カテゴリー:聖書
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故郷では尊ばれない

 

イエスご自身が、

「預言者は自分の故郷では尊ばれない。」 

と証言しておられたからである。

     (ヨハネ4章44節)

 

それでもイエス様は故郷へ足を運ばれている。

 

***

 

あれは大工の倅じゃないか

ナザレからなんの良いものが出ようか

聖書で語られている言葉は、今もなおリアリティがある。

 

故郷では多くのしるしをなさらなかったが、

確かに行かれたと記されている。

天に帰られた主は、

 

サウロ、サウロ、と異邦人へ福音を伝えよ、とも語られた。

 

うなじの強い同胞の所へも出向き

そして、異邦人への道をも開かれた。

 

御父との約束以外のことは天へ昇られて御父の右の座

主権の座に着かれてサウロを召して成就された。

 

神様の仕事には取りこぼしがない。

完璧である。

 

被造物全てを救う神様の道は整えた。

あとは自由意志である、と聖書は語る。

 

めいめいのいのちである。

花嫁を強引に嫁にしたところで花婿は幸せではない。

 

喜んで

私で良いのですか

とバージンロードを歩いてきてくれる花嫁を迎えたい

ものではないだろうか。

 

赤いみちのり

バージンロード

血の道を残して、しるしとして

わたしに帰れ、と主は語る

 

郷里に向かう足取りはコロナ禍で重い

PCR検査陰性の証明書を手にし

濃厚接触者をほぼゼロにして

万全の感染予防をして・・・

それでも重い

 

そんななか

みことばは腹に甘い

 

信仰生活は

天から今を見る生活である。

天国から真下を見る連続の感覚である

 

昨日があり今日があり明日がありの一本線だけではない

天から垂直に降りて、下の黄泉まで制している神の視点を

同時に持つ感覚である

 

それは十字になり

四人で担げば申すになり

 

そこにあるのはやはり腹に甘い、という感覚である

同じ場所、同じ時間でも

天国にいたような感覚を

四人でいた年末年始に強く感じさせていただいた。

ひととき本当に天国にいたのかと思うほど幸せだった。

 

誰が主の網にかかった同胞だろうか

人の思いをはるかに超えて

神様がなさることはただ人の目には奇跡

 

大変な時だからこそ

「時」

を逃すまい。

 

油をたずさえた賢い乙女であれ、と聖書は語る

油は神の霊という意味

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夕があり

 

こうして夕があり、朝があった。第一日目 (創世記1-5)

 

***

 

私には人生の記憶が二種類ある

 

洗礼を受けたいきさつは何度か書いてきましたが

before after できれいに分けられている

 

洗礼のあと、

「こうして夕があり、朝があった」

 

いきなり朝の体験がない

 

十字架刑は夕方完成したので

夕焼けで人が寂寥感に襲われる普遍は意味があるのだと思う

 

それに私は木材に落ち着いてしまうので

山小屋・海小屋・畑小屋のようなインテリアに惹かれてしまう

 

誰から強いられたわけでもないのに

十字架上のイエス様の姿やお顔の絵や映像を見ると

自分の息子・・・あるいは父親や

あるいは兄弟が・・・

苦しんでいる傍らにいる男性が

理不尽にも磔にされている光景に見えてきて

胸が痛み涙があふれる

 

見上げていたマリアを初めヨハネや女たちの痛みが自分に重なる

今もこの時も

ゴルゴタの丘の十字架刑は自分と無関係なものではない

と、はっきり何のことよりもリアリティとして迫ってくる

 

神が人となって十字架にかかり

死んで三日目に蘇られた

 

こうして夕があり、朝があった

 

***

 

 

このことを

わが身のこととして刻まれたことをなによりだと思う

そうでなければ

自分の肉体の朽ちる時もそうだろうが

 

自分が生んだ子供たちの生きている全てを

守れるはずもない自分の非力さにいつまでもオタオタしていたと思う

 

この世の君を制し黄泉にまで下り、アビスに閉じ込め

天に帰られた神

 

天と地とを結ぶ

恐れなくても良い

わたしを通れ

わたしが道である

 

と十字架を示して下さった

 

人の体の痛みを表す医学用語でもある、閾値

不思議だが、有るか無いかである。

 

痛みの波は5だろうが3であろうが

有るか無いかである。

 

鳥居をくぐった瞬間の行為を語源としているというから

日本語は凄い

 

夕がわかるか

朝がわかるか

 

神は今もなお道を示し続けている

私はもうくぐった。

 

 

有るか無いかでいえば、無い

***

 

夕焼けが美しい

けれど寂しい

 

人は神様を十字架にかけてしまったのだから

 

彼らは何をしているのかわからないのです

父よ、彼らをお許しください

 

イエス様はそう語って

全人類のための罪の贖いとなられました

これが救い、メシアの意味だと聖書にあります

 

  

 

 

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勘が冴えてきた

集中力がますます一点化してきたのか、

ここ数日、不思議な気がしています。

 

