すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます。

   マタイ11-28

 

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すっかり疲れてしまいましたので、

部屋で静かにひとりで聖書のマタイの福音書を読みました。

 

昨年の10月頃から庭が欲しくて、ガーデニングがしたくて、野菜を育てたくて

憑かれたように物件を探し、田舎へしばらく行こうかとも思い、

間に合わないなら、何故かTVを買わなければと思い、

 

TVを買い、ソファを買い、絨毯を買い・・・

 

質素だった生活空間は年明けて別物になり・・・

 

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昨日から通常の生活に戻って

ようやく憑き物が落ちたようにポカンとしています。

 

どなたも同じように、今年の災禍を必死で戦っているのだと思います。

 

集中力を自分の判断で使う自由はほぼ削がれ

適応、さらに適応と、

災難以外のなにものでもない、苦痛の日々、まだまだ続いています。

 

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少し休憩したら

七つの血潮の続きを書いていきたいと思います。

 

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わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 

という上の御ことばを、神様が語ったのだと思うと、はっとなります。

 

休ませるという概念。

 

愛がなければ休ませてあげる、という言葉は出てきません。

 

一方的に無条件で休ませて下さる。

 

親以外に無条件は経験したことがない、のが大半だと思います。

 

その親が休ませてあげるどころか、恐怖を与える虐待のような闇も

あるのですから、

無条件に、完全に休ませる、

というのは、人の間では及ばない

神様からの奥義だと思います。

 

神様と人の間にある自由意志尊重の掟

「わたしを信じるか」

信じるも自由、信じないも自由。

 

子どもたちへの保護や弱者への保護も語られたうえでの選択の自由。

 

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親子でも及ばない領域の休息、

体はひとりに一体、

ひとつだけですから疲れる時もあるはずです。

 

それを休ませてあげる、と語っているのですから

ありがたいかぎりです。