月別:2022年04月
人と人の間に存在するもの

 

 

先日、心折れることがあり、今日まで寝込んでいました。

 

夕食づくりも好きで、というより旅先から戻ると自宅のキッチンの

ありがたさは身に染みるので張り切って作るのですが

 

今日も昨日もコンビニご飯

 

人に心をグサリとされそうな気配をかわしては生き延びてというのは、仕事では何度もあったが、退職して

 

好きなことをして、ボランティアはボランティアなので、感謝されるばかりで

家族や友人との関係も助け合うことばかりなので、あたたかい世界に浸って3年

 

トラブルに巻き込まれたら、たぶん次は倒れるかもしれない、と

真剣に油断大敵、だと神経と心臓の関係に改めて反省

 

あまりの無礼に出くわして

家に戻ったら、不整脈

危ない・・・

SPO2を測るのも怖かったが、やはり低い

 

マスク着用なうえ、人と争うのが大の苦手

闘争か逃走なら、逃走を選ぶ私ですが、時に語らなければならない時は逃げない

 

救急車を呼ぶことも想定して横になりながら友人へ電話をかけた。

話さなくていいから、繋がっていましょうと友人が、うちの娘がね、と

無言の電話もなんだから、と話し始めた。

 

視力が低下した父親に付き添って眼科へ行った医療従事者の娘さんが

モタモタと問診票に書き込む父親に受付が投げかけた言葉を聞いてキレたことが

あってね、と

 

見えづらいから来てるんじゃない。あなたバカ?

 

ものすごい剣幕で父親を侮辱した受付スタッフを怒鳴りつけたという

 

凄いわね

 

母親である友人が後日その話を聞いてそう返すと

 

冷静だったよ、と庇ってもらったお父さん

 

外来へ来ている高齢者全部を守るために言ったんだよ、と

素人は叱られるだけだろ、そういう輩にはさ、と

 

 

 

人の苦しみや不当な扱いや嘆きさえ言えない人のために

神の前で祈る人のこと、権力者の前で死を恐れず神の言葉を

とりなす人の始まりが祭司だった話を伝えると、

 

友人からも面白いエピソードが返ってきた。

 

徐脈がだんだん落ち着いてきた。 

そしてだんだん高尚な話も思い出してきた。

世の中には凄い人がいくらでもいる。

なるほど、と達人の話は面白い。 

 

 

自分のためだけに喋り倒すクレイマーや激情とも違う

ただす、ということをやる、というのは命がけだという。

 

争いごとを嫌う人が争うのは刀の鞘を抜くのに似ている。

薩摩隼人の刀の鞘などは小さくて、もとに収める気で抜かない

戦い抜くつもりで最後だと思って抜くから、薩摩隼人は強いのだという。

 

 

 

年を取れば、

刀を抜いて一世一代の大仕事をするということを避けて

芸術の世界へいく剣士や仙人のような暮らしで後世を育てる達人がいる。

 

私の小さな心臓バクバク事件を聞いて友人は笑うどころか心配してくれた。

 

抜いた刀、どこかに捨ててしまいなさいよ、と

あとの人を助けたい、とか良くしたいとか、もう思わなくていいから

もう祈りは奥まった所で誰にも会わずにやればいいから、

応援しています、と

 

もういいんじゃない?

ウイルスも

 

そう思う日もある。

ドキドキ刺激にあおられて徐脈におびえる時などは

ウイルスよりよっぽどこっちのほうが怖いぞ、と本気で思うもの。

 

ストレスって、

それだけで人は死ぬ、ということを知らない人の方が多い。

人の体は繊細

そして一生を担いでくれるほどに強くもいてくれる。

 

加齢とともに荷を下ろして

家族に迷惑をかけずに、正論など、それこそ刀に収めて

花をめでて、風を感じて、祈って神にゆだねよう、と

祈って寝た。

 

 

 

指ひとつで

撫でるだけで膝を折って泣く人を癒した親を見習いたい。

 

早く通常の日常が戻ってほしい。

疲れが出てきてナーバスになっている感がある。

 

それにしても友人ってありがたい。

どこをどう抑えれば、癒せるか知ってくれている友人は本当にありがたい。

 

 

 

 

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木造長屋三階建ての泊宿

 

