光を運ぶ少年

 

クリスマスの日、我が家は一人の少年を客人として迎えた。

前日のイブの日、祈った。

主よ、これは神の御心でしょうか。

そうでなければ、この状況下、私は断念致します。

 

***

 

身内とも会えない一年

ありえない企画がスタートした。

 

祈りのあと、

東京都の陽性者数は、888

 

888は、

イエス・キリストのゲマトリアである。

 

不思議な10日間を過ごした。

あなたがたの踏むところすべてが聖となる、

というみことばを思い出した。

 

口伝の限りを伝承した。

正座し、一度きりの伝えをメモをとることもなく

聞いていた。

 

玄関に入るとすぐにシャワー

うがい、歯磨き、炭酸飲料を飲み

フェイスシードにマスク

換気している室内

バイタルサインの測定、

 

そんな大変な対策の中、

祈ることは不要不急の事柄なのだろうか・・・

 

答えを全て主が教えてくださった。

時が来たのである。

 

埋めたままにしてはいけない。

ナルドの香油を割る時がある。

 

ウイルスについてもレクチャーをした。

夢を見ていたのかと思うほどリアリティがない。

 

もうこの世に立っていない感覚がある。

足で踏むべきところを共に行き、祈った。

 

気がつけば、ありったけを注いでいる、全力で・・・

ところがこの子は、わずか17歳でこちらへも注ぎ返そうとする。

全力以上の神の霊で

 

御使いを見たような感覚がまだ残っている。

ハレルヤ!

 

何故、あなたは何も障りがないのだと問うと、

少しの沈黙のあと、

 

小学校5年生の時に・・・

before・afterがあったのかと問うと

そうです、と答えた。

それからこのようだと教えてくれた。

 

私など

昨年、教会で学んだばかりだ。

心の中にフックを持つな、と

子どもがそれをもうそれだという事実に驚いた。

 

境遇などをここで書くわけにはいかないが

神様は凄い、とまた凡庸なことを思った。

 

与えているつもりが受け続けた時間

年をとっていれば優れているというのか、というヨブ記が浮かんだ。 

 

一緒に心を合わせて祈ったのは

一人でも多くの民が救われること

 

鳥居をくぐることの意味をシェアしながら、

主の十字架をくぐることを祈った。

 

新しい年を祈った。

明けましておめでとうございます、と祈ることができた。

 

2019年の暮れにみた幻のような夢のような時からちょうど一年

一緒に鳥居をくぐり

詣出てきました。

 

「情けは人の為ならず」

私の尊敬する方の座右の銘

肝に銘じた次第です。

 

知らないことが多すぎる

教えられたのは私のほうでした。

 

真夏の雪のような、砂漠で飲む水のような

主の仕事は、くびきは、軽くて、甘くて、驚くほど実が大きい

 

人の思いなどはるかに超えておられました。

 

(*陰性確認をしての行動であることを追記いたします)

 

 

 

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