自分の判断だけでは前に進まない

居心地よく

天国へすうと行ける場所を目指して

東京へ戻ってから

そういうことを集中して、今日もキッチンを掃除していた。

 

コロナ禍と現場から身を引いたこと、と

子育てが一段落したこと、と

身仕舞いの時期にきていること、と

そういうことが重なった心境なのか

 

それとも

 

「わたし、このわたしは、この時のために在った」

 

という聖書の時が今この時なのか、

今の自分には決められない。

 

「いつでもどこでも主を礼拝できる」

とも教わった。 

 

神職の後継者選びの時

自分は逃げた者としてのレッテルを貼られている

 

当時の仕事や子育ての量は、とてもそれ以上をおえるものでは

なかった。

 

選びに入った気配の時

徐脈になって入院した。

 

徐脈になって死のうとすることなんてできるものなのか。

 

神様から逃げることは恐ろしいこと。

 

ストレスは半端なかったと思う。

過労で死んだ方が、神様から逃げるよりまし

 

そういう葛藤に自分が当時あったことを資料で見つけて

ようやく20年の歳月を経て

体と心の恐ろしい因果関係を今さら納得した。

 

ある種、自殺しようとしたことになるらしい。

徐脈になり心臓マッサージになった事例を

説明してもらった時、自律神経は行きつくところ

そういうことをする場合もあるという。

 

子どもを抱えている自分にとって

倒れるだろうと予測がつくオーバーワークの神事を

受け入れることは、誰が子供をみてくれるというのか

という葛藤の日々、クタクタな日々だった。

 

睡眠時間は2,3時間。

仕事だけでも過労。

育児だけでもオーバーワーク。

 

救急室のベットで会った方は

その私が背を向け逃げてはいけないけれど

役割を負うことはしんどすぎると言い訳したかった方、神様

 

「あなたにはできない。わたしがした」

 

先代が私のことをそう言った、と資料に書かれていた。

傷ついた。

 

神様を見たと思ったのに・・・

イエス様をわかった瞬間なのに、

汚さないでよ、入ってこないでよ

 

またあの時の葛藤が戻ってきたのか

 

***

 

人間はしょせん人間

白い衣をまとって神に仕えても人間は人間

 

旧約聖書で契約の箱をかつぐレビ人

新約聖書も旧約聖書も学んだつもりでいたけれど

 

自分が知るべきことを知っていないことに愕然としている

猶予期間だったのだろうと思う。

 

神様の元を離れてさまよっている、

役割を置いたままにしている葛藤はなくならない。

 

「あなたにはできない、わたしがした」

 

こういうことばを人が人に吐いてはならない、と思う。

 

主だけが聖

神だけが十字架で死を滅ぼせる

滅ぼした。

 

本当の本物の犠牲はイエス様だけができたこと

 

だから私も恩恵に預かった。

共有することさえも億劫で現実逃避していたが

 

今のこの時期

 

あなただけが白木の家に住んでいてもよかろうか

 

という聖書のみことばが刺してくる。

洗礼の時、

 

同胞のため

かたくなな民のため

ことばが同じでなければ聞いてくれただろう同族のため

福音をたずさえていけ、という箇所をいただいた。

 

当時はぼう、と脳が心地よかったため

痛くもかゆくもなかったが

今は重い

 

主のくびきは軽い

ともある。

 

本当は軽いとわかっているのに

当時のことが思い込みとなって、数日、脳と体が葛藤している。

内側の霊は、凪いでいる。

 

洗礼を受ける前なら潰れるほどのストレスでも

今はそのことに「死」があり

神の備えの中で「復活」がある。

 

天国へ帰る日まで

その備えを見る日が続くのだと思う。

 

さあ、腰に帯をしめたら、また行くか

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