- 投稿 2020/05/20
- 祈り

午後12時から14時までの間に太陽にあたりながら集中して仕事をこなす。
自衛官の方々がクルーズ船での任務を果たされ
誰一人陽性者が出なかったことから
感染予防策を教えてほしいとの声が多いという。
医療従事者もほぼ同じような意識下で
自身の健康を維持することはもちろん他者を救うため働いている。
これは聖書でもきちんと語られている。
水浴のあとに油を塗ることも書かれており、
感染確認や隔離の方法も書かれている。
自分が生まれるずうと前のことだと思うと
改めて、凄いことだと思います。
***
今日は日曜日、
子供と二人で祈りました。
ヨハネの福音書12章、13章、14章
イエス様が弟子の足を洗う場面があります。
どこにも矛盾がなく、隠されてもおらず、
あまりの迫力にボロボロと泣きながら読み上げていました。
女のすえが蛇の頭を砕く
そのことをする前のことです。
ナルドの香油
ユダの裏切り、悪魔が彼の中へ入る
スープに浸したパンをイエス様はユダへ食べさせる。
おまえが思っていることをすぐにしなさい、と語る。
七つの血潮の意味を書きだそうとしたら、今日はここでした。
全てに完璧な順序があり、誰にも隠されていないのに
わからない人もいる、ことも書かれている。
私など40代までまったく知りませんでした。
挫折の機会もあわやのこともことごとく波乱万丈のやり方で過ごし
子どもたちを巻き込み、貴重な時間をたくさん失わせ、
人生というものの恐ろしさを痛感している。
悔い
本当のどん底は、自力で得られるものではない、と今でもぞっとする。
だから今この時、必死に書こうとしているように思います。
正直、なにも晒してまで書く必要はないのかもしれない。
ただイエス様さえもあかしされ、
という箇所があり、
それならば、足を洗われた子だと自覚するならば
親の背中を追うというもの。
***
臨終の極みで生還した所は同じ場所だったかもしれない。
霊にあって生まれ変わったという不思議な経験が足された
足されたというが、半人前を補う一人前になるために
神の子の血潮が流された意味を同時に、瞬時に悟らされた。
歳月はあっという間に流れた。
***
半人前だと言い訳のできた
それまでの盲目的な生き方のツケをどう償えばいいのかも考える猶予もなく
次々と助けて下さる先生や友人に恵まれ出会った。
振り返ると、すべてが奇跡である。
神の山に備えあり、と書かれている。
出会いも神の備えであると書かれている。
***
家族は連なるように全員洗礼を受けた。
それぞれのビフォーアフターは
親の失態をことごとくカバーしてあまりある神の恩恵ばかりであった。
一人ひとりが今離れて前線で戦っている。
戦える人にまで成長させられた日々は、ただただ神のことばへ
生身の言葉が置換されていったプロセスと光景。
自分たちの力ではムリなことばかりの跡を見ている。
「足を洗わせてください」
祈りは公的なもの
八 イエス・キリスト
ム ,カンマ・神
そこへ足すことも引くこともない、祈りの戦いが始まりました。
登る山はひとつ。
方向は各々違うルートかもしれません。
祈りてを集めるのも神、成すのも神。