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    2024/02/25

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    2024/02/20

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    2023/12/08

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    (過去記事)息子が小学校の頃、実家でしばらく暮らしていた仕事は忙しく、送迎のサポートや育児のサポートの人を頼み祖母である母も現役で仕事があるなか、家は一日中大賑 ...

待ち針取ってくれる?

 

(過去記事より)

 

 

第2子出産後の産休中、職場の研究論文をまとめて出す期限があり、

必死で机に向かって書きものをしていたら、赤ちゃんを抱いてくれていた父が、

「大きくなって、お母さんが年寄りになって、あれして、これして、と言ってきても、勉強中でそれどころじゃない、と言うんだぞ」

と、突然言い出した。

 

はっ、と我に返って、赤ん坊を受け取り授乳していたら、涙がポロポロ落ちてきた。

父がその場を離れたあと、

 

授乳を終えたばかりの私に、

「待ち針、取ってくれる」 と裁縫をしていた母が声をかけてきた。

 

「一本でいいの」

と渡すと、

 

私が渡した待ち針を母は裁縫箱へ戻した。

もう一度、取ってごらん、と言う。

 

他のものも全部抜いてみなさい、と。

最初に渡した待ち針が一番スムーズに抜けて、それを結局渡した。

 

「一番さびていない針を取ったのがわかった?」 と聞いてきた。

女の人は男の人と違ってね、子供を育てている時は両手がないのと同じで、

誰もあてにしていないから大丈夫、と昔の人は言ったんだよ。

妊婦は片手がないのと同じ、とも言うね。

 

与えられた目の前のことを丁寧に誠実にやっていれば錆びない人になる。

私を使ってください、と出しゃばって頭を出したところで、錆びた針はまた裁縫箱に戻される。

 

使う人がね、

すっと抜けてすぐ使える針を選ぶからね。

焦らなくていいから、と。

 

赤ん坊を抱きながら、ボロボロ泣いた。

気負っていた張りつめていたものが溶けて・・・

育児のいとおしさがこみあげてきて、堰切ったように泣いた。

 

職場復帰をして、子どももまだ2か月、

アメリカへ行く話が出た。

 

行かないから大丈夫、と両親に事情を説明すると、

「行ってこい、お父さんが責任もって預かるから」

と背中を押したのは父だった。

 

戻ってきたあと、

父の世話上手は完璧で、たぶん最高のデキだったと母が教えてくれた。

 

若い女性が仕事と子育てのはざまで悩むだろう将来のために、

待ち針の話をよくします。

 

どの方も生き生きと聞いてくださる。

錆びない、ってかっこいい、そうなりたい、と。

 

キャリアウーマンと言えば、当時のキャリアウーマンだった母の言葉、

時代を経ても錆びないから祭司の話は不思議です。

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いじけ虫

(過去記事)

子育て中の親御さんも読んでくださっているので、

今日は、わたしのいじけ虫が治った話を書きます。

 

60歳で起業した母は、父が亡くなり仕事をたたんだあと、晩年、

子どもたちの家で数ヶ月単位で暮らすという形をとり、最後が私の住む東京でした。

 

海外へも行き、日本語が通じない孫たちともジェスチャーで暮らし、髪形もあちら風へチャレンジし、少しお化粧もしているな、というおしゃれなおばあちゃん暮らしを楽しんでいました。

 

海外でそのまま永住かな・・・

と寂しさが募ったいきおいで母へ国際電話をかけたら、

 

移住一世の方々からパイオニア精神の話を伺ったことを嬉しそうに言い、

 

世界は広いね~と電話のむこうから伝えてくれた。

母の公的祭司生活の話にそって自分なりに調査したことを手紙で送っていたので、それの質問に応えられる範囲のものを教えてもらったあと、

 

よく調べたね、感心した、と。

では、みな達者でね、とあっさり電話を切ろうとしたので、

 

「お母さん、今頃言うのもなんだけど、ね」

「何かな」

 

「お母さんからぶたれたこと、私、一度もないよね」

「そうね」

 

「叱られたこともないし、お母さん、怒鳴ったこともないよね」

「そうね」

 

「誰にもそうよね。兄弟、誰も叱られたことないよね。それ、凄いことだよね」

「ありがとう。よく気づいたね、偉いねえ」

 

電話を切った後、気づいたね・・・って、

凄い、そういう意識でいたってことか・・・

祭司ってやっぱりすごいな、と会話の内容をしばらく反芻していました。

***

 

