2014年2月1日

 

1日、ちょうどこの時間帯に末っ子の洗礼をした。

翌、2日、末っ子は、教会でY君と出会った。

Y君の誕生日だったと最近知った。

 

神様の指や息は、歳月も凌駕して

驚くばかりの点が線になり線が円になり

円が絵になり鳥瞰図のように

やがて立ち上がって奇跡としか思えないことを見せて下さる。

 

「わたし、このわたしはこの時のために在る」

 

在るという方が造ったから私たちも在る

 

誰かに承認欲求を満たしてもらう必要もなくなるが、

ただ私たちは二人あるいは三人の者で祈るならば、という集いを

求められている。

 

集うことをやめるな、

と聖書は明確に語っている。

 

昨年、どこかで誰かと祈りシェアするということをせず

それはそれはキツイ一年でした。

 

しばらく秘境のような場所でこもることになりました。

新しい巣作りになるのか、

ただ導かれるまま歩いてみたいと思います。

 

7年前、末っ子に洗礼の機会が与えられると思いもせず

会える嬉しさと申し訳なさの入り混じる

緊張のなか、祈って飛行機に乗った。

 

神様が与えた答えは、

末っ子に洗礼を授けるためとY君との出会い

今思えばそれをすることがどれだけ大変なことか・・・

 

ただただ感謝

それ以上の救いがあろうはずもない。

 

友を得よ、と聖書にあるよ。

Y君、ありがとう。

あなたは神の人だ。

 

末っ子と友達になって下さい

イエス様が組み合わせて下さった奇跡の友になって下さい

 

ズタズタに切り裂かれた魂の叫びを

掬いとれるのは神様の御霊だけ

 

人の愛は冷たくなっていきますが

御霊の愛は今も明日も変わらない

だから私たちの愛は冷めてはいかない。

 

神様を知った時から

私たちはほんものの人情持ちになったはずだ。

 

苦しい時代だからこそ

闇の中でこそ光が輝いているように

わが身に起きた7年前の奇跡を書いてみました。

 

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