あなたがしらがになっても

わたしは背負う。

わたしはそうしてきたのだ。

なおわたしは運ぼう

わたしは背負って、救い出そう。

   イザヤ書46-4

 

 

人命救助を職業としてそれで生計をたてて

気付けば、

しらがも気になる年齢になった。

 

自由に楽しく晩年は過ごしたい

過ごすほうがいい

いや過ごすべきだ

それが健康で他者に迷惑をかけずに

ピンピンコロリと逝ける選択だと思うから

 

コロナ禍(今はこの時期なので何度も書いてしまいますが)

に入って時間ができて立ち止まって

しばらくはそんなふうに思っていました

 

穏便に

迷惑にならないように

怖くなった時は

しらがになっても、

とあるし・・・

 

縛り

は心を小さくするなあ・・・

とつくづく一連の流れを通じて感じている。

すぐに心を大きくするのは難しいかもしれない。

リハビリを経て

それぞれの年齢層の元の世界が戻る時がいつかはわからない

 

聖書は

十字架上のイエス様の磔刑の様子を詳細に語っている

手首に杭が打ち込まれる

手は業を知らせるタラント・能力を示す象徴である

 

杭が橈骨、尺骨の間に打ち込まれると

手はもう何かを握ることも示すこともできなくなる

人の子としての、人の手の業を終わらせる、

死に渡す瞬間、

人には限界がある、と示す瞬間である。

 

だが忘れてはいけない

イエス様は手の杭のあとをトマスに示して指を入れてみよ

と語られる

 

死があり蘇りがある

夕があり朝があった

神様の救いの奥義

 

時代も

時も衣のように巻かれてしまう時もある

だがわたしのことばは永遠に立つ

 

と神様は語られた

 

小さくなっていく

硬くなっていく心のリハビリを

 

人の弱さに応じて

耐えられる力として

それでいて

有限から無限大の神の力の域へと

復活は示された。

 

このことを救いと言わず

何を救いだと言おうか

ただただ恵みである

カテゴリー
タグ