7つの血潮 十字架上の贖いの成就  1額の血潮

7は完成・完了・成就の意味をもつ。

 

神の子の血潮が流された順序

 

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42「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

43すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。

44イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

        (ルカ22章)

 

42イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」

43イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。

44イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。

        (マタイ26章)

 

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十字架へとむかう道

神の子の血潮が最初に流された場所は額、思考を象徴する場所。

 

「思い、善悪の木の実を人類が食べた初めに起こったこと、考えること」

 

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御使いが力づけに現れます。

 

人の子としてのナザレのイエス様、人類への贖いの血潮は「思い」から

人としてそこが死に渡され、神の領域のみへ復活のプロセスの始まりです。

 

思いは千里を走ります。

 

人の思いは罪です、と聖書にあります。

 

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ただ忘れずに覚えてほしいのは、ナザレのイエス様には罪がありません。

 

人の子の思いが「死」に渡される、流されたところから神が触れても消えない「永遠のいのち」をもった領域が誕生する。同じ人の体の上で起きていく奇跡、これが十字架上の奥義だと思います。

 

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