カテゴリー:聖書
  • 柔和で、ろばに乗られる。

    2020/07/06

    聖書

    見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも雌ろばの子の子ろばに。(ゼカリヤ書9章9節)***7そ ...

  • 7つの血潮

    2020/07/02

    聖書

    十字架上で死んで三日目に蘇った方を三位一体の一位格の神として、救い主として、信じている人をクリスチャン・救われた者というと教えていただいた。そして、その方の名に ...

  • 聖書のラブレター

    2020/06/23

    聖書

    6主は、あなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、若い時の妻をどうして見捨てられようか。」とあなたの神は仰せられる。7わたしはほんのしばらくの間、 ...

  • 不思議な夢

    2020/04/17

    聖書

    不思議な夢をみました。大きな雲が二つ重なるように垂れこむようにどんどん迫ってきて部屋にいた人たちへ逃げて、と叫んだがそれは満ちてしまって被った雲の正体を見極めよ ...

柔和で、ろばに乗られる。

見よ。あなたの王があなたのところに来られる。

この方は正しい方で、救いを賜り、

柔和で、ろばに乗られる。

それも雌ろばの子の子ろばに。

   (ゼカリヤ書9章9節)

***

7 そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着を

その上に掛けた。イエスはそれに乗られた。

***

9「ダビデの子にホサナ。

祝福あれ。主の御名によって来られる方に。

ホサナ。いと高き所に。」

   (マタイの福音書21章)

***

子ろばの背中の紋様、初めて見た時は

鳥肌が立ちました。

旧約聖書にある聖句

新約聖書で成就という長い年月を経て

背中の紋様は十字架

***

神を畏れ、祈ります。

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7つの血潮

十字架上で死んで三日目に蘇った方を三位一体の一位格の神として、

救い主として、信じている人を

クリスチャン・救われた者というと教えていただいた。

 

そして、その方の名に在って、水の中に沈み、魂にあって死に

その方の名に在って、生まれ変わることを選ぶことを洗礼と言い

そののち、

その人は方向を転換させられる経験を個々人がもつのだという。

 

***

 

強制ではなく、

意志・知性・感情という魂の殻がその個人の激しい渇きの瞬間と

神の手ののびてくる絶妙なその「時」に、その人だけの救いが成就する。

 

私は婚約時代のような感覚を受けた。

 

花嫁として

婚約者はこれでもか、というほどの備えを贈って下さる。

 

その備えを山上の垂訓でイエス様は語っておられる。

 

***

 

泣いている者は幸いである

やがて笑うようになる

貧しい者は幸いである

やがて富むようになる

 

***

 

何故、幸いなのでしょう。

 

before・afterが明確であるからだ。

 

介在者がいる。

 

わたしだ。

 

あなたはわたしの花嫁だ、恐れることはない、と

我が子よ、と呼びかけても下さっている。

 

わがしもべ、

はしため、

たくさんの呼びかけがある。

 

***

 

無理強いがないのは結婚だからだ。

 

契約だからである。

 

***

 

この世で思う存分、自分のままに生きているはしためをもらうのだ。

 

神の領域は聖

完全な光

闇があり、罪が残り、まんまのはしためを手許に引き寄せたら消えてしまう。

 

花嫁の存在は無くなってしまう。

 

恋い慕ってくださる方は、繊細かつパーフェクトな形で

嫁取り物語を完成させて下さった。

 

***

 

十字架上で人の子としてご自身で死を成就され、

黄泉にまで下り、

三日目に蘇って、

天の御父のもとへ帰り、右の座に座しておられる。

 

備えは十分贈った。

 

慢心なく応えようとする花嫁支度はできたか。

 

***

 

十字架の血潮は

花嫁になる条件である。

 

聖である方の手許で消えてなくならない存在として

恩寵を限りなく受け取ってきたと自覚する者の知る最低限の条件。

 

***

 

一度目

ゲッセマレで流された額の血潮

「思い」

人の思いを死に渡し、蘇りは三日後はもう「聖」

 

二度目

髭をローマ兵に抜かれ血が流れた

髭は

「誇り、プライド、恥」

恥などもうない。

生の魂のプライドなど死んだ。

蘇りは

「あなたはわたしにとっては高価で尊い」

と花婿から言われる唯一無二の存在としてのほんものの尊厳が生まれる

 

三度目

39回のムチ打ち

病気のカテゴリーは39

全ての病を死に渡し

永遠の朽ちない体へといざなわれた

 

***

 

四回目

手の杭

能力・タラント

生まれたままのこれしかできないが死に渡され

神の無限大

地境を超える能力が蘇りとなる

 

***

 

五回目の血潮

足の杭

では、これは高揚したひと時か?

