木造長屋三階建ての泊宿

 

 御礼までに、

「緩和ケア病棟」 拙本はバレンタインディのちょうど最中だったからか、配達先不明で残念ながら二度も戻ってきてしまいました。

 教えて下さった皆様、誠にありがとうございました。

 拙本にとっては力及ばずで残念な結果ですが、これからもますます横浜流星さんを応援してまいりたいと思います。ファンの皆様に心から改めて感謝申し上げ、ご報告となれば幸いです。ありがとうございました。

  

 *** 

 

(過去記事より)

 

大昔の話で写真は焼けてしまってないのだけれど

と、伯母から、月夜の下で聞いた話

 

私が珈琲を淹れてカステラ一切れを添えて、庭に置かれた椅子で

伯母をもてなした時のこと

 

この家は昔ね、三階建てだったんだよ

一階が馬小屋

二階が母屋

三階は客人が泊まる部屋

 

竹で編まれた縁側の先に、芭蕉に包まれた餅や燻製された蛸や烏賊が吊るして

あって、客人がいつでも食べれるようにしてあったらしい。

 

馬小屋では客人の馬が休んでいて、

客人をとても大切にするという風習があったらしい。

 

お金をとるお宿ではないので

子供がいなかったからできた話だ、と祖父母のことをそう叔母は話していた。

 

旅の人は神様の使いのような

村以外の知恵が行きかうわけだから、

今のようなTVやネットや電話ができるような時代ではないのだから

聞いていて、とてもロマンティックな気分になったのを覚えている。

 

門の入り口に今でもあるジャスミンの花や桃の木は

当時もあって、お茶になり、おやつだったりしたらしい。

 

泊まることで、

食も一緒にすることで距離も近くなる。

一期一会ばかりだっただろう時代

海を渡ってきた人が束の間の荷を解いて、心を休めて

また荒波を渡って、それぞれが目的地へ帰っていく。

 

「もう帰るの?」

 

今でも帰るとなると、ものすごく互いに切なくなる島を離れる時の誰もが口にする言葉

当時は今生の別れ、気を許しあった分、船出を見送るのは相当辛かったのかもしれない。

 

 

今では飛行機でいつでも飛んで会いに行ける。

それでも海外のような遠さを感じるから、

「もう帰るの?」 は今でも常套句

 

大昔の匂いがするような会話をしてくれる先輩はもうみな本当に旅立って誰も残っていない。

そう思っていたら従弟との久しぶりの会話で蘇った。

その懐かしさを再現しようと頑張っている様子だ。

私は文章で、彼は居場所で

よほどマレビトが残していった文化の残り香が心地よいのだと思う。

少しづつ文字起こし、始めています。

 

 

 

 

 

 

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