 

大昔の話で写真は焼けてしまってないのだけれど

と、伯母から、月夜の下で聞いた話

 

私が珈琲を淹れてカステラ一切れを添えて、庭に置かれた椅子で

伯母をもてなした時のこと

 

この家は昔ね、三階建てだったんだよ

一階が馬小屋

二階が母屋

三階は客人が泊まる部屋

 

竹で編まれた縁側の先に、芭蕉に包まれた餅や燻製された蛸や烏賊が吊るして

あって、客人がいつでも食べれるようにしてあったらしい。

 

馬小屋では客人の馬が休んでいて、

客人をとても大切にするという風習があったらしい。

 

お金をとるお宿ではないので

子供がいなかったからできた話だ、と叔母は話していた。

 

旅の人は神様の使いのような

村以外の知恵が行きかうわけだから、

今のようなTVやネットや電話ができるような時代ではないのだから

聞いていて、とてもロマンティックな気分になったのを覚えている。

 

門の入り口に今でもあるジャスミンの花や桃の木は

当時もあって、お茶になり、おやつだったりしたらしい。

 

泊まることで、

食も一緒にすることで距離も近くなる。

一期一会ばかりだっただろう時代

海を渡ってきた人が束の間の荷を解いて、心を休めて

また荒波を渡って、それぞれが目的地へ帰っていく。

 

「もう帰るの?」

 

今でも帰るとなると、ものすごく互いに切なくなるが

当時は今生の別れ、気を許しあった分、辛かったのかもしれない。

 

豊かになったぶん

人の心はたぶんもろくなった。

だから深い話はよほどでないと皆避けていくのではないのかな、

とも思う。

 

ブログを書いたり

物語を書いたり、

本来は向かい合った人とする会話のようなものを

ひとりPCに向かってする。

 

子供とだってこんな会話はしたことがないや、

ということを、ぽつり、ぽつりと書いたりする妙な気分

日記を公開しているようなものだが、

プロを意識していくなら、エッセーでも素顔はさらさず、薄化粧

物語など、歌舞伎の化粧よりも濃いものだから、と教わったことがある。

 

ペンネームをいくつか使い、30年、書くことと医療の仕事の二束わらじ

を続けてきたが、旅人とだけ、泊まったマレビトとだけ語りあかした先祖が

うらやましくなってきた。

 

人の距離が遠くなってしまったこの時代がなければ

そういう気持ちは起きなかったと思う。

人恋しいから、おもてなしはクオリティが上がっていったはず。

 

旅したいし、

田舎滞在中は、訪ねてくる人を心を込めてもてなそう、

 

ウイルス関連の難儀に疲れて少し小休止の気分です。

 

 

 

 

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母を看取って下さった主治医の凄さ

 

 

今日は自分の受診で母がお世話になっていたクリニックへ、 

 

 

 

田舎から連れて来た母と過ごした時間が貴重すぎて

主治医が退職されたあとも自分の受診も東京へ戻るとお世話になっている。

 

コロナ禍が今のように大きな状況になる前、

母を看取った先生はお辞めになり、自宅近くで勤務されていると聞いた。

先生の勤務地へ通うには遠すぎるのと

二拠点生活の今の状況では、歩いて通えるところが一番ムリがない。

 

田舎での救命時、心臓マッサージで肋骨骨折を負った母の看取りは

体位交換をする時にいかに痛みを起こさせないで、できれば食事や散歩も

させてあげたい、という目標を共有するところから始まった。

 

慢性疼痛のための、麻薬管理の資格をさっそく取って下さった先生は

母が初老期に骨折した手が赤く腫れた時、すぐに駆けつけて下さった。 

 

 

うちで滞在中の初めての痛み出現は、古キズからだったが

カロナールを二度飲むだけで炎症は消え、亡くなるまで痛み止めは

使わずに看病は終わった。

 

呼吸が荒くなり始めたころ、

深夜、呼吸停止した時の対応のことを先生へ話そうとしたら

00さん、ちょっといい

 

とドアの向こうまで連れていかれ

お母様はまだ生きておられます。

これが自宅で看取るということです。

怖がらせてはいけない、しっかりしてください、と

明確に指示を下さった。

 

