- 投稿 2020/10/11
- 聖書

集中力がますます一点化してきたのか、
ここ数日、不思議な気がしています。
至聖所をイビといいますが
胎児の時の記憶なのでしょうか、不思議な
感覚が続いています。
不思議というのも神様のお名前
原点回帰
祈りはどこでもできますが
いつでもどこでも、と聖書にありますが
原点回帰
このような時だから気づいたのだと思います。
一生をかけて、
いえ、何代もかけて
神様の前で跪いて祈る
私は他の職業を生き、子供を育て
都会でも田舎でも暮らす機会を十分味わってきた。
体力も気力もまだ使おうと思えば、ある。
それなのに、のんびりと巣立った子供のことを
あれこれ心配したり・・・
わたしのくびきは軽い、
と神様は語られます。
くびきとは、畑を耕すとき、
牛馬に乗せられるそれ
以前も書きましたが、記事がおおかた消えたので
また書きたいと思います。
***
くびきを乗せられる前に
神様は休ませてあげる、と語られます。
神様の語る休ませてあげる、
は、まことの平安ですから、
本当に労苦から解放されます。
主の山に備えあり
そのあとに、くびきがありました。
先に、くびきがあったわけではありません。
今なら、神様のくびきを思い切り感じていたい、という身勝手
そんな甘えた心構えを
十二分に整え、「時」 を、くださるのも神様
強制ではなく応答に応答
喜んで仕えたいと、
ほっておいた体を、見合うように管理したいと真剣に思います
親の代は若くして選ばれ仕え
さぞかし苦労もあっただろう、と思った日々もありましたが
戦後、物のない時代
静寂の空間で、祈りの時間を堂々と持てたのは
それはそれで振り返れば有難いことだったのだろうとも思う。
胎のうちから神様に捉えられている
逃れることなどできない
なんとも甘い感覚が香るように、心がとろけそうなことば
放蕩息子のような、ホセア書の女房のような・・・
ホセア書3章
2 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。
イエス様は銀三十シェケルで売られた。
私たちはこの方に贖い出されて、
それまでは半人前
くびきがのせられ、
ようやく始まる仕事がある、と書かれています。
その前に
疲れた者はわたしが休ませてあげます
そのことばが成就してから
神様は成就ですから