カテゴリー:聖書
  • 聖書のラブレター

    2020/06/23

    聖書

    6主は、あなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、若い時の妻をどうして見捨てられようか。」とあなたの神は仰せられる。7わたしはほんのしばらくの間、 ...

  • 不思議な夢

    2020/04/17

    聖書

    不思議な夢をみました。大きな雲が二つ重なるように垂れこむようにどんどん迫ってきて部屋にいた人たちへ逃げて、と叫んだがそれは満ちてしまって被った雲の正体を見極めよ ...

  • わたしに帰れ。

    2020/03/19

    聖書

    ー万軍の主の御告げ。-そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。(ゼカリア書1-3)「わたしに帰れ」こんな甘い言葉がありましょうか。それなの ...

聖書のラブレター

 

6 主は、あなたを、

  夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、

  若い時の妻をどうして見捨てられようか。」

  とあなたの神は仰せられる。

 

 

7 わたしはほんのしばらくの間、

  あなたを見捨てたが、

  大きなあわれみをもって、あなたを集める。

8 怒りがあふれて、ほんのしばらく、

  わたしの顔をあなたから隠したが、

  永遠に変わらぬ愛をもって、

  あなたをあわれむ。」と

  あなたを贖う主は仰せられる。

  

           (イザヤ書54章)

 ***

 

 聖書は神様の嫁取り物語

 若い時の妻とは誰・・・

 

 主は34歳半ばで十字架に架かり、

 ご自身の血という代価であなたを贖う。

 旧約聖書のイザヤ書に記されたことば

 

 

 花婿はご自身の聖なる闇が一切混じれない世界へ

 花嫁を迎えるために、「ことば」という幕屋を張り

 死に、三日目に蘇り、天へと戻られ、御父の右の座に座し、

 花嫁を待っている。

 迎えに来るとまで書かれている。

  

 人は霊的にはすべてが女性だと教会で教わった。

 神のみが完全なる帰るべき男性として書かれている。

 私たちは、蛇に騙された女性

 それをほんのしばらくの間、一度は見捨てたと正直に書かれている。

 夫の憐れみのゆえ、

 贖われたという、恐ろしくも大胆な愛の物語。

 この世で私たちはシュミレーションのように

 いくつもの愛を味わっているのだと思う。

  

 

 

 人は段階的にみな半人前なのだと思うと、

 夫婦も恋人も愛おしくなるというもの。

 神様の代価は半人前を補って一人前にしてくださるのだという。

 

 

 

 愛が薄くなっていく時代、

 人間だけの互い様に半人前の不確かな愛だけでは他者は救えない。

 だからこの方のことを聖書は、救い主と呼ぶのだと知る。

 

 

 

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不思議な夢

不思議な夢をみました。

 

大きな雲が二つ重なるように垂れこむようにどんどん迫ってきて

部屋にいた人たちへ逃げて、と叫んだが

それは満ちてしまって

被った雲の正体を見極めようと目を凝らし続けていると

姿がはっきり見えてきた。

 

いくつかを見たがどれも同じ姿ではなく

気を失いそうなほどの恐怖に襲われ

しばらくすると

見覚えのある祭司が数名入ってきて

自分も白い着物を羽織って加わった。

 

子どもたちや亡くなった母親がさわやかな笑顔で嬉しそうに

私を招いていた。

 

久しぶりな子供たちに、

「元気そうだね。いきいきとしているね」

といい、

母の嬉しそうな顔に緊張しながら頷いてみせた。

 

***

 

今朝は非常に具合いが悪い。

 

子供と二人だけの自宅で過ごす生活も2か月はゆうに過ぎた。

 

洗礼を受けたあと、もう何年も心の奥が不安を覚えたことはなく

洗礼前は怖いことは当たり前に多く感じたのですが、

洗礼後の歳月は心の奥が凪だったというか、波立ったことがない。

 

***

 

ところが夢のあと、今日は五臓六腑に恐れがついたような

これまで経験したことのない畏怖に包まれている。

 

「とりなしてがいない」

 

聖書にある言葉だが、ここにおります、主よ!

と調子よく、つい昨日まで祈っていたのですが、

今日は頭がまわらず、違和感がいっぱい。

 

***

 

神様はおられる。

 

祈りはほとんど叶えられてきたと思う。

 

自分の事より他者のことをその方の痛みのままに祈ると

ほぼ叶えられた。

 

お金が数分で与えられた人もいる。

 

病気が治った人もいる。

 

奇跡としか思えないようなことは何度も経験した。

 

自分は祈りてだと自負もあった。

 

***

 

人は悪魔ではない、と聖書にあります。

 

その人の心の思いが呼び寄せそれを行わせる。

 

前回、一回目の血潮、額(思い・思考)を少し書いたが

完成の7回の血潮の意味を書くのを休んでいるのも気が引けている。

 

遅くなるようにみえても間に合わないことはない、とも聖書にあります。

 

私の夢に出てきた祭司の顔。

 

役に立たない者だけにはなりたくない。

 

恐れるな、たじろぐな、虫けらのヤコブ、わたしはあなたの神である。

 

***

 

