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カテゴリー:日記・コラム・つぶやき
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    2020/11/01

    日記・コラム・つぶやき

    雲一つない晴天に誘われて近くの公園へ散歩に出かけた森の中まで進んだ?と思っても街中の公園ゴトンゴトンと電車の音が聞こえてくる土の上を歩きたくて来ているので電車の ...

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    2020/10/04

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  • 秋晴れ

    2020/09/28

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    今日は晴れる、という天気予想を見て、山歩きをしてきました。筋肉量が落ちているのを嫌というほど自覚し、それでも子供のために健康でいなくては、と無我夢中で歩いてきま ...

あの方にも、この方にも御礼を書こうと思っていたが

あっという間に何もできずに一週間が経ってしまった。

 

同じ24時間

どうしてこんなにも違うのだろうか

 

浦島太郎の玉手箱のお話のように

昨日や今日の続きのような光景が今も脳裏に焼き付いて

自分は実際、リアルに生きているのだろうか

 

そんな妙な錯覚も生まれてしまいそうなほど

強烈な二か月だったのかと思います。

 

コロナ禍で刹那的な思いで

一期一会な緊張感のなかで

人が出会う時、相手に真摯に何かを伝えようとするのかもしれない

 

レンタカーを貸して下さった経営者は

島外から来て頑張ってこの時期を乗り越えようとしている青年。

気迫さえ感じた彼の別れ際の問いに

なかなか口にしたことのないことを気づけば答えていた。

 

ここでは聖書のことばを書いて紹介しているので

他のことはできるだけ書かないようにしている。

 

ついで、もし良かったらここをと

やはり数人に紹介したものの

宗教勧誘だったのかと

緊迫した状況の方々に失意を与えかねない、と

走るように過ぎていく時間に、ハタっと慌てて記事を書いている。

 

何度か書いているように

特定の宗教団体・政治団体・思想団体に身を置くことはできない

眼鏡をかけてはいけない、のが自分の職業である、と

立ち位置を説明したりしている。

 

禊であり

洗礼である

自身に死ぬ、という経過を経て

時に瞬時に相手のニーズに答える鏡のような

会話が生まれる時がある。

 

それは2019年の12月に自分にまず起きた現象である。

死ぬんじゃないか、という高熱に襲われ

インフルエンザA型陽性の判定を受けたが

夢か幻か

 

サムシンググレートなる方と一問一答のとことんな戦いを味わった。

「ああ・・・キツイ、死んだ方がマシ」

耐えきれない、もうムリ

負いきれない重荷は負わせない、と聖書にあります。

もうムリ・・・限界・・・子供にも悪いけれど辛い

「この杯をわたしから遠ざけて下さい。ですが、御心がなりますように」

 

何度目のカロナールだったか

たぶん気を失っていた。

 

わたしの問いについてこい

できなければその時はあなたの望みどうりになるだろう

 

「人の細胞の数は」

答える

 

「血液とは」

答える

 

途中から自分でも何故答えられるのかわからないが

確かに答えている。

 

鬼滅の刃のぜんいつ少年のように

寝ているのに自分という個体を通じて

確かにサムシンググレートなる方とどこまでも問答が繰り広げられ

答え終わったら

 

4日ほど経っていたようで

苦手だった肉を食べに連れて行って、と家人に伝えていた

 

5㎏ほど落ちた体重が戻るころ、

世の中はコロナ騒動で大変な状況になっていた。

 

そのあと、

ノートに次々と問答で見えた摂理が写し出され

スティ・ホームに努め

今年二か月ほど陰性証明書を持って

自分の役目である所へ祈るために通い続けた

 

宮はぐるぐる巻きにされたように痛々しく

19年の歳月を経て対峙したが

神通力という昔からある言葉の意味がストンと腹に落ちてきた。

 

体も心も天にある磁場をストンと通せば自身にある磁場が反応し

不具合をカタカタと整えていく感覚

 

体はそもそも全てに摂理があり

不具合はよほどでない限り人側から生じる

 

