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7つの血潮 十字架上の贖いの成就  1額の血潮

7は完成・完了・成就の意味をもつ。

 

神の子の血潮が流された順序

 

***

 

42「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

43すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。

44イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

        (ルカ22章)

 

42イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」

43イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。

44イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。

        (マタイ26章)

 

***

 

十字架へとむかう道

神の子の血潮が最初に流された場所は額、思考を象徴する場所。

 

「思い、善悪の木の実を人類が食べた初めに起こったこと、考えること」

 

***

 

御使いが力づけに現れます。

 

人の子としてのナザレのイエス様、人類への贖いの血潮は「思い」から

人としてそこが死に渡され、神の領域のみへ復活のプロセスの始まりです。

 

思いは千里を走ります。

 

人の思いは罪です、と聖書にあります。

 

***

 

ただ忘れずに覚えてほしいのは、ナザレのイエス様には罪がありません。

 

人の子の思いが「死」に渡される、流されたところから神が触れても消えない「永遠のいのち」をもった領域が誕生する。同じ人の体の上で起きていく奇跡、これが十字架上の奥義だと思います。

 

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わたしに帰れ。

ー万軍の主の御告げ。-

そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。

         (ゼカリア書1-3)

「わたしに帰れ」

こんな甘い言葉がありましょうか。

それなのに、こういう状況下でいろいろなことを見てもまだ自分があれこれと帰ろうとしないことに気づいた次第です。

死ぬだろうな、と救急室で見た光景からもうだいぶ歳月が過ぎました。

生還から自分が見てきた光景は思えば綱渡り

今回も二日か三日前に不思議なことをしている自分がいる。

***

ソファを買い、TVを買い、こもる部屋をつくり

子供を休ませ、伝えられる人へ伝え

自分は何をしているんだろうか、

と思う前に、世の中が一変した。

日常を元へ戻す力、

多くの人があたり前にあると思っているのだとしたら

それは凄いことなのかもしれません。

転ぶ人もいるが進む人もいる

世代の差もあれば力の差もある。

***

「わたしに帰れ」

個人の心の中はその人しか知らない。

私は自分のこともまだよく知らない。

それなのに、

どうしてこの言葉は、本当に底に足がついただろうなという時にしか

自分の心に蘇ってこないのだろうか。

それまでは多くの言葉が溢れて私を生かしているのに

死ぬかもしれない際でしか聞こえてこなかったのだろうか。

***

できれば子供連れで帰っていいですか。

子連れでお嫁にいっていいですか。

聖書は神の子の嫁取り物語

最高のラブストーリーだというのを知ったのは生還して五年後

「わたしに帰れ」

究極のプロポーズのことばを今日は思い出しました。

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