いており

当時、このような説明ができるわけもなく

歳月がたって、この時に読んでいただいている「時」を感謝しています。

 

***

 

「あなたが負けたらわたしたちも負けた気がする」

「僕もおんなじだよ」

 

***

 s

どこかへ属する宗教とも違う。

 

経験したことを、聖書で、説き明かされる日々をそのあと過ごし

今があります。

 

ひとり私のふところに残されたハンディのある子が、自粛生活の続く中

「馬がにほん、あるね」

と換気するために大きく開けた窓際で二人でソファにくつろいでいると、

空を見ながらポツンと言った。

 

日本?

ちがう2本

馬が2本?

なんというのかわからないけれど、

と、一本は子供は故郷の名前をいい、

一本はここにあるのだと言う。

 

ここってここ?

と聞くと、東京と言う。

 

***

 

にこにこと笑いながらプーさんを抱っこして寝室へいった。

 

寝た後に記事を書いている。

 

とても不思議である。

 

聖書を自力で読むことがこの子はできない。

 

ただ昼間のテレワークの電話のあと

「かわいそうだ」

と真顔で他者のことを心配している顔はとてもハンディのある子には見えない。

 

三、四と続く予定の記事を今日は逸れて

忘れないように書き残しています。

 

写真はほとんどこの子が撮ったものですが、

この写真もCCUから一般病棟へ移った日に子供が中庭で撮った写真です。

 

今日も祈ります。

 

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  • 祈り
血潮が流された 2カ所目

67 そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、

   また、他の者たちは、イエスを平手で打って、

68 こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。」 

          (マタイ26章)

 

イエス様がオリーブ山で血の汗を流して祈られた時、「思い」は、

罪のない贖いの子羊へいよいよ人の罪が転写されていきます。

 

レビ記のなかで、傷のない贖いの動物へ大祭司が手を置きます。

 

そして自身の人間という罪を転写し、

祈りの至聖所へ向かっていきますが、

罪が残っていると死にます。

 

ふさについていた鈴が鳴ると、急いでその祭司を引き出し、

次がまた新しい傷のない罪の贖いのための動物へ手を置き祈り

入っていくのです。

 

***

 

イエス様は、その犠牲の子羊としての役割を始められました。

 

同時に覚えてほしいのは

この方は大祭司としてのお役目を果たしていくということです。

 

ナザレのイエス様は罪がありません。

 

聖霊によって女のすえとしてお生まれになった方が蛇の頭を砕くという

聖書の言葉通り、処女マリアによってお生まれになったことは

大抵の方が知っていると思います。

 

私たちは男のすえです。

 

精子によって生まれた正真正銘の人間同士の受精卵のすえ。

 

***

 

ヨセフというマリアの許嫁が育ての父親ということに人の考えは及んでいきますが

イエス様の系図はダビデ王の系図、ヨセフの家系図が辿られます。

 

書いていても鳥肌が立っていきます。

 

壮大な神様の業、繊細な組み合わせ、すべて摂理があり、

どこにも矛盾がありません。

 

ことばですべて説明されて聖書におさめられています。

 

***

 

大祭司であることも

罪のない贖いの子羊として人類の罪を贖うことも

 

***

 

人は人類初のアダムによって罪が入りました。

 

どんなに聖人君子の人であっても自分が十字架にかかる

私が負う

と名乗り出ても、人には大祭司の罪を取り除くことはできません。

 

神は永遠のいのちという新創造へ、人を移して下さろうとしています。

 

そこは聖なるところ

闇は光に勝てませんから

気持ちで存在できるところではないのです。

 

イエス様のお名前は数字では888

 

ねじった丸がふたつに見えます。

 

狭い道を通って上の丸へ移行させる。

 

狭い道が、「わたしが道だ」という道です。

 

イエス様のお体しか罪の転写をみることができない。

 

ウイルスや菌が手洗いで消えずに残って顔や他者へと広がっていく

のがブラックライトでわかる液体がありますが、それを想像してみてください。

 

と人の罪が転写されました。

 

これが名乗り出た普通の人だともともとあるので、はっきりと区別がつかず

ただカオスです。

 

ナザレのイエス様ご自身がご自身の上に手を置く

2人を証しの数、というのは書いた記憶があるので

 

***

 

7つは完成・成就の意味

2カ所目、顔をこぶしで殴られたら血が流れます。

 

顔は、プライド、恥を象徴します。

 

顔が殴られ人類への贖いの代価である血が流れました。

 

「死と復活」

 

十字架に預かる者のプライドや恥は人の中にあって死に渡され、神の聖なる領域、すなわち永遠の命の領域で復活する。

 

死んで三日目に蘇られたイエス様は

黄泉にまで下り、天に上られ

御父はその流された血のあとを見て満足されたとなる、プロセスが、

二カ所目を通りました。

 

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  • 聖書
不思議な夢

不思議な夢をみました。

 

大きな雲が二つ重なるように垂れこむようにどんどん迫ってきて

部屋にいた人たちへ逃げて、と叫んだが

それは満ちてしまって

被った雲の正体を見極めようと目を凝らし続けていると

姿がはっきり見えてきた。

 

