人生の不思議

 

夕食の支度の最中、暑い空気を吸ったとたんに呼吸が苦しくなり

肺が痛くなった。

徐脈や酸素飽和度の低い数値に

病院を嫌がる場合ではないな・・・と

主治医探しを来週探す気持ちを決めて祈って目を閉じた。

「大丈夫、すぐ消えるから」

と励ましてくれる子と一緒に祈っていたら、少し寝落ちしていたようだ。

 

語っておくように

書いておくように

 

子どもが言ったのか、自分の脳が教えたのか

不思議なことばが出てきた。

人はいつか亡くなる。

伝えたか、残したか・・・

 

父が亡くなる前、

焦ったように、聞いてほしい、一緒に見てほしい

と言っていたことを、

私は今頃少しづつ知り始めた。

口伝・口承をこの子へ、と決めていたことが

死を直前に、大きく揺さぶられて、天を前に

あれだけ強気だった父親が動揺しもがいていたのを覚えている。

自分で決めてはいけないんだな、と寂しい目をしていた。

 

「家を絶やすな」

書き残したものを少しづつ読みながら

時間はまだまだある、と思っていた悠長な私に

今日は警告のような感覚が起きた。

 

「耳のあるものは聞きなさい」

 

神様のことばは語られている。

だが聞こうとするものだけ聞くがよい、と厳しい。

知っていながら語らなかったものへも厳しいことばが続く。

 

息子がお腹にいた27週の頃、職場で厳しいことがあり、

友人がドライブに行こうと誘ってくれた。

週数の満たないBabyの処置でクタクタだったにもかかわらず

二人とも、それしかないようなシュチエーションでドライブに行った。

 

「この子は神様へ捧げよう」

「この子は神様へかえそう」

二人同時に言い、

「どうすればいい」

と、すぐに私は友人に問うたと覚えている。

真っ暗な夜道、今のようにカーナビがあるわけでもない。

夕食も取っておらず、かなり遅い時間帯でほぼ山道・けものみちだった。

 

「わたしがとりあげる。クリスチャンだから」

と友人が大雨の中、激しく動くワイパーの音に負けない声で言った。

当時、私は聖書も知らなければ教会へ行ったこともない。

友人がクリスチャンだったということもその時知ったようなものだ。

 

名前も、あとでわかるから、と

「うん、わかった」

山道の途中でUターンをし、そのまま私は自宅へ届けられ、

週が満ちて、息子が生まれた。

分娩促進剤のポンプがきちんとセットされておらず

全開で落ちていたようで、寝入っていた私は

トイレに行き、立ち上がれなくなった。

呻く私のドアの向こうで掃除をしていた方が気づいて下さり

すぐに数名のスタッフの手で運ばれ

かろうじて分娩台の上で友人の手に落ちるように息子は生まれた。

誰かが取り上げていても仕方ない状況下の中

不思議だと今でも思う。

友人の手が受け止めたのだった。

 

出生届の時、

不思議なことに名前をまるで決まっていたかのようにすらすらと書き、

それが後ろから読んでも前から読んでも同じように読めてしまうと

いう不思議を他の友人が息子が長じて教えてくれた。

姓から名前までだと長い読みとなり、

よくつけたね、相当狙ってつけなければ無理だよと教えてもらい

先祖に陰陽師がいたのか、と冗談で笑っていたが、

最近、時間ができて、

祖父が陰陽つかいで、父の名前がそのようになっていることを知った。

祖父は私が生まれる前に亡くなっているので、

私は、自分の体調不良を前に、

やはり父のようにオタオタと慌てている。

「わたしが恋い慕ったのであなたがたの子孫の熱心がわたしを見出す」

と聖書にある。

 

とりあえず

不器用な生き方で迷惑をかけ続けた子らは全員洗礼の機会を得た。

聖書のことばが耳に入ってくる、

魂の殻が破れて、聖霊が説き明かしてくれる条件までを得たと思う。

その先は、それぞれの自由意思が応答していく。

 

「聞く耳のある者は聞きなさい」

 

ナルドの香油を割った心境だ。

人生は不思議だ。

あっという間に終わるようにも感じている。

高価なナルドをイエス様の埋葬の用意と知らずに貯めてきた女・マリア

 

あなたのナルドの香油はなんですか。

 

私のナルドの香油はなんとなくわかったような気が、

今日の苦しい寝落ちの時にわかった気がしている。

 

壺が割れてナルドの香油は十字架刑が始まる前

イエス様の頭へ注がれた。

最上級の油

油は神の霊を意味する。

水で洗ったあと、この世のものを洗った後、

油を塗る、聖霊と共に蘇り、神と共に生きる。

クリスチャンのライフスタイル。

 

油注がれた者をキリストという。

イエスは救い主

イエス・キリストというお名前が公的に聖書で成就した瞬間である。

 

この女のしたことは後の世でも伝えられる、とある。

聖書を読む今の時代も確かに伝えられている。

 

私は自分のぶんを走り抜けよう

もがく日も神の助けがあるのだから。

 

全力を尽くしてあなたの神を愛しなさい。

あとは神がなさる。

 

見極める、という言葉の出どころだという。

見る、明らかにする。

人の限界の先に、神の御手が見える。

各々が自分の領域を極める、

時代はひと時も手を緩めてくれない様相となった、と感じている。

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