至聖所をイビといいますが

胎児の時の記憶なのでしょうか、不思議な

感覚が続いています。

 

不思議というのも神様のお名前

原点回帰

 

祈りはどこでもできますが

いつでもどこでも、と聖書にありますが

 

原点回帰

このような時だから気づいたのだと思います。

 

一生をかけて、

いえ、何代もかけて

 

神様の前で跪いて祈る

私は他の職業を生き、子供を育て

都会でも田舎でも暮らす機会を十分味わってきた。

 

体力も気力もまだ使おうと思えば、ある。

それなのに、のんびりと巣立った子供のことを

あれこれ心配したり・・・

 

わたしのくびきは軽い、

と神様は語られます。

 

くびきとは、畑を耕すとき、

牛馬に乗せられるそれ

 

以前も書きましたが、記事がおおかた消えたので

また書きたいと思います。

 

***

 

くびきを乗せられる前に

神様は休ませてあげる、と語られます。

 

神様の語る休ませてあげる、

は、まことの平安ですから、

本当に労苦から解放されます。

 

主の山に備えあり

 

そのあとに、くびきがありました。

先に、くびきがあったわけではありません。

 

今なら、神様のくびきを思い切り感じていたい、という身勝手

そんな甘えた心構えを

 

十二分に整え、「時」 を、くださるのも神様

強制ではなく応答に応答

 

喜んで仕えたいと、

ほっておいた体を、見合うように管理したいと真剣に思います

 

親の代は若くして選ばれ仕え

さぞかし苦労もあっただろう、と思った日々もありましたが

 

戦後、物のない時代

静寂の空間で、祈りの時間を堂々と持てたのは

それはそれで振り返れば有難いことだったのだろうとも思う。

 

 

胎のうちから神様に捉えられている

逃れることなどできない

なんとも甘い感覚が香るように、心がとろけそうなことば

 

 

放蕩息子のような、ホセア書の女房のような・・・

 

ホセア書3章  

 

2 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。

 

イエス様は銀三十シェケルで売られた。

私たちはこの方に贖い出されて、

それまでは半人前

 

くびきがのせられ、

ようやく始まる仕事がある、と書かれています。

 

その前に

疲れた者はわたしが休ませてあげます

そのことばが成就してから

神様は成就ですから

 

 

 

 

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1 私は、見張り所にしっかり立ち、

  とりでにしかと立って見張り、

  主が私に何を語り、

  私の訴えに何と答えるかを見よう。

  

2 主は私に答えて言われた。

  幻を書きしるせ。

  これを読む者が急使として走るために、

  板の上にはっきりと書きしるせ。

  

      (ハバクク書2章)

 

四連休、遠出もできないので、人気のない山道を子供と歩いてきた。

アスファルトではない、土の上を歩ける幸いに感謝しながら歩いた。

彼岸花が人気のない山道で咲いている。

誰かが植えたのだろう。

上京し、季節ごとの祭りとも縁が無くなり、

今年の大きな足止めに、ポカンと時間が過ぎていく。

医療の仕事は時に専門バカと互いに呟くほど、社会を知る機会が遠い

人が寝ている時間に起き、起きている時間に寝ていることもある。

今年に入って、コロナ禍で世界中が大変な事態になることなど

想像していたわけでもないが、TVと大きなソファを買った。

半年以上、TVを観倒した感がある。

いつの間にか秋。

不器用なので、多くのことを同時にするのは難しい。

冬に備えて、

 

幻を書きしるせ、

そうしてシェアをしなければと

彼岸花を山道で見て改めて思いました。

 

一生は案外、束の間。

親もその親もその上の親も、思ったであろう。

だが、大抵は老いて気づいたのであろうと思う。

若いうちは自分の目の前のことでいっぱい、

 

多くを残したい、伝えたいと思うが若い次世代には

それを悠長に付き合う時間が作れない。

 

子どもたちの今は彼らの遥か先の今ではない。

遥か先の彼らが急いて残さなければと思うことを残そう。

そう思うと、肝が据わった。

不思議だ。

私は初めの文章が浮かぶと同時に完了までを

指で受けてめて書いてきた。

自分はただ指を動かしているだけだと

自分が一番よく知っている。

 

DNAの記憶というのだろうか。

阿吽で話の合う人がいる。

 

鳥肌が立つほど相手の話に合点がいくことがある。

私の歩いてきた履歴書は自分で書きだすことができる。

短い履歴書だと思う。

歴史を見たこともないのに何故見てきたように書いてきたのだろう。

神が答える、という場合、

微妙なズレはない。

完全である。

応じる、こたえとは違い、

完璧な答え、

漢字は凄いと改めて思います。

合う、契約の箱、の上に書きしるせという竹の漢字

神から受けたことだけを書く

 

まことの答え、

ぴったりと合う答えは神から出たことばだけだと改めて思いました。

 

止まった時間を少しづつ動かしながら、

自分のやるべきことをやる、

 

動かして下さるのも主

止め置いて下さったのも主