カテゴリー:思い出
  • 雪が降って別世界です

    2022/01/06

    思い出

    生まれて初めて雪を見たのは長女が生まれてすぐの年出張で上京してきた父親を迎え、大学生だった弟が訪ねて来た夜外、外と、玄関を開けて入ってくるなり、「お父さん」と父 ...

  • 母の命日

    2021/12/27

    思い出

    認知症になってどこへ連れていかれるかも定かではなかっただろうに母は、終の棲家を東京の我が家に決めてくれた。私を厨房のおじさんと間違えて、「おじさん、おじさん、大 ...

  • 人ったらしだった父

    2021/10/18

    思い出

    ある会合で、無口な方だろうとあえて挨拶へ行かずにいたらあちらから近づいて下さり、乾杯をして下さった。「あなた、〇〇さんの娘さん?」はい、そうです、と緊張してこた ...

ホームPage 1 / 11
雪が降って別世界です

 

生まれて初めて雪を見たのは長女が生まれてすぐの年

出張で上京してきた父親を迎え、大学生だった弟が訪ねて来た夜

 

外、外

 

と、玄関を開けて入ってくるなり、「お父さん」と父を呼ぶ弟

パジャマのままの父は息子会いたさにすぐに玄関へ。

 

「おおう、元気だったか」

「違う、外、外」

外へ連れ出された父は、真っ白な生まれて初めて見る銀世界に立ち尽くしてしまった。

私もあまりにも静かな別世界の現れように息が止まりそうだった。

三人とも雪を初めて見た夜だった。

 

鍋をつつきながら、

トイレのついでに何度も外へ出ていきたがる私と父のためにカーテンを全開大にして、小さな縁側に座って、生きていて良かったあ・・・と同じようなことを何度も互いに言っては、珈琲をのんでいたことを思い出した。

 

父が帰った後も積もった大雪が嬉しくて

雪だるまをこそっと大きく遊歩道の傍で作っていたら、

スキー板を履いている人が歩いてきた。

気まずそうなのはお互いなので、見ないように配慮したが、やっぱり後ろ姿は目で追った。

スキー板を履いている人をTV以外で見るのは初めてなので仕方がない。

 

数時間で音もなく現れる白銀の世界は、南国の人には刺激的すぎる。

 

神様ってやっぱりおるんだねえ

 

そんなことを縁側で語り合っていたように思う。

 

息子の大学の合格発表を待たずに上京して東京へ住まいを移したが、

合格がわかった日、雪が降った。

 

どんどん積もっていく雪道をコンビニめがけて歩き出し、

神様、ありがとうございます。ありがとうございます、と泣きながら歩いた。

 

雪の中を歩くのは、別世界へタイムスリップしたような感覚なので、

神様、ありがとうございます、と言うのに一番適していると思った。

 

自然を圧倒的に感じれる瞬間は、やはり神がかりを感じるから、東京で見る雪は

大変だけれど涙が出る。

 

四季のある暮らしに慣れるまで大変だったが

冬は冬で美しい

家の中が温かくてこもる生活がいとおしい。

 

そこから連れ出してくれる梅に桜に春風・・・

 

さて、また窓を全開にして雪景色を見ながら珈琲タイムしよう。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • feedly
  • LINEで送る
カテゴリー
タグ
母の命日

認知症になってどこへ連れていかれるかも定かではなかっただろうに

母は、終の棲家を東京の我が家に決めてくれた。

 

私を厨房のおじさんと間違えて、「おじさん、おじさん、大将はいる?」

と、いつも主人を探していた。

 

心臓マッサージで肋骨骨折があり、体の向きを変えるのも大変だったが

うちの大将は力持ちで、誰よりも繊細に体を支えてくれるので、本能的に

いつも探していたのだと思い出す。

 

教え子がくれた灯りをともして花をかざり、大好きだったカステラを供える。

 

年末の慌ただしい中、

狭い室内で通夜をし、年明けて郷里まで移動、皆が待つ家で葬儀をした。

 

いざという時、痛みを乗り越えきれない時は慢性疼痛を処すよう、主治医になって下さった先生は麻薬管理の資格を取って下さったが

なんと、カロナールを二度使用しただけで天国へ帰っていった。

 

係わって下さったチームの力が凄かったことももちろんだが、

今静かに思い出せば、大将はそうとう凄い。

肋骨が刺さらないように、痛みを起こさせなかったということになる。

今頃、私は大将に、ありがとう、と心の中で泣いてお礼をしている。

 