「立ち返って静まれば力を得る」

座ればいい、わたしに立ち返れ、と造った方が語っている

 

短い人生の間に

神の造った己の体のどこまでを私たちは知っている、と言えるのだろうか

問答の間

答えは問いの中にあり

導き出され、引き上げられ、降りてきて下さり

 

「生きよ」

とこちらの真意を答えにして下さった。

 

時に脱力すること

よく眠り、栄養のあるものを食べ、ストレスを軽減し

楽しくしゃべり・・・

 

どれもこれもシンプルなことを

緊張を強いられている時にはできずにいる

「自分のためにいのちを保とうとするものはそれを失い

わたしのために命を失う者はそれを得る」

聖書にはそう書いてあり

「神通力」の極意である、と実感

 

人の体はそのままで永遠に入れないように

寿命を120年と神が定め、

その命を保つため

人の体はありとあらゆるセンサーで生きようと

セッティングされている。

これも神の親心

 

あれこれ思考する脳で

神のおられる永遠のいのちに入ることは恐怖

 

もがく120年

時に

「助けて下さい」

と膝を折る時、

リセットのチャンス

ありがたい仕組みだと思います

 

思考する脳はそもそも人側からの罪

いびつさは人からくるもの

すむーすに運ぶ時は神通力

神の霊は、聖書では「油」と表現されている

油の差し込まれたところはスムースでギシギシしない

 

雲一つない晴天に誘われて近くの公園へ散歩に出かけた

森の中まで進んだ? と思っても街中の公園

ゴトンゴトンと電車の音が聞こえてくる

 

土の上を歩きたくて来ているので

電車の音も不思議なコラボで心地いい

 

さて帰ろうか

帽子をかぶったどんぐりを拾いながら歩いて

ふと天を見上げた

 

鳥の鳴き声が多いな、と思ったら柿の木

空の青と木の緑と柿の色合いとが美しくて子供に撮ってもらった。

 

***

 

早いもので、もう11月

時間が止まったようなこの一年

 

長い時間立ち止まったので

これまで時間との勝負のような生き方が使えない代物になって

しばらくアイディンティティさえ見失いそうななかで

 

ある資料としての

短い論文を読む機会を得た

公的な承認を得たとあり

ざわざわと心が落ち着かず散歩に出た次第

 

***

 

悲しみに襲われた

歴史の記述としてこれが残るのだろうか

口伝とはなんだろうか

 

さて、と

 

足が土の上を歩くと

脳が待っていたかのように

どの引き出しも開きやすくしてくれる

 

 

***

 

歴史

漢字を分解すると

幕の内側に二本の木、下に止まれとある

史は罪状書きと十字架であり、下ろされている最中のように見える

 

***

 

聖書が啓かれるまで

洗礼の機会が訪れるまで

私が体験した不思議な伝承は

当時は宝の持ち腐れ状態

 

日常を生き切るのにせいいっぱいな若者には

日常とは、それとは別の「文化」 や

催事のような切り離して従事するタブーのように思えた

 

 

***

 

 

 

口伝を受け取る場合

解釈を持ってはいけないし、足してもいけない

もちろん引いてしか覚えられないような人には口移しはない

 

神が第一である

その下に幾重にも人の命がぶらさがっているのだから

人、個人の云々ではない

 

 

国の資料として承認された年月日や調査日を見た

やはり力が抜けてしまった

 

聖書は足してもいけない

引いてもいけない

私的解釈を加えてもいけない、とある

 

***

 

土の上を歩きながら

気持ちいい天気のなか

芝に座って祈った

 

何をすればよいですか

神様、わたしは何をすればよろしいですか

 

***

 

 

帰路の途中で見上げた柿の木

下に落ちたものあり、

鳥に食べられている最中のものもあり、

 

無傷のものはあるか、と探してみようと見上げたが

やめとこう・・・

 

生き残るは、

 

その時の運

その時の全力

 

ふとそう思った。

 