人の歩みの限界は死に渡され

無限大の疲れ知らずの臆病な歩みは蘇りにはない。

 

***

 

6回目

いばらの冠

頭は血だらけになられた。

状況・境遇・環境

蘇りは、そこからの真の解放・ほんもののフリーダムである。

 

七つ目

心嚢がローマ兵の槍によって貫かれた。

損傷は、

体液・血液を流し続けていく。

神の子の血潮は永遠である。

今もなお信じる者のためその血は流れており

完全な救い、

新しいものへと移されるために流されていると書かれている。

 

***

 

7は完成

成就を意味し、

8は7+1

イエス様は成就であり初穂である。

 

蘇りである。

 

***

 

神を知ることは奇跡

神側からの恩寵

 

***

 

状況がだんだんと深刻になっていくなか

急ぎ足になった感は否めませんが、書かないと眠れそうにもないので

荒い内容ですが、急いで記事にしました。

 

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聖書のラブレター

 

6 主は、あなたを、

  夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、

  若い時の妻をどうして見捨てられようか。」

  とあなたの神は仰せられる。

 

 

7 わたしはほんのしばらくの間、

  あなたを見捨てたが、

  大きなあわれみをもって、あなたを集める。

8 怒りがあふれて、ほんのしばらく、

  わたしの顔をあなたから隠したが、

  永遠に変わらぬ愛をもって、

  あなたをあわれむ。」と

  あなたを贖う主は仰せられる。

  

           (イザヤ書54章)

 ***

 

 聖書は神様の嫁取り物語

 若い時の妻とは誰・・・

 

 主は34歳半ばで十字架に架かり、

 ご自身の血という代価であなたを贖う。

 旧約聖書のイザヤ書に記されたことば

 

 

 花婿はご自身の聖なる闇が一切混じれない世界へ

 花嫁を迎えるために、「ことば」という幕屋を張り

 死に、三日目に蘇り、天へと戻られ、御父の右の座に座し、

 花嫁を待っている。

 迎えに来るとまで書かれている。

  

 人は霊的にはすべてが女性だと教会で教わった。

 神のみが完全なる帰るべき男性として書かれている。

 私たちは、蛇に騙された女性

 それをほんのしばらくの間、一度は見捨てたと正直に書かれている。

 夫の憐れみのゆえ、

 贖われたという、恐ろしくも大胆な愛の物語。

 この世で私たちはシュミレーションのように

 いくつもの愛を味わっているのだと思う。

  

 

 

 人は段階的にみな半人前なのだと思うと、

 夫婦も恋人も愛おしくなるというもの。

 神様の代価は半人前を補って一人前にしてくださるのだという。

 

 

 

 愛が薄くなっていく時代、

 人間だけの互い様に半人前の不確かな愛だけでは他者は救えない。

 だからこの方のことを聖書は、救い主と呼ぶのだと知る。

 

 

 

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  • 聖書
不思議な夢

不思議な夢をみました。

 

大きな雲が二つ重なるように垂れこむようにどんどん迫ってきて

部屋にいた人たちへ逃げて、と叫んだが

それは満ちてしまって

被った雲の正体を見極めようと目を凝らし続けていると

姿がはっきり見えてきた。

 

いくつかを見たがどれも同じ姿ではなく

気を失いそうなほどの恐怖に襲われ

しばらくすると

見覚えのある祭司が数名入ってきて

自分も白い着物を羽織って加わった。

 

子どもたちや亡くなった母親がさわやかな笑顔で嬉しそうに

私を招いていた。

 

久しぶりな子供たちに、

「元気そうだね。いきいきとしているね」

といい、

母の嬉しそうな顔に緊張しながら頷いてみせた。

 

