母を看取って下さった主治医の凄さ

 

 

今日は自分の受診で母がお世話になっていたクリニックへ、 

 

 

 

田舎から連れて来た母と過ごした時間が貴重すぎて

主治医が退職されたあとも自分の受診も東京へ戻るとお世話になっている。

 

コロナ禍が今のように大きな状況になる前、

母を看取った先生はお辞めになり、自宅近くで勤務されていると聞いた。

先生の勤務地へ通うには遠すぎるのと

二拠点生活の今の状況では、歩いて通えるところが一番ムリがない。

 

田舎での救命時、心臓マッサージで肋骨骨折を負った母の看取りは

体位交換をする時にいかに痛みを起こさせないで、できれば食事や散歩も

させてあげたい、という目標を共有するところから始まった。

 

慢性疼痛のための、麻薬管理の資格をさっそく取って下さった先生は

母が初老期に骨折した手が赤く腫れた時、すぐに駆けつけて下さった。 

 

 

うちで滞在中の初めての痛み出現は、古キズからだったが

カロナールを二度飲むだけで炎症は消え、亡くなるまで痛み止めは

使わずに看病は終わった。

 

呼吸が荒くなり始めたころ、

深夜、呼吸停止した時の対応のことを先生へ話そうとしたら

00さん、ちょっといい

 

とドアの向こうまで連れていかれ

お母様はまだ生きておられます。

これが自宅で看取るということです。

怖がらせてはいけない、しっかりしてください、と

明確に指示を下さった。

 

そして翌日の深夜、母は旅立った。

 

先生のことばという処方箋で、原点に視野が戻った私は

母の横に、ベッドに入って横になった。

荒い息が少し穏やかになって、腰を引こうとしているのがわかった。

 

娘の私に

狭くはないか、もっと寄ってもいいよ、と動かせないはずの体から

伝えようとしている。

 

「ありがとう、お母さん。じゅうぶん広いよ。

お母さんの子供でありがたいなあ、産んでくれてありがとうね。

お母さんの背中ずうとみさせてもらって、私は得ばっかりしてる。

東京来てくれてありがとう」

 

腰が触れる距離で寝ながら話したら本当にそうだと涙があふれてきた。

 

かっこよく、看取りのいわばプロ

任せて、と兄弟へ言って引き取ったが

親の死は想像以上に辛かった。

 

心はやる私に優しいけれど的確に言葉をかけて下さった先生は

訪問のたびに

「お宅、きれい。本当にきれい」

と褒め上手でいらした。

おかげさまで、花はいつもきれいに訪問スタッフを迎えようと

ぬしと共に張り切っていた。

 

優しい先生のたった一回の、たしなめるようでいて痛みに添った言葉

 

 

プロなんていない、

死と向き合うのにマニュアルなんてない

 

それぞれが一度きりの人生の最後

 

愛する人を失うのは誰がどう励まそうが辛い

身がちぎれるようなものだ。

 

 

コロナ禍で私はべつの形で時代の苦しみに添うのだと

二拠点生活を始めたが、力不足に打ちのめされる毎日だ。

 

カロナール2錠と

主治医の立場からかける言葉の意味と

凄い先生に看取ってもらえたんだね、お母さん、と

今日は母の遺影に語りかけている。

 

54年、公的祭司だった母親を故郷で見送る時

看取りのアルバムに映る主治医の先生へ、

ありがとうございました、と手を合わせて誰もが頭を下げた。

 

そういうことを先生へ伝える間もなく

コロナ禍が来て会えなくなってしまった。

 

それぞれの役割が終わり

天国でお会いするでしょうから

その時に、神様の前でお礼するといいね

 

お礼しそびれた人の話がでると、そういうことを母は子供たちへ

よく語ってくれた。

 

人の体はひとりに一体

 

それを互いに支えあって助け合って、生きている。

 

さあ、また頑張ろう、という気持ちが起きてきた。

できればお助けマン、生涯現役でいたい。

そのためにも自分の体も健康でいたい。

 

 

先生、お体おいとい下さい。

そして本当に心からあらためて感謝申し上げます。

 

先生が当たり前だと思ったらバチ当たるなあ、と

先生の凄さを味わいなおしています。

 

 

 

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