いくつかを見たがどれも同じ姿ではなく

気を失いそうなほどの恐怖に襲われ

しばらくすると

見覚えのある祭司が数名入ってきて

自分も白い着物を羽織って加わった。

 

子どもたちや亡くなった母親がさわやかな笑顔で嬉しそうに

私を招いていた。

 

久しぶりな子供たちに、

「元気そうだね。いきいきとしているね」

といい、

母の嬉しそうな顔に緊張しながら頷いてみせた。

 

***

 

今朝は非常に具合いが悪い。

 

子供と二人だけの自宅で過ごす生活も2か月はゆうに過ぎた。

 

洗礼を受けたあと、もう何年も心の奥が不安を覚えたことはなく

洗礼前は怖いことは当たり前に多く感じたのですが、

洗礼後の歳月は心の奥が凪だったというか、波立ったことがない。

 

***

 

ところが夢のあと、今日は五臓六腑に恐れがついたような

これまで経験したことのない畏怖に包まれている。

 

「とりなしてがいない」

 

聖書にある言葉だが、ここにおります、主よ!

と調子よく、つい昨日まで祈っていたのですが、

今日は頭がまわらず、違和感がいっぱい。

 

***

 

神様はおられる。

 

祈りはほとんど叶えられてきたと思う。

 

自分の事より他者のことをその方の痛みのままに祈ると

ほぼ叶えられた。

 

お金が数分で与えられた人もいる。

 

病気が治った人もいる。

 

奇跡としか思えないようなことは何度も経験した。

 

自分は祈りてだと自負もあった。

 

***

 

人は悪魔ではない、と聖書にあります。

 

その人の心の思いが呼び寄せそれを行わせる。

 

前回、一回目の血潮、額(思い・思考)を少し書いたが

完成の7回の血潮の意味を書くのを休んでいるのも気が引けている。

 

遅くなるようにみえても間に合わないことはない、とも聖書にあります。

 

私の夢に出てきた祭司の顔。

 

役に立たない者だけにはなりたくない。

 

恐れるな、たじろぐな、虫けらのヤコブ、わたしはあなたの神である。

 

***

 

「時」

がきたのに、一心に祈ろうとするのにまだ何かが邪魔をする。

 

ふたりあるいは三人以上の者でわたしの名で祈るならばなんでもそれを叶えようと神が語っておられる。

 

子供は今を仕方ない、とはっきり言う。

 

まっすぐブレずにいつも一緒に祈ろうとする。

 

この子は障害がある。

 

天使だとなんども思ってきたが、

夢の中でこの子は一緒にいた。

 

守らなければ、と感染予防に倒れるわけにはいかないと気を張ってきたが

今日のこの時のために、わたしたちはいたのだと思う。

 

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」

わが父、わが父、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。

 

アラム語を研究しているのだとここへコメントを下さった兄弟が

「わたし、このわたしは、このときのためにあった」

という訳を説明書き送って下さったことがある。

 

わたしは在る、という名の神様。

 

十字架上の神の業を知るには十分なことばだと私は鳥肌が立った。

 

私たちはあなたの似姿まで練られ育てられます。

 

復活の姿は、イエス様がなされたことを書き記すなら、この世には入りきれない

というほど、救われた人の数は多く、神に似せられて造られた人の数はおびただしい。

 

いつでもどこでも祈れる時代

感謝して今日も祈る。

 

***

 

ひとりは階下へ荷を取りに戻り、ひとりはそのまま喜んでついていく

戻るのは魂という殻へ戻ることをいい、

喜んでついていくのは聖霊なる神の招きにそのまま従うこと

と教会で教えていただいた。

 

もちろん後者以外を思ったことはない。

 

魂の殻が破れて神の霊が溢れた喜び以上の至福はない。

 

自分のちっぽけなやり方など、どれも思い出したくない悔いばかり。

 

謝り続けても足りない魂のままだった頃の人生の足跡。

 

どれも自分でいくら謝って悔いても過去は戻らない。

 

ところが殻が割れたところから過去さえも踏みなおして下さる主がおられた。

 

神の子の血潮の贖いの力は時空間も越え自在、無限大。

 

だからのうのうと今、自分はこうして生きておれるのだと何度も思います。

 

誰彼の力で弁償できるほど、誰彼の一人の人間の力で人の人生は救えない。

 

人はいつも知らずに存在だけで他者を傷つけることがある。

 

そういうことさえ、神を見てしまったら、

膝まづいて祈る人にかえられていくのだと、私は思います。

 

「とりなしてはここにおります。お使いください、主よ」

 

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りんごとオレンジのカット保存

りんごと柑橘類をカットしてタッパーに保存。

 

カットしたフルーツを夕食とセットで家族へ食べてもらっています。

 

長いこと続けていますが、

食べ続けてきたおかげか風邪をめったにひかなくなりました。

 

2、3日でなくなりますが、買い物もちょうどその頻度なので

どのメニューの時でもみかんとりんごは購入。

 

小さなお子さんや頑張ってもらいたいお父さんへの

感染予防対策の一つになれば、と

紹介してみました。

 

みかんもカットします。

 

剥くのが面倒で目の前のビタミンCを食べていない、ということがないよう

まるでお宿の食事のように必ず器に乗せて一人づつへ、

習慣づいてくると毎回用意するより楽な気がします。

 

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