書いて残すことはご法度の意味が身に染みた

伝承しなければ土の中に埋めたままのしもべと同じ

 

聞こうとする次世代と

語ろうとする世代と

邪魔をしない時代の空気感が絶妙に揃わないと厳しいなあ

と改めて思う

 

神の息の長い時代

何かがなされていく過程

誰かが自己流を貫いたらモノはできない

 

血管を剥離し神経を上手に避けて臓器までたどり着く過程を

天才な指がいこうが凡人がいこうが基本どうりでなければ患者さんは亡くなる

 

どの仕事も同じだと思う

 

祈ることが職業だとする

ましてやマニュアルを残してはいけないとする

 

***

 

足してはいけない

引いてもいけない

私的解釈を加えてはならない

 

聖書をいただく時の基本

 

***

 

重い腰をあげて

伝承すべき人たちへ

まずは受けたものをただ伝えようと思う

自分はすべきことを何も果たしていないのだから

人の論文にたじろぐ前に

神を恐れることは個々人のこと

人をはかることは仕事ではなく

間違ったことを上塗りされることをただ見過ごすこともまた、

神に仕える人がすることでもない

 

*** 

 

神を恐れること

聖書はこれを第一の戒めとしている

私はただ神を畏れている

 

疲れたからといって、

さて、と目を閉じて、

体を置き去りに天国へそうそういけるものではない。

 

体を脱ぐというのは

簡単なことではない。

 

ドラマのように映画のワンシーンのように、コトッと頭を動かす

だけで、いけるようなものではない。

 

コロナ禍で、

病院が混まない時期だからこそ

これまでうやむやにしてきた体をしらべにいった。

 

何が弱点なのか

ありがたいことに専門医に今なら詳細に聞くことができる。

走っている時代にはありえないことだった。

重症でもないのに敷居が高い。

それを丁寧に説明して頂き、よくよく今頃、目が覚めた。

 

***

 

 

一気に落ちてしまった体力を取り戻すために

今日も山歩きをしてきました。

 

季節外れのあじさいが咲いていました。

 

自然のなか

山道は気持ちがいい。

 

足の裏を返してくる土の柔らかさが優しくて

人を養おうと神様が与えて下さった大地を離れて

急いて生きている自分に、はっとなる。

 

 

季節外れのあじさい、

季節が狂おうと、咲いている。

 

***

 

 

タラントを倍に増やせ

 

神様の命令はシンプルである。

神が造りたもうた唯一無二の

ただひとりの各人へ

 

個性を倍に増やせ、と命じている。

 

 

人とム(カンマは神という意味)

 

人となられた神はただおひとり

 

その仏の後ろ盾となる御父・天におられる神

そこを通れ、と呼びかけている。

 

神をそのまま見た人は死ぬ

そこを通れ、

わたしを見た者は父を見たものである。

 

***

 

聖書は不思議な神の書

 

***

 

私たちはただ一つしかない個々の体の中に

魂があり

 

ある時、

あなたが最もひとりきりな時、

そこが一度ひび割れ

 

天にも地にも満ちている聖霊なる神の霊と

神の息を吹きかけられて造られた人の中に置かれた聖なる霊が目覚め

あふれ出て、呼応し、同じいのちですから、

神様がわかってしまうという不思議があるといいます。

 

誰も他者はその時を知らない

神様とその人との聖域

 

体は、神様の霊を運ぶお宮さん

粗末にしたらばちがあたる、と

最近、そういうことを思うようになりました。

 

あまりにも忙しい人生を走りすぎて

自分の体のことを意識せず、管理せず・・・

 

改めて、

 

神様が入れ物としてつくって下さった神秘

わかったつもりでいた人の体をノートに書きだして

健康管理を真剣にしてみようと反省

 

人の体をとられ

人の体で十字架上で亡くなり

 

死んで三日目に蘇ったイエス様は

「完了した」 と語られました。

 

うち傷をみて

「満足した」と天の御父は語られました。

 

