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(過去記事)
外食へはそろりそろりと行くようになった。
大の映画好きだが、映画館へはさすがに行く勇気がない。
007が観たい。
ダニエル・クレイグが今回で終わりだというので、
映画館で見納めしたいという気持ちは大きいが、
スティホームをきつめにしていたので、映画館へ行く・・・
社会復帰のハードルは高い。
***
イギリス人の紳士と結婚して、イギリスの湖畔のほとりで暮らすのが夢です。
子供はつくりません。
大きなワンちゃんと夫婦二人だけで、湖畔のほとりでお茶を飲むからです。
小学校低学年の夏休みの宿題だった、「私の夢」で書いた文章。
田舎の学校は時に残酷。
先生にも生徒にも大うけしたのを覚えている。
もちろんウケを狙ったわけでもなく、本人はいたって真面目に「私の夢」を
書いたのだ。
体育館に展示された作文を読んだ両親に、後日、わけを話す必要が生じた。
先生が、何か悩みがあるのではないか、とわざわざ家に来たというのだ。
現実逃避が半端ない、というのがどうやら問題だったらしい。
図書館で読んだ本に感化されたと気づいた先生と両親に、肯定された
翌年の夏休み、
イギリス人の姉と弟の小学生二人が家のまわりを探検する話を作文にして
これもまた展示された。(自分と弟をイギリス人に仕上げただけ。だから冒険はいつものあの場所と、登場人物は隣りのいつも一緒の子供たち。もちろん彼らもいつのまにかイギリス人)
妄想少女に先生が、将来作家になりなさい、
と、国語の放課後指導をするようになった。
「これを読んで感想文を原稿用紙2枚に書いてごらん」
当時はえこひいきなどという批判もなかったから
先生が転勤するまで指導は続いた。
先生は土曜日の午後になると、
わが家に立ち寄り、父のおろす新鮮なさしみを食べながら
新作が出ると、必ず読んでくださった。
その先生に肯定されたおかげなのか、
ますます湖畔のほとりに自分は将来住むんだという夢も広がり続けた。
どこの家も子だくさんで隣近所入り乱れて子供の数は賑やかだった。
「子供なんていらない、私かっこよく椅子に座って本を読むんだから」
と、妄想していたなんて、
今思い出すと、とても恥ずかしい。
穴があったら入りたい。
そんなちゃんとした大人になっていたはずが、
ダニエル・グレイグの007を観た瞬間、
あっという間に田舎の少女だった頃にタイムスリップしたから
映画の力は大きい。
人の脳を解放させる方法、コツを得ている。
何がかっこいいか、って
あのスーツ姿のアクション
男性がスーツに身をつつむと、
イギリス紳士だけではなく、どなたでもかっこよくなります。
それが走ったり、バイクに乗ったり、飛び上がったり、
スーツにアクション、
このスタイルを考え取り入れた人は天才だと思いました。
シリーズのDVDはもちろん購入済み
家でいつでも観れるじゃないか、と言われそうですが、
やはり長年の功労にファンとしては映画館鑑賞が望みです。
ペンネームをいくつか使い分けて書いていることを
親しくなった人に、つい喋ってしまったことがあり、
「それ、今度持ってきてください。その本、貸してください」
で、その人から静かに遠ざかったのは、数年前のこと
それ以来、表では、書いていることは言ってはいけない、と肝に銘じた。
湖畔のほとりの妄想少女は、時に繊細なのだ。
現実はまったくベツモノの日々に追われているからこそ
やはり映画は面白い。
007を観たら、一週間は湖畔のほとりへの憧れが続くのは間違いない。
冬になって、寒さが迫ってくるとゲンキンにも湖畔のほとりの妄想は終わる。
湖畔のほとりは寒いんだと大人になって思い知った。
何故、コロナなの?
ああ、憂鬱だ。
映画観たいし、友達と妄想話でだらだらとお茶もしたい。
それ以外はきちんと真面目に働くから・・・
行く? 行かない? 優柔不断は続く。