子供の頃の私は、いじけ虫が玉にキズだったと友人に言われたことがある。

中学校で部活をしていて、その部が大会優勝をし、優勝パレードということになった。

 

私は足に大きな傷跡があり、短い足の見えるユニフォームは練習ではいいが、

大会で知らない人の目の前に足をさらすことがどうにもできなくて、

 

試合当日、迎えに来た監督や仲間たちから逃げて試合に出なかった。

試合は勝ち進み、そのたび、ユニフォームを着てはみるものの

 

足を見てはやはり泣きたくなり、いつも隠れている場所で一日を過ごしていた。

とんとん拍子に勝ち進み、チームは優勝した。

 

優勝パレードが来る、というので、町中に放送はあるは、

住民は街頭へ並ぶは、で・・・

 

隠れているところからでも、尋常じゃない盛り上がりが伝わってきた。

何かしないといけない気になり、

 

家事を手伝おうとしたら、

母がいつもと変わらない表情で、

 

私の手首を捕まえると、

人が並んでいるところへ連れていこうと歩きだした。

 

ううん、ううん、と首をふり、手をほどこうとしたら、

母の握る手は力強く、離してくれなかった。

 

パレードが近づいて優勝旗を持っているキャプテンや仲間たちの顔が見えた。

「バンザイ!バンザイ!」

 

母は、私の手も一緒にあげて、周囲と同じようにバンザイをした。

下を向いて顔をそむけても、私の片手はバンザイをさせられている。

 

「あ~、00ちゃん、勝ったよ~。来年も勝つよ~。おいで、おいで」

と仲間が、乗れ、と座っている傍を手のひらで叩いて呼んでくれた。

 

「乗って、乗って」

大人も声かけてくれて、お調子者の私は思わず動こうとした。

 

手首がぎゅっとまた強く捕まった。

「おめでとう!おめでとうね。皆さん、ご苦労様、バンザイ」

 

母がバンザイのあと、頭を深々と下げたので、私も真似て頭を下げた。

仲間の姿は熱狂の渦の中、消えて見えなくなった。

 

自分がいじけ虫全開中であろうがなかろうが、

人が凄いことを成し遂げた時は、心からおめでとう、のバンザイをする。

 

母は始終、笑顔で、いつもと同じ顔だった。

説教をされたわけでもなく・・・手首を握られただけの記憶ですが、

 

翌年、私は足をさらして、優勝パレードにも参加することができた。

気が付けば、いじけ虫もいなくなっていて、

 

どこからくるの、その自信?

と言われるほどお調子者に拍車がかかり、

 

足のことなど、何も気にならなくなっていった。

母に躾けられたことはあっても、叱られたことは、やはり一度もない、と今でも思います。

 

 

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天国ってきっとこんな感じなのだろう

 

 

(過去記事より)

 

旅の途中、お世話になったお宅で

いつも料理を頑張っているお母さんにつかの間の休憩を、

そしてちびっこたちや、

お父さんやお兄ちゃんやお姉ちゃんたちにも喜んでもらおうと、

その家の中堅、料理のプロを目指す高校生女子をアシスタントとして指名し、

大家族の夕飯づくりに挑ませてと申し出た。

 

 

 

OKが出たので、さっそく善は急げ、と話が決まるとすぐに、

お兄ちゃんと幼稚園生の弟とを伴い、

私と子供の5人で買い出しへ向かった。

 

料理はまずは素材選びからだよね、と

 

おばちゃんは、手抜き料理・時短料理しかできないので

プロを目指す人が見習う相手じゃないと思う

 

お母さんを休ませたい

ピンチヒッター(古い)で、私がつくります、という時の参考に

なるのなら、とあれこれ言い訳しながら、結局自分が作りなれている

いくらなんでも・・・という、鍋にした。

スープは売っているのから選ばせて、好きなものなら文句は出まい・・・

そして牛丼とサラダをつくることにした。

 

大人はずるい

 

 

お肉は奮発した。

素材がよければ腕なんぞほぼほぼ影響しない。

女子高生にまだまだ見抜けるわけがない。

 

時短のうんちくを説明しながら鍋の材料を切ってもらう。

スープに入れるだけだが、時短のコツもそれらしく教えていく。

買ってきて入れてるだけやん、と高校生はけして言わない。

牛丼、玉ねぎ、にんにく、肉と炒めるだけ・・・

 

