カテゴリー:思い出
とても寂しくなる瞬間がある。そういう時こそ一人珈琲タイム

 

どうしようもなく寂しい時

近しい人の声も、日常のルーティンもノルマも自分を解放してくれない時、

普段着に少し羽織るものを持って近場で珈琲タイムをする。

 

単行本を開いて、窓際の隅っこの席で、窓の外をぼーと眺めながら珈琲タイムを過ごす。

 

年を重ねてくると、どうしようもないことはどうにもできないことなのだと、すぐに諦めと悟りの境地がやってくるので、「お疲れさまでした、自分」 という珈琲タイムが多い。事後処理の整え、の時間

 

若い時は違う。

 

何故?

 

どうして?

 

どうすればいい、私、どう動けばいい?

 

午後9時に電話が鳴った。

 

「あした、アメリカへ行くから、今までありがとう。元気で頑張って下さい」

 

気づけば車を走らせ電話の主のもとへ駆けつけていた。

 

カーテンなしの大きな窓からはっきりと段ボールやスーツケースと格闘している主の姿が見えた。

 

「下に来ている」

 

「さようなら。元気で。お互い夢叶えよう。気を付けて帰って下さい」

 

 

しばらく放心した後、いつも行く喫茶店に行った。

 

 

もう一度、いつものカフェにいるからと電話しようと手が動きかけたが、珈琲の香りがふわりと衝動を止めてきた。

 

 

ひとくち珈琲をのんだ。

 

 

温かい。

 

 

電話の主とは人生が二度と交差することもなく、思い出すこともほとんどない。

 

 

あの時の応急処置が良かったのだと、今ならわかる。

 

 

私の人生の主人公は彼ではない。

 

 

私の人生を最後まで伴走してくれるのは私

 

珈琲タイムはたとえ突然の失恋でさえ、整えてくれた。

 

 

珈琲タイムに裏切られたことがない。

 

心を許し合った友ともだんだん疎遠になってくる年齢になったら、一人、珈琲タイムを過ごすカフェを見つけておいたらいいと思います。

昨日、寂しさのあまり珈琲タイム

 

相席になった方と、気づけば、一時間あまり、武道について熱く語り合っていた。

 

それもありかな、と

とりとめもなく、昨日、襲われた突然のどうしようもない孤独感を処した方法を、つらつらと書いてみました。

 

 

 

  • 思い出
人ったらしだった父

 

 

(過去記事)

 

ある会合で、無口な方だろうから、とあえて難儀はしたくないな、と見覚えのある方の所へ挨拶へ行かずにいたら、あちらから近づいて下さり、乾杯をして下さった。

 

「あなた、〇〇さんの娘さん?」

はい、そうです、とパーティ慣れしていない新参者丸出しで緊張してこたえると、

 

私はあなたのお父さんのファンでした。このたびは・・・

とお悔やみの言葉を頂戴した。どうしても外せないパーティに喪が明けて早々顔を出している労もねぎらって下さった。

 

***

 

慣れない場で頑張る私をサポートして下さるように、横で立って、そのまま父とのエピソードを語って下さった。

私は若い頃、著名人を案内する機会が多くてね、あなたのお父さんにどれだけ助けられたか、恩人だと思っています、と

 

ある日、いつものように約束していた客人を父に紹介して案内を、と声をかけに寄ったら職場におらず、無責任なヤツだなあ、とカチン、と頭にきただけでなく、どうする、時間はないぞ、と焦ったらしく、

 

「私一人で案内するには荷の重い有名な方で、一緒についてきた若いお嬢さんがたがまた元気で、案の定、海を見るなり、わあ~!!ですよ。すぐに泳ぎだしまして、流れが速いので、絶対、ダメですよ、と車の中で説明していたんですがね」

 

次々飛び込んで、あっという間に潮に流され始めたらしく、溺れるのも時間の問題だと、必死で浜を走ったらしい。

 

遠くにあなたのお父さんを見つけてね、すぐに大声で呼んで手を振りました。

 

