カテゴリー:祈り
  • 血潮が流された 2カ所目

    2020/04/20

    祈り

    67そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、68こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打っ ...

  • 闇は光に勝てない

    2020/04/10

    祈り

    光の前に闇は存在しえない。神が人の前にそのまま現れれば人は神のようにそのまま聖であり光である存在ではないので、誰一人として立ちおおせる人はいない。そっと光の世界 ...

  • 祈る言葉が聞かれる条件

    2020/04/06

    祈り

    19まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられる私の父は、それをかなえてく ...

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。

私はそれであなたのおきてを学びました。

       (詩編119章ー71)

 

救急室のベットで呼吸の限界の恐怖で凍り付いた時のことを

まだ自立していない子どもたちを置いて息が終わることの恐怖を今でも覚えている。

 

「だれか助けてください。誰か私を助けてください」

 

聖書を読んだことのない、教会へ行く機会もなかった私は本当に助けられた。

 

主治医は優秀で

全力で

遅くまで帰らずに椅子から転げ落ちそうになり寝落ちしていたのも覚えている。

 

子どもたち一人ひとりの表情も覚えている。

 

生き抜く力を背中で示すはずの親が

まったく見本になれないヘタレの極み。

 

もう何の手立てもなく

余力もなく

この子らへの責任を果たさせてください。

 

吐けない息のはざまで懇願した。

 

先生のたった一人の患者の前で全力投球する神業はもう申し訳ない。

 

子だくさんで家へ帰してあげたいし、

外来患者は列をつくる超人気ドクター、明日も外来があるし、

時間はいくらあっても足りない逸材だと十分理解しているし、

 

それなのに

先生の全力を私はもう使うのが怖い・・・

 

生身の人には限界があるのは自分も知っている。

 

もう誰か、誰か、誰か助けて、先生も助けて下さい。

 

「誰か助けてください。誰か私を助けてください」

 

渇ききった呼吸を諦めた刹那

「あなたにはできない。わたしがした。あなたにはできない」

 

***

 

十字架を見てしまったのです。

 

ああ、神様だとすうと意識がそのあと遠のきました。

 

どれだけわたしがあがいても

先生がどれだけ優秀で全力を捧げても

子どもたちがどれだけどん底に落とされ生活困窮者の道を辿ろうとも

もう意識はなくなりました。

 

「死」

 

いのちの極限から蘇ったあと、

主治医の先生へ子供たちへ長い歳月をかけて、

あの時の意味をこうして書かせて頂いております。

 

子どもたちは読んでいない記事ですが

恩人の先生へはご案内させて頂いており

当時、このような説明ができるわけもなく

歳月がたって、この時に読んでいただいている「時」を感謝しています。

 

***

 

「あなたが負けたらわたしたちも負けた気がする」

「僕もおんなじだよ」

 

***

 s

どこかへ属する宗教とも違う。

 

経験したことを、聖書で、説き明かされる日々をそのあと過ごし

今があります。

 

ひとり私のふところに残されたハンディのある子が、自粛生活の続く中

「馬がにほん、あるね」

と換気するために大きく開けた窓際で二人でソファにくつろいでいると、

空を見ながらポツンと言った。

 

日本?

ちがう2本

馬が2本?

なんというのかわからないけれど、

と、一本は子供は故郷の名前をいい、

一本はここにあるのだと言う。

 

ここってここ?

と聞くと、東京と言う。

 

***

 

にこにこと笑いながらプーさんを抱っこして寝室へいった。

 

寝た後に記事を書いている。

 

とても不思議である。

 

聖書を自力で読むことがこの子はできない。

 

ただ昼間のテレワークの電話のあと

「かわいそうだ」

と真顔で他者のことを心配している顔はとてもハンディのある子には見えない。

 

三、四と続く予定の記事を今日は逸れて

忘れないように書き残しています。

 

写真はほとんどこの子が撮ったものですが、

この写真もCCUから一般病棟へ移った日に子供が中庭で撮った写真です。

 

今日も祈ります。

 

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血潮が流された 2カ所目

67 そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、

   また、他の者たちは、イエスを平手で打って、

68 こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。」 

          (マタイ26章)

 

イエス様がオリーブ山で血の汗を流して祈られた時、「思い」は、

罪のない贖いの子羊へいよいよ人の罪が転写されていきます。

 

レビ記のなかで、傷のない贖いの動物へ大祭司が手を置きます。

 

そして自身の人間という罪を転写し、

祈りの至聖所へ向かっていきますが、

罪が残っていると死にます。

 

ふさについていた鈴が鳴ると、急いでその祭司を引き出し、

次がまた新しい傷のない罪の贖いのための動物へ手を置き祈り

入っていくのです。

 

***

 

イエス様は、その犠牲の子羊としての役割を始められました。

 

同時に覚えてほしいのは

この方は大祭司としてのお役目を果たしていくということです。

 

ナザレのイエス様は罪がありません。

 

聖霊によって女のすえとしてお生まれになった方が蛇の頭を砕くという

聖書の言葉通り、処女マリアによってお生まれになったことは

大抵の方が知っていると思います。

 

私たちは男のすえです。

 

精子によって生まれた正真正銘の人間同士の受精卵のすえ。

 

***

 

ヨセフというマリアの許嫁が育ての父親ということに人の考えは及んでいきますが

イエス様の系図はダビデ王の系図、ヨセフの家系図が辿られます。

 