嫁さんの母親のおむつ替えだけでも凄いことなのに

車いすに下ろしたり、散歩させたり

多忙の中、黙々とやってくれていたが、痛みを起こさせないというのは

やはり今思い出しても凄いこと。

 

「大将はいる? 」

私だけ、と指さして教えると、もぞもぞと顔を横へ向けて悩んでいる様子

もバレているのに、大将を探していた。

 

私の介助では、イマイチだったのだろう。

 

大将に、親指を伸ばして、偉い! を伝え、

大きなはっきりとした声で、「真面目、真面目」 と褒めていた。

 

亡くなる直前まで、ありがとう、ありがとう、と吐く息の合間に伝えようとし、

私たちは母から

「死ぬこと」 を肌で教わった。

 

こちらこそお母さんありがとうございました。

母は、子育て中、一度も子供を叱ったことがなかった。

生涯、孫も含めて、声をあげたことがなかった。

 

私が多忙を極めた頃

娘は祖母の後姿をよく見ていたのだとこれも今頃気づく

娘の生きるモデルは仕事で家にいない母親ではなく祖母の立ち居振る舞い

 

おかげで私とはまるで違う所作をする子に育ち

品がいい、とよく褒めていただくのも、

やはりお母さんのおかげでした、

と、これも写真に手を合わせてお礼をした。

 

私の生き方が不器用で、たくさんの方々のフオローで子供たちは育ったが

東京まで婿殿におんぶされて運ばれてくるのを拒まず身をゆだねた

母の生き方、愛の示し方をこれからも見習いたい。

 

婿殿を称賛する。

 

あげまん遺伝子、娘に隔世遺伝で全部いったと思っていたが

不器用な娘のフオローを仕上げに来てくれたと気づいたら涙が止まらない。

大将の良い所、お母さんのおかげでたくさん知りました。

 

子供たちのいいところももう一度再確認できました。

私もお母さんのように生き切って、感謝して

ありがとう、ありがとう、と最後は天国へ帰れるよう頑張ります。

 

深い愛を

お母さん、ありがとう。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • feedly
  • LINEで送る
カテゴリー
タグ
  • 思い出
人ったらしだった父

 

ある会合で、無口な方だろうとあえて挨拶へ行かずにいたら

あちらから近づいて下さり、乾杯をして下さった。

 

「あなた、〇〇さんの娘さん?」

はい、そうです、と緊張してこたえると、

 

私はあなたのお父さんのファンでした。このたびは・・・

とお悔やみの言葉を頂戴した。

 

若い頃、著名人を案内する機会が多く、

私の父によく電話で依頼をしていた、と。

 

ある日、約束していた客人を紹介しようと声をかけに寄ったら留守で、ね。

正直、無責任なヤツだなあ、とカチン、ときましてね、

 

私一人で案内するには荷の重い有名な方で、

一緒についてきた若いお嬢さんがたがまた元気で、

 

案の定、海を見るなり

わあ~!!

 

と泳ぎだしたんですよ。

流れが速いので、絶対、ダメですよ、と説明していたんですがね、

 

次々飛び込んで、あっという間に潮に流され始めたんですよ。

驚いて、とにかく浜を走って、

 

遠くにあなたのお父さんを見つけてね、

手を振ったんですよ。

 

流木に腰かけて煙草を吸って、まったく見向きもしない。

僕はもう走り疲れてね。

 

座り込んで石でも投げて合図を送ろうとしたらね、

あなたのお父さん、

 

立ち上がって、海に入っていって、

流れてくる女の子を一人、また一人、

 

次々浜へ担ぎあげてくるじゃないの。

きれいな抜き手でね、あっという間に捕まえていくんだよね。

 

惚れた、ね。

男が男に惚れた

ものすごくかっこよかった。

 

シャワーを使い終わった客人たちのために、

新鮮な魚やイカや蛸が刺身に下ろされていて、

 

テーブルいっぱいに酒席の用意がすでにされていたらしく、

「人ったらし、だったね」 

 

流される場所もよんでいて、ね

僕は、ね。いやあ、好きだったなあ。

 

ありがとうございます。

お調子者で・・・ご迷惑もおかけしたことと思います、と

 

父が亡くなって日も浅かったこともあり、

ありがたい乾杯に感謝した。

 

脳のA10神経が、心地いい・・・と、

最初に記憶したのは、父親。

 

母のことを書こうとしていたら

人ったらしが天国から夢に現れた。

 

それで、忘れないうちに書いています。

堂々のファザコンです。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • feedly
  • LINEで送る
カテゴリー
タグ
ホームPage 1 / 11