流木に腰かけていて、聞こえないのかまったく見向きもしないから正直腹が立ちました。

私はもう走り疲れて座り込んでしまったね、砂浜走るの慣れてないですからね。石でも投げて合図を送ろうとしたら、あなたのお父さん、立ち上がって、海に入っていって、あれはみごとなクロールでした。流されてくる女の子を一人、浜へ担ぎ上げて、すぐに次も助け出してね。あのきれいな抜き手、あっという間に捕まえていくんだよね~。波、流れ速いのにね。

 

惚れた、ね。

男が男に惚れた

ものすごくかっこよかった。

 

シャワーを使い終わった客人たちのために、

新鮮な魚やイカや蛸が刺身に下ろされていて、

テーブルいっぱいに酒席の用意がすでにされていたらしく、

 

「人ったらし、だったね」 

 

流される場所もよんでいて、ね

私は、ね。いやあ、好きだったなあ。

 

ありがとうございます。

お調子者で・・・ご迷惑もおかけしたことと思います、と

 

失ったばかりの父への寂しさを包み込んで下さった、ありがたくも優しい乾杯に、

素敵な大人って本当にいいなあ・・・こんな大人になりたい。

十分大人年齢でしたが、背伸びして参加したパーティの意義を知った夜となりました。

 

脳のA10神経が、心地いい・・・と、

最初に記憶したのは、父親。

 

母のことを書こうとしていたら

人ったらしが天国から夢に現れた。

 

それで、忘れないうちに書いています。

堂々のファザコンです。

 

 

  • 思い出
生きよ、父が鳴いて知らせる夜

(過去記事)

 

もう20数年も前の話、

父の通夜の日

 

庭の門の近くで兄が椅子に座っていた。

私が近づくと、交代しよう、と椅子から立ち上がった。

 

忙しい、と

いう私に、

いいから座ってごらん、親父が来ているから、と

 

椅子に座ると、木の枝にフクロウが見えた。

我が家の大きな木に前から棲みついているふくろう。

人の気配にすぐ飛びたってしまう慎重なはずのふくろうがじぃと動かずに

こちらを見据えている。

 

15分ほど椅子に座って、

「ありがとう、お父さん」

というと、飛び立っていつもの所へ戻っていった。

 

今回、空き家掃除の雨の日の疲れた日

ココロ、クッククロ・・・

久しぶりに鳴き声を聞いた。それもずうと鳴いている。

 

なあに、お父さん?

あまりにも静寂な夜に鳴き響くので、お父さん、なんですか?

と茶化すように、ふくろうの住まいの木の近くの部屋まで行くか、と寝床から起き上がった。

寝入る間際で聞こえたふくろうの鳴声に、お通夜の時を思い出したので、はいはい、と奥のその部屋へ入っていった。

 

なんと昼間大掃除でその部屋を片づけたあと、窓もドアも全開にしたまま、泥棒さん、いらっしゃい

で、そのまま寝入るところだったのだ。

もちろん、そういうことは初めてのこと。

ドキドキと鍵を全部かけ、カーテンを閉め、寝床に戻り、

ありがとう、お父さん、というと、鳴き声はピタリとやんだ。

 

奇跡が起こった、というのはこの話ではなく、

まだまだこれは序の口でした。

 

天国とつながっているのか、この島は。

ここは真下なのか、不思議な体験ばかりが続いていくのです。

雨の日はJAZZを聴く

(過去記事)

 

過去記事は長い。

時短の時代、誰も読まないよ、とまた足して長い。

**

雨です。寒いです。

コタツを昨夜出してもらいました。

 

雨と言えばJAZZ

それに温かい珈琲

十分まったりとして用事で外へ出ると

なんと向かいの奥様、半そでTシャツ姿で階段のお掃除

 

私の防寒着姿にギョッとした様子

私も半そで姿に驚いて後ずさりしたが、誰が悪いわけでもない。

 

17℃ほどの短い冬のような季節とほぼ一年中真夏のような所

で生まれ育ち、今日のような気温は私の体感ではもう冬認定。

 

さて、どうする。

秋で体重を落とし基礎免疫力を上げるためにあれこれ想定しているが、

もうコタツを出したし、では様にならない。

 

夕食のあと、歩くぞ、と向かいの奥様の半そでパワーを覚えて

今日も7000歩、確保します。

 

そしてJAZZ

 

 

