木造長屋三階建ての泊宿

 

大昔の話で写真は焼けてしまってないのだけれど

と、伯母から、月夜の下で聞いた話

 

私が珈琲を淹れてカステラ一切れを添えて、庭に置かれた椅子で

伯母をもてなした時のこと

 

この家は昔ね、三階建てだったんだよ

一階が馬小屋

二階が母屋

三階は客人が泊まる部屋

 

竹で編まれた縁側の先に、芭蕉に包まれた餅や燻製された蛸や烏賊が吊るして

あって、客人がいつでも食べれるようにしてあったらしい。

 

馬小屋では客人の馬が休んでいて、

客人をとても大切にするという風習があったらしい。

 

お金をとるお宿ではないので

子供がいなかったからできた話だ、と叔母は話していた。

 

旅の人は神様の使いのような

村以外の知恵が行きかうわけだから、

今のようなTVやネットや電話ができるような時代ではないのだから

聞いていて、とてもロマンティックな気分になったのを覚えている。

 

門の入り口に今でもあるジャスミンの花や桃の木は

当時もあって、お茶になり、おやつだったりしたらしい。

 

泊まることで、

食も一緒にすることで距離も近くなる。

一期一会ばかりだっただろう時代

海を渡ってきた人が束の間の荷を解いて、心を休めて

また荒波を渡って、それぞれが目的地へ帰っていく。

 

「もう帰るの?」

 

今でも帰るとなると、ものすごく互いに切なくなるが

当時は今生の別れ、気を許しあった分、辛かったのかもしれない。

 

豊かになったぶん

人の心はたぶんもろくなった。

だから深い話はよほどでないと皆避けていくのではないのかな、

とも思う。

 

ブログを書いたり

物語を書いたり、

本来は向かい合った人とする会話のようなものを

ひとりPCに向かってする。

 

子供とだってこんな会話はしたことがないや、

ということを、ぽつり、ぽつりと書いたりする妙な気分

日記を公開しているようなものだが、

プロを意識していくなら、エッセーでも素顔はさらさず、薄化粧

物語など、歌舞伎の化粧よりも濃いものだから、と教わったことがある。

 

ペンネームをいくつか使い、30年、書くことと医療の仕事の二束わらじ

を続けてきたが、旅人とだけ、泊まったマレビトとだけ語りあかした先祖が

うらやましくなってきた。

 

人の距離が遠くなってしまったこの時代がなければ

そういう気持ちは起きなかったと思う。

人恋しいから、おもてなしはクオリティが上がっていったはず。

 

旅したいし、

田舎滞在中は、訪ねてくる人を心を込めてもてなそう、

 

ウイルス関連の難儀に疲れて少し小休止の気分です。

 

 

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