***

 

今朝は非常に具合いが悪い。

 

子供と二人だけの自宅で過ごす生活も2か月はゆうに過ぎた。

 

洗礼を受けたあと、もう何年も心の奥が不安を覚えたことはなく

洗礼前は怖いことは当たり前に多く感じたのですが、

洗礼後の歳月は心の奥が凪だったというか、波立ったことがない。

 

***

 

ところが夢のあと、今日は五臓六腑に恐れがついたような

これまで経験したことのない畏怖に包まれている。

 

「とりなしてがいない」

 

聖書にある言葉だが、ここにおります、主よ!

と調子よく、つい昨日まで祈っていたのですが、

今日は頭がまわらず、違和感がいっぱい。

 

***

 

神様はおられる。

 

祈りはほとんど叶えられてきたと思う。

 

自分の事より他者のことをその方の痛みのままに祈ると

ほぼ叶えられた。

 

お金が数分で与えられた人もいる。

 

病気が治った人もいる。

 

奇跡としか思えないようなことは何度も経験した。

 

自分は祈りてだと自負もあった。

 

***

 

人は悪魔ではない、と聖書にあります。

 

その人の心の思いが呼び寄せそれを行わせる。

 

前回、一回目の血潮、額(思い・思考)を少し書いたが

完成の7回の血潮の意味を書くのを休んでいるのも気が引けている。

 

遅くなるようにみえても間に合わないことはない、とも聖書にあります。

 

私の夢に出てきた祭司の顔。

 

役に立たない者だけにはなりたくない。

 

恐れるな、たじろぐな、虫けらのヤコブ、わたしはあなたの神である。

 

***

 

「時」

がきたのに、一心に祈ろうとするのにまだ何かが邪魔をする。

 

ふたりあるいは三人以上の者でわたしの名で祈るならばなんでもそれを叶えようと神が語っておられる。

 

子供は今を仕方ない、とはっきり言う。

 

まっすぐブレずにいつも一緒に祈ろうとする。

 

この子は障害がある。

 

天使だとなんども思ってきたが、

夢の中でこの子は一緒にいた。

 

守らなければ、と感染予防に倒れるわけにはいかないと気を張ってきたが

今日のこの時のために、わたしたちはいたのだと思う。

 

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」

わが父、わが父、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。

 

アラム語を研究しているのだとここへコメントを下さった兄弟が

「わたし、このわたしは、このときのためにあった」

という訳を説明書き送って下さったことがある。

 

わたしは在る、という名の神様。

 

十字架上の神の業を知るには十分なことばだと私は鳥肌が立った。

 

私たちはあなたの似姿まで練られ育てられます。

 

復活の姿は、イエス様がなされたことを書き記すなら、この世には入りきれない

というほど、救われた人の数は多く、神に似せられて造られた人の数はおびただしい。

 

いつでもどこでも祈れる時代

感謝して今日も祈る。

 

***

 

ひとりは階下へ荷を取りに戻り、ひとりはそのまま喜んでついていく

戻るのは魂という殻へ戻ることをいい、

喜んでついていくのは聖霊なる神の招きにそのまま従うこと

と教会で教えていただいた。

 

もちろん後者以外を思ったことはない。

 

魂の殻が破れて神の霊が溢れた喜び以上の至福はない。

 

自分のちっぽけなやり方など、どれも思い出したくない悔いばかり。

 

謝り続けても足りない魂のままだった頃の人生の足跡。

 

どれも自分でいくら謝って悔いても過去は戻らない。

 

ところが殻が割れたところから過去さえも踏みなおして下さる主がおられた。

 

神の子の血潮の贖いの力は時空間も越え自在、無限大。

 

だからのうのうと今、自分はこうして生きておれるのだと何度も思います。

 

誰彼の力で弁償できるほど、誰彼の一人の人間の力で人の人生は救えない。

 

人はいつも知らずに存在だけで他者を傷つけることがある。

 

そういうことさえ、神を見てしまったら、

膝まづいて祈る人にかえられていくのだと、私は思います。

 

「とりなしてはここにおります。お使いください、主よ」

 

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