「はい、はい」

と授業中のような清々しい返事にこころ洗われながら

アシスタントはお兄ちゃんにしてもらい、

ちびっ子たちは子供に手裏剣折りを教えてもらい夢中にさせて

心配するお母さんは立ち入り禁止にして、

楽しい時間はあっという間に過ぎ、

 

子供にうけるワケない鍋も牛丼も自己満足で提供して

用意してくれた場所でくつろいでいると、コンコンとノックがする。

お兄ちゃんが、「妹がお礼にくるみパンを焼いたので」と持ってきた。

 

嘘でしょう?

めちゃ美味しい。

初めて焼いたというくるみパン。

クオリティの高さに、いや、本当に申し訳ないことをしてしまった。

世の中のあざとさも勉強しておかないとね、とアハハとお礼を伝えた。

プロを目指す人、相手に本当に申し訳ない、謝っていたと伝えてね、と。

 

そしてその夜

女子だけを集めてちょっとした塾と称して結婚や恋愛などの話をした。

細胞は型を覚える、と

何故、大事な将来面倒みてくれる確実な男性・夫というものにだけ

性生活をゆだねるのかを、マシンガントークで話すこと、2時間

 

一期一会になりそうなこのご時世

けっこう全力投球で話した。

 

こういう変なおばちゃんの話を真に受けて聞いてくれてありがとう

と、半分反省しながらその日は熟睡した。

 

朝、起きたら、えらくうけていたとお父さんから教えていただいた。

 

料理の時短のコツも面白かったと喜んでいたというので、

東京に戻った今もホームシックが止まらない。

また同じようにおもてなしを受けたい、図々しさがやっぱり止まらない。

 

天国にいる時間ってたぶんあの時間のようなのだと思う。

幸せって、あの時間のことをいうのだと思う。

 

会いたい。

あそこに居たい。

 

 

 

グダグダになりそうな自分を、頑張れ、あそこへ行くんだ、

と励ますために書いてみました。

 

***

 

追記

そのあとコロナ流行のさなか、家族全員がコロナでダウンするなか、シェフを目指すJKは、一人感染せず、家族全員の食事を一人で作り切り、お母さんが回復するのを待って感染しダウンしたと聞いた。それでも3日で回復し、とても助けられたとお母さんは喜んで報告して下さった。

きっとすばらしいシェフになるのだと思う。カッコいい。

 

頑張れ、子供たち。

会いたいなあ。

 

 

 

 

 

 

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大事な話がある

(過去記事)

 

息子が小学校の頃、実家でしばらく暮らしていた

仕事は忙しく、送迎のサポートや育児のサポートの人を頼み

祖母である母も現役で仕事があるなか、

家は一日中大賑わいの人の出入りだった。

誰かが誰かを助け、

明るい生活がまわっているのだと思っていた。

  

「たいせつな話がある」

息子はまだ小学生。

石原裕次郎のポスターのように、

半ズボンからのぞく膝を少し立てて

にぎやかなおばちゃんたちの中にいた私に、

大切な話だから、と声をかけてきた。

 

「何?」

「おかあさんとふたりだけで大切な話がある」

おばちゃんたちやほかの兄弟が、

ほう、というなか

息子にはカルピスウオーターを、自分には珈琲を淹れ、

二人で車庫傍の木の下の椅子へ

両手でコップを握りしめて下を向いている息子。

「なあに」

「おかあさん、舟、買えるかな」

「ん?」

「舟買って、操縦できる資格も取ってほしいんだ」

「ふね?ふね~」

  

珈琲を吹き出しそうになったが、

真剣勝負のまなざしは冗談のようにも見えず、

 

「みんな舟持っているんだ。護岸で釣りしている人なんかいない。買える?」

「ちょっと待ってね。息させて」

そう言って立ち上がると、

「僕にはなんでお父さんがいないんだ。みんないるのに。みんなお父さんと舟に乗って海で魚取っているのに」

と大泣きをして、

走って庭から一階のトイレに駆け込むと中から鍵をかけてしまった。

一度も反抗されたことがなかったので、驚いて鍵を開けてくれるよう頼んだ。

中から、

「今の話は忘れて下さい。

ぼくが悪かったです。舟のことは別の方法を考えてみます」

と、堰切ったように泣いている。

  