書いていても鳥肌が立っていきます。

 

壮大な神様の業、繊細な組み合わせ、すべて摂理があり、

どこにも矛盾がありません。

 

ことばですべて説明されて聖書におさめられています。

 

***

 

大祭司であることも

罪のない贖いの子羊として人類の罪を贖うことも

 

***

 

人は人類初のアダムによって罪が入りました。

 

どんなに聖人君子の人であっても自分が十字架にかかる

私が負う

と名乗り出ても、人には大祭司の罪を取り除くことはできません。

 

神は永遠のいのちという新創造へ、人を移して下さろうとしています。

 

そこは聖なるところ

闇は光に勝てませんから

気持ちで存在できるところではないのです。

 

イエス様のお名前は数字では888

 

ねじった丸がふたつに見えます。

 

狭い道を通って上の丸へ移行させる。

 

狭い道が、「わたしが道だ」という道です。

 

イエス様のお体しか罪の転写をみることができない。

 

ウイルスや菌が手洗いで消えずに残って顔や他者へと広がっていく

のがブラックライトでわかる液体がありますが、それを想像してみてください。

 

と人の罪が転写されました。

 

これが名乗り出た普通の人だともともとあるので、はっきりと区別がつかず

ただカオスです。

 

ナザレのイエス様ご自身がご自身の上に手を置く

2人を証しの数、というのは書いた記憶があるので

 

***

 

7つは完成・成就の意味

2カ所目、顔をこぶしで殴られたら血が流れます。

 

顔は、プライド、恥を象徴します。

 

顔が殴られ人類への贖いの代価である血が流れました。

 

「死と復活」

 

十字架に預かる者のプライドや恥は人の中にあって死に渡され、神の聖なる領域、すなわち永遠の命の領域で復活する。

 

死んで三日目に蘇られたイエス様は

黄泉にまで下り、天に上られ

御父はその流された血のあとを見て満足されたとなる、プロセスが、

二カ所目を通りました。

 

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闇は光に勝てない

光の前に闇は存在しえない。

 

神が人の前にそのまま現れれば人は神のようにそのまま聖であり

光である存在ではないので、誰一人として立ちおおせる人はいない。

 

そっと光の世界へ

神と共存させる世界へ

誰一人として失いたくなく、神は仲介者を遣わされた。

 

おんなのすえ

私たちはおとこのすえ。

 

このおんなのすえが蛇の頭を砕いたと聖書は語ります。

 

8はイエス様

1は三位一体の神

8+1は9

6は人

胎児のように見えませんか。

 

7は完成・成就

7+1は8

イエス様は人がなにものだというので救済のために十字架へかかり

死んで三日目に蘇り

今は天の父の右の座に着いておられます。

 

9は胎児の逆

人が天へ上っていく様に見えます。

 

陰と陽 6と9 どちらにも皇極が存在する。

 

***

 

8+1はおとこのすえにはできないことです。

 

人はどんなに清くても罪があり、おとこのすえ。

 

天から下り天へ帰って行かれた方

不思議なことに

どん底、死の淵から生還させていただいた時、

数字やことばの意味が同時に啓かれた。

 

だがシェアの機会はない。

 

明日は我が身かもしれない状況で、

届いてほしい、と書いてみました。

 

遺言を書くつもりでと思えばこの世より

おまえは何をしてきた、預けたものは埋めたままか

と神様に問われるほうが怖い。

 

埋めたままの人を夜のとばりに放り出すと聖書にある。

 

親にそんなことをされたら怖い。

 

この心境は生まれ変わりの体験をした人にはわかってもらえると思う。

 

私は一度死んだ。

 

その不思議を忘れたら、それこそばちあたりだと思う。

 

「完了した」

十字架上で神のひとり子が語り

「満足した」

と天の御父が語る。

 

奥義を知ること

それもあらかじめ決めておられるという。

 

今日も祈ります。

日本をお守りください。

世界中の人をお守りください。

 

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祈る言葉が聞かれる条件

19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられる私の父は、それをかなえてくださいます。

20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

       (マタイ18章)

 

***

 

聖書にある神様へお祈りをして、それが叶えられる条件が二つ書かれています。

 

ふたり、あるいは三人が心を合わせて祈ること

わたしの名において集まる所

わたしの名とはイエス・キリストという御名前です。

 

救い主・油注がれた者(神の霊が注がれた)

イエス様は聖霊によって宿られたので、内も外も神の霊で満ち満ちておられ

肉体においては人のかたちをとられました。

 

この方が神だとわかるのは

子供であれ、老人であれ、

知識ではなく

人が人による助けが及ばない孤高の時

不思議なことに両隣りに奇跡が起きて神の領域が起きて助けが

いつの間にか起きている。

 

それを人は奇跡と呼ぶのだと思います。

 

***

 

その時

居合わせた人は同時に神の国を見たようなものですから

神様にあっての兄弟・姉妹と呼ぶのだといいます。

 

時間を超えたような空間を超えたような非日常を共有したような

それでいて確かに日常に起こったこと。

 

奇跡・・・くすしいあと

訪問下さっておられる方々へ感謝をこめて、

ここがふたり、あるいは三人で心を合わせて祈る場所となれば幸いです。

 

イエス様、日本をお守りください。

世界中の人をお守りください。

お祈り申し上げます。

 

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