高校生の頃、部活から解放されて自由な時間が持てた束の間

進学先もたいていが決まり、散っていく寂しさもあって、JAZZ喫茶に

たむろしていたことがあった。

 

5人の時もあれば2人の時もあり、

きれいに焼きあがった厚切りトーストと珈琲で250円

暗い室内でランプの明かりやものすごい数のレコードや時計のコレクション

ピアノがあって、トランペットを時折マスターが誰もいない店内で練習して

いたこともあった。

 

正直、いもねえちゃんだった私たち

よく入れてくれたなあ、と今では不思議に思うほど店内の客は大人ばかり

それもたぶんJAZZがわかる人たち?

 

マスターは日野皓正さんを呼んだり、ナベサダさんを呼べたりできる人

なんだと、とわかったふうに話していたけれど、

場違いなところでよくまあ、女子高生数人で250円でたむろしていたもんだ

と、行くことになったきっかけがどうしても思い出せないが、凄く貴重な思い出

です。

 

卒業する前

私服で一人で行ってみた。

かっこつけて行ったのか、これももう覚えていない。

初めてマスターが声をかけてきた。

進学先を聞いてきたのでこたえると、店を出る時、メモを渡してくれた。

進学先の近くにあるJAZZを生演奏で聴けるお店の名前と地図が書かれていた。

 

進学先で学業が落ち着いた7月頃、そのお店に行った。

外人さんばかりで演奏者も日本人が一人もいない。

そもそもぽおーとしたいもねえちゃんが足を踏み入れるような場所ではなく

今度こそほんものの場違いだと自分でもさすがに気が付いた。

 

学生?

とトランペットを吹いていた黒人の青年に声をかけられ

どういう勉強をしているのか、と問われ、

なんちゃって英語でほぼジェースチャーでこたえたら、

「日本語教えて、僕、英語教えるから」

と自己紹介をしてきた。

 

早口の英語にきょとん状態の私に、待っていてよ、と奥から

店のオーナーだろう日本人男性を連れてきて通訳を頼んでニコニコと

話が成立したように満面の笑顔

 

○○さん? 

Mさんからよろしくって電話もらってるよ、とオーナーは

いらっしゃい、珈琲ね、と煎れてくれた。

うちはトーストはないぞ、と、少し恥ずかしかった。

 

兵役が終わったら医学部へ進学するんだという、語学勉強のシェア

を申し込んできたJさんと、時間が合えば、オーナーの好意でお店の

隅で勉強をするようになった。

 

トランペットの音やピアノの音が響く店内で書いたり、聞こえない発音を

繰り返したり、

 

Jさんはみるみる日本語が上達していった。

私もニュアンスを伝えるジェスチャー力が上がった。

 

オーナーが主催したJAZZコンサートを手伝ったこともあり、

ポスターを貼りに出かけたり、ちょっと有頂天な日々が続いた。

楽しかったが、やがて地獄と呼ばれる実習、実習が続くと当然行けなくなり

そうこうしている間にJさんは帰国してしまった。

 

正月休み、帰省した際にマスターMさんへ珈琲カップのお土産を持って

お店をたずねた。

 

一人用の大人席に案内されて

まるでJAZZがわかるようなポーズだけは上手になっていたので、

かっこつけて座った。

マスターもすっかり誤解してハードルを上げて話し込んできたが、

 

なんだ、まだガキか・・・とものの数分で見抜いて、

まだあそこだな、と笑いながら昔の席へと仕切り直し

 

向かい合って座ると、

Jさん、帰国する前に遊びに来てくれたよ、と

きみのこと、ハーフ(黒人と日本人の間に生まれた子)

だと思っていたようだよ、と

英語が話せないのは可哀そうだと思ってきみに英語を教えたと

話していた、というのだ。

 

動機はそれ? 人の心の中は話してみないとわからないんだな、と驚いた。

住所、預かってるけどどうする? 

というので、もらって帰ったが、英語で手紙を書く能力がなかったことと

学生生活の地獄ぶりに、忙殺されてそのままになってしまった。

 

雨が降る日に聴くといいよ

 

マスターもJさんもオーナーも同じようなことを教えてくれたので、

今でも雨が降るとJAZZを聴きたくなる。