昨夜は運よく夜空にロマンを見つけました。

 

梅雨に入る前の月夜、今夜もきれいな月ですが、

ニュースで報道していた時間に合わせてスタンバイ。

 

まるでUFOを見てしまったかのような高揚感に浸りました。

 

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これまで当たり前だと思って享受してきた日常。

 

自分も社会に貢献していると思っていたことがほんの一部だということや

人が人生の全てをかけて跡をリレーしていくことの切なさや

短さを思ったり、

 

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若い時は無我夢中で頑張ったほうがいい、と昔から言われてきた

ことですが、本当にそう思います。

 

年を重ねればできないことが増えます。

 

人様に迷惑になるようなことは控えようとするから

だんだん無我夢中でするようなこと、無謀なことは頭から消えていく。

 

人生は無我夢中な時がいちばん輝いている、そう思います。

 

勢いに他者もひきずられて夢を重ねてもいきますし、

失敗か成功か、それもわからないまま走って消えて・・・

 

ISS、ああ! という感動の声をあげた瞬間から

あああ・・・と見えなくなりました。

 

人があの中で働いているなんて、凄いなあ、と

今夜も昨夜の余韻で月夜を見上げていました。

 

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自分の人生を誇れるか、と天を見ながら、ふと思い

整理はできないけれども、死ぬことは大抵、物事の途中だと

何度か聞いた気がします。

 

大げさかもしれませんが、

三ヶ月のステイホームで、個人的な願いと、信仰的な祈りを分けて、

過ごすようにしました。

 

ハンディのある子供のために、自分が先に倒れるわけにはいかないという

ナーバス過ぎる感染予防と健康管理、全力を尽くしてあとは天の成すとおりに。

 

それとは別に、

生まれた時から今日までのアイディンティティ、

なんのために生まれて何のために生きているのか。

 

「わたし、このわたしはこの時のために在る」

十字架上のイエス様の

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」

 

この奥義のゆえに、

祈れ、とりなせ、という感覚を全身全霊で覚え、

 

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時空間を越えて、

痛みと切なさと甘さと確かな帰属感と

不思議な到達感で心が着地する、

呆然とするような祈りの日々が続きました。

 

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若い頃の無我夢中はもう無理ですが、

手を指を広げて

何も掴まず、

わが身をゆだねます、という

 

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

「わが身を御手にゆだねます」

 

という神様の一回限りの壮大なプロジェクト

意味が染み入る時間がずいぶんある今、

年齢別の神様の恩寵がありがたい。

 

赤ちゃんには赤ちゃんに、働き盛りの無我夢中な苦しさにはその渇きに添い

身が不自由な孤独な時にはそこまで伸びてくる恩寵、

すべてがありがたい。