それを説き明かしてくださる聖なる霊

 

神様には死がない

永遠ですから

 

十字架を経て

地の触れたらまんま絶滅してしまう罪の子らを

わたしが道だ、わたしを通れ、と

救済の方法を示し続けておられる神様

 

新創造

 

古い自分でお宮さんの管理は大変です。

新しいぶどう酒は新しい皮袋へ、と聖書は語ります。

 

生きようと思うと体は時にあちらこちら痛い

一度死んだのだと気づけば、

保とうという執着心も死に渡されたはずで・・・

 

神の山に備えあり

お宮さんの管理維持は、聖なる方とその人の聖域

人だけのものではない、と、

 

山歩きの

気持ちよさにつられて、書いています。

 

 

 

 

今日は晴れる、という天気予想を見て、山歩きをしてきました。

筋肉量が落ちているのを嫌というほど自覚し、

それでも子供のために健康でいなくては、と無我夢中で歩いてきました。

 

昨日、衣替えや晴れない天気に乾燥機を求めて出かけた際

子どもがトイレに行きたくなったようで車からいなくなっていました。

 

目の前が真っ暗になり探しに出かけ、

本人はしっかり車へ戻ってきたのですが、

このまま行方不明になったら・・・

と、心臓が止まりそうでした。

 

緊張と探そうとする行動力と

何もかもが落ちていることに改めて気落ち。

 

捜している最中、

神様、お願いします、と祈りました。

 

そのあと、帰ってきたわが子と合流でき

神様なしでは恐ろしくて生きてこれなかった日々

生きていけないだろう日々を思いました。

 

今年起きたことを軽く見てはいけない、と改めて思います。

私が仕事で対峙した感染症との闘いは

帰国すれば専門家以外ほとんど知らないこと。 

 

今は全世界が同じ条件でゼンマイ仕掛けに狂いが生じたように

じわじわと痛みが広がっています。 

 

夜、子供をしっかり抱きしめて諭し

温かい食事を共にし、目をはなしてしまった油断を謝り

怖かったことを説明し、共に祈りました。

 

お母さんのために

お願いだからどこにも行かないで、寂しいだけでは済まないから、と

 

*** 

 

あずまやにたどり着いて

珈琲を飲んだ。

空が高く気持ちがいい。

 

一年ぶりのこの場所に

ああ、この感じ、と窓のない角の席

 

幼少期の記憶ではないか、とふと思った。

至聖所に入っていく親を待っていた空間

 

静寂

木の床

石の台座

 

子どもだけでは上り下りできない砂地

あそこへ追って入ることはできない。

 

獣もいただろうし、

悪党に囲まれたらひとたまりもない

なんとも明けっぴろげな空間  

 

今日、あずまやで窓のない景色を見下ろして

天幕、これが原風景というのはなんて贅沢なんだ、と

有難く思った。

 

ネグレクト?

あなたは捨てて置かれたあの子だよね、と

言ってしまう大人もいた。

 

だが親だって人間。

体はひとつ

24時間の労働力にも制限がある。

 

祈りの空間に、

天幕に、その聖所に赤子がいて

 

神様が守らないはずはなかろう

親は落ちないでね、とたぶん額に手を置き

そっと離れて行ったのだろう

誰も子守りがいないのだから仕方ない。

 

 

*** 

 

自分が親になって改めて思う。

 

子どもを全部守ってあげることなど不可能、限界がある。

教育機関がありがたい。他者の援助がありがたい。

 

それでも及ばない域

 

神様の御手のなかで生きている

 

そういう信仰がなければ

昨日の状況を乗り越えるのは自分には無理

 

けして残してはいけないハンディのある子を抱きしめて

神様にすがり倒して明けた今日、

 

秋晴れの束の間

霊の呼吸を肺の隅々まで吸い込ませて頂きました。

 

十字架で張られた結界、恐れるものはなにもない

 

 

 

(ヨハネ4章24節)

 

神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって

礼拝しなければなりません。