どうしていいかわからず学校へ行った。

転校してきたばかり

担任の先生を職員室に訪ねた。

 

息子が言ったとおりを先生に話した。

若い先生は黙って聞いておられた。

勢いあまって相談に行ったのはよいが、

若い先生のクールな表情に

失礼しました、とすごすごと帰った。

  

夕飯の支度にとりかかっていると、

息子を訪ねて同級生の男の子が訪ねてきた。

イカ釣りに行くのだという。

息子のえぎも用意してきていたので、

急いで、二人分のおにぎりや卵焼きや唐揚げを詰めて

飲み物と一緒に持たせた。

 

 

下の子たちを寝かしつけて、

おばあちゃんが、

「はい」と渡してくれた珈琲を持って、

月明かりがきれいな庭で息子を待った。

 

自転車の音が聞こえて、

「またなあ」

と元気な声が聞こえた。

 

たくさん釣っていた。

おばあちゃんも降りてきて

「すごいね、いっぱい釣ったねえ」

「明日はウニも取りに行くんだよ」

「ウニ、凄いねえ」

おばあちゃんが持ってきたアイスクリームを食べながら

息子は、どういうふうに釣ったかを楽しそうに話してくれた。

  

二人でイカをさばいている時に、

友達Iくんが

「Aくん、Aくんにはおかあさんがおるだろう。

ぼくはお父さんもお母さんもおらんよ」

と釣りの終盤で話したらしい。

 

しばらく釣りなんかを教えてもらうことにした。

勉強は僕が教えることになった。

だからしばらくはいそがしいからね、と真剣に言う。

 

学校の父兄会の終わりに先生へお礼に行った。

 

おかげさまで、Iくんから男学を教えてもらっている毎日です

と報告し、

Iくんの話した言葉を伝えると、

先生は男泣きに泣いてしまった。

私もつられて泣いた。

緊張がとれたというか、あったかい時間にほっとしたのだと思う。

  

祭りでIくんの雄姿をみた。

息子を参加させるために、

これまで祭りに参加しなかったIくんは

自らが先頭を切り、皆を巻き込んでいった。

運動神経抜群のIくんの垂直に飛び上がる舞いは感動、鳥肌もの。

息子もDNAが蘇ったのか、生き生きと舞い、祖母を感動させていた。

K先生も同僚の若手を巻き込んで参加。

カッコイイ大人の舞いに子どもたちも誇らしそうにみていた。

  

休みの日、息子の髪を刈る時、Iくんの分も刈った。

他の子らもおいで、とついでに刈ってやろうとしたら

みんな逃げだした。

「何故、逃げる。並びなさい。

終わった人からアイスクリーム食べていいから」

と言ったら、あんなんは嫌だ、だからアイスはいらない、という。

アイスまで投げ出すくらいひどい出来なのに、

二人は何度か友情の証しのように

私の髪カットにその後も応じてくれていた。

  

舟は同級生の親が乗せてくれたようで、

興味は他へ移っていったが、

友情はずうと変わらず、

先生が転勤する時には

男の子の心の純粋さに、しばらくみんなで

K先生ロスを共有した。

 

お別れの日、

海の岩場にIくんが隠れてしまい、飛行機の時間ぎりぎりまで

K先生は岩場の外で彼が出てくるのを待った。

 

「男はどんなに辛くてもやるべきことから逃げてはいけない。

先生ときちんとお別れするんだ」

傍で聞いていて、こちらが切なくなるような先生の男学

Iくんは、最後は逃げずに握手をし、空港で先生にきちんと手をふって

お別れをした。

  

帰り、彼らを焼肉食べ放題のお店へ連れて行った。

「男だ、食え。出世払いだあ」

と声かける前にもう全員テーブル席から駆け出していた。

飲み放題のドリンクバーへ、

選び放題のスゥイーツへ

  

昨日のことのように思い出す。

 

烏賊が青く光り、飛び交う夜の海

大きな月、オレンジ色で海面の凪に乗り動いて揺れる。

時間が止まったような海風、波の音。

  

しばらく飛行機に乗れない。

  

あの時のあの生活音は二度と味わうことはできないが、

景色は今も変わらずにある。

月夜の夜に耳を澄ませば息吹くらいは蘇ってくるかもしれない。

郷愁は悪くない。

今、頑張る力は、その日々の積み重ねの延長にある。

どの時にも感謝。

 

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