「時」

がきたのに、一心に祈ろうとするのにまだ何かが邪魔をする。

 

ふたりあるいは三人以上の者でわたしの名で祈るならばなんでもそれを叶えようと神が語っておられる。

 

子供は今を仕方ない、とはっきり言う。

 

まっすぐブレずにいつも一緒に祈ろうとする。

 

この子は障害がある。

 

天使だとなんども思ってきたが、

夢の中でこの子は一緒にいた。

 

守らなければ、と感染予防に倒れるわけにはいかないと気を張ってきたが

今日のこの時のために、わたしたちはいたのだと思う。

 

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」

わが父、わが父、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。

 

アラム語を研究しているのだとここへコメントを下さった兄弟が

「わたし、このわたしは、このときのためにあった」

という訳を説明書き送って下さったことがある。

 

わたしは在る、という名の神様。

 

十字架上の神の業を知るには十分なことばだと私は鳥肌が立った。

 

私たちはあなたの似姿まで練られ育てられます。

 

復活の姿は、イエス様がなされたことを書き記すなら、この世には入りきれない

というほど、救われた人の数は多く、神に似せられて造られた人の数はおびただしい。

 

いつでもどこでも祈れる時代

感謝して今日も祈る。

 

***

 

ひとりは階下へ荷を取りに戻り、ひとりはそのまま喜んでついていく

戻るのは魂という殻へ戻ることをいい、

喜んでついていくのは聖霊なる神の招きにそのまま従うこと

と教会で教えていただいた。

 

もちろん後者以外を思ったことはない。

 

魂の殻が破れて神の霊が溢れた喜び以上の至福はない。

 

自分のちっぽけなやり方など、どれも思い出したくない悔いばかり。

 

謝り続けても足りない魂のままだった頃の人生の足跡。

 

どれも自分でいくら謝って悔いても過去は戻らない。

 

ところが殻が割れたところから過去さえも踏みなおして下さる主がおられた。

 

神の子の血潮の贖いの力は時空間も越え自在、無限大。

 

だからのうのうと今、自分はこうして生きておれるのだと何度も思います。

 

誰彼の力で弁償できるほど、誰彼の一人の人間の力で人の人生は救えない。

 

人はいつも知らずに存在だけで他者を傷つけることがある。

 

そういうことさえ、神を見てしまったら、

膝まづいて祈る人にかえられていくのだと、私は思います。

 

「とりなしてはここにおります。お使いください、主よ」

 

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7つの血潮 十字架上の贖いの成就  1額の血潮

7は完成・完了・成就の意味をもつ。

 

神の子の血潮が流された順序

 

***

 

42「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

43すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。

44イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

        (ルカ22章)

 

42イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」

43イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。

44イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。

        (マタイ26章)

 

***

 

十字架へとむかう道

神の子の血潮が最初に流された場所は額、思考を象徴する場所。

 

「思い、善悪の木の実を人類が食べた初めに起こったこと、考えること」

 

***

 

御使いが力づけに現れます。

 

人の子としてのナザレのイエス様、人類への贖いの血潮は「思い」から

人としてそこが死に渡され、神の領域のみへ復活のプロセスの始まりです。

 

思いは千里を走ります。

 

人の思いは罪です、と聖書にあります。

 

***

 

ただ忘れずに覚えてほしいのは、ナザレのイエス様には罪がありません。

 

人の子の思いが「死」に渡される、流されたところから神が触れても消えない「永遠のいのち」をもった領域が誕生する。同じ人の体の上で起きていく奇跡、これが十字架上の奥義だと思います。

 

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わたしに帰れ。

ー万軍の主の御告げ。-

そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。

         (ゼカリア書1-3)

「わたしに帰れ」

こんな甘い言葉がありましょうか。

それなのに、こういう状況下でいろいろなことを見てもまだ自分があれこれと帰ろうとしないことに気づいた次第です。

死ぬだろうな、と救急室で見た光景からもうだいぶ歳月が過ぎました。

生還から自分が見てきた光景は思えば綱渡り

今回も二日か三日前に不思議なことをしている自分がいる。

***

ソファを買い、TVを買い、こもる部屋をつくり

子供を休ませ、伝えられる人へ伝え

自分は何をしているんだろうか、

と思う前に、世の中が一変した。

日常を元へ戻す力、

多くの人があたり前にあると思っているのだとしたら

それは凄いことなのかもしれません。

転ぶ人もいるが進む人もいる

世代の差もあれば力の差もある。

***

「わたしに帰れ」

個人の心の中はその人しか知らない。

私は自分のこともまだよく知らない。

それなのに、

どうしてこの言葉は、本当に底に足がついただろうなという時にしか

自分の心に蘇ってこないのだろうか。

それまでは多くの言葉が溢れて私を生かしているのに

死ぬかもしれない際でしか聞こえてこなかったのだろうか。

***

できれば子供連れで帰っていいですか。

子連れでお嫁にいっていいですか。

聖書は神の子の嫁取り物語

最高のラブストーリーだというのを知ったのは生還して五年後

「わたしに帰れ」

究極のプロポーズのことばを今日は思い出しました。

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