そして翌日の深夜、母は旅立った。

 

先生のことばという処方箋で、原点に視野が戻った私は

母の横に、ベッドに入って横になった。

荒い息が少し穏やかになって、腰を引こうとしているのがわかった。

 

娘の私に

狭くはないか、もっと寄ってもいいよ、と動かせないはずの体から

伝えようとしている。

 

「ありがとう、お母さん。じゅうぶん広いよ。

お母さんの子供でありがたいなあ、産んでくれてありがとうね。

お母さんの背中ずうとみさせてもらって、私は得ばっかりしてる。

東京来てくれてありがとう」

 

腰が触れる距離で寝ながら話したら本当にそうだと涙があふれてきた。

 

かっこよく、看取りのいわばプロ

任せて、と兄弟へ言って引き取ったが

親の死は想像以上に辛かった。

 

心はやる私に優しいけれど的確に言葉をかけて下さった先生は

訪問のたびに

「お宅、きれい。本当にきれい」

と褒め上手でいらした。

おかげさまで、花はいつもきれいに訪問スタッフを迎えようと

ぬしと共に張り切っていた。

 

優しい先生のたった一回の、たしなめるようでいて痛みに添った言葉

 

 

プロなんていない、

死と向き合うのにマニュアルなんてない

 

それぞれが一度きりの人生の最後

 

愛する人を失うのは誰がどう励まそうが辛い

身がちぎれるようなものだ。

 

 

コロナ禍で私はべつの形で時代の苦しみに添うのだと

二拠点生活を始めたが、力不足に打ちのめされる毎日だ。

 

カロナール2錠と

主治医の立場からかける言葉の意味と

凄い先生に看取ってもらえたんだね、お母さん、と

今日は母の遺影に語りかけている。

 

54年、公的祭司だった母親を故郷で見送る時

看取りのアルバムに映る主治医の先生へ、

ありがとうございました、と手を合わせて誰もが頭を下げた。

 

そういうことを先生へ伝える間もなく

コロナ禍が来て会えなくなってしまった。

 

それぞれの役割が終わり

天国でお会いするでしょうから

その時に、神様の前でお礼するといいね

 

お礼しそびれた人の話がでると、そういうことを母は子供たちへ

よく語ってくれた。

 

人の体はひとりに一体

 

それを互いに支えあって助け合って、生きている。

 

さあ、また頑張ろう、という気持ちが起きてきた。

できればお助けマン、生涯現役でいたい。

そのためにも自分の体も健康でいたい。

 

 

先生、お体おいとい下さい。

そして本当に心からあらためて感謝申し上げます。

 

先生が当たり前だと思ったらバチ当たるなあ、と

先生の凄さを味わいなおしています。

 

 

 

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帰省中、友人たちがお茶やお菓子を用意して、緑の中で青空の下で

楽しいおもてなしをしてくれた。

 

ちょうど感染予防にも厳しい環境の中

陰性証明書を用意し、風が気持ちいい青空の中での自前のカフェ時間

 

ぽつんと空いた時間が互いになければ

忙しいまま会えずにいたかもしれない

恐怖のままだったら、近くにいても会わなかったかもしれない。

 

このようにして会おう

と明確な状況を提案して突き抜ける青空の下

心まで晴れた再会になった。

 

改めて

太陽はありがたい

心地いい緑の木々に吹く風はありがたい

もう何十年と続く友情はありがたい、と

普通に感じていたことに、反省もしたが、味わいなおそうという気にもなった。

 

それから

当たり前はない、という感覚が強くなって

明日は同じ明日がくるとは限らない

感謝しよう、という覚醒感が半端ない。

 

外の刺激が次々恐ろしすぎると

人は仲良くなるものかもしれない。

言い分より、まずは命守ろうか、と助け合うものかもしれない。

 

海外の奥地とも呼べる場所で恐ろしい状況に逢ったことがある。

その時が蘇るほど、友人たちとのお茶時間が最後の晩餐にも似て

今もあれはなんだったのか、と思い出す。

 

太陽が青空をつくる日は外へ出て

自前のカフェタイムを演出しようと思う。

 

公園へ

山へ

キャンプがはやるのもわかる気がします。

 

晴れ晴れとしたい

今は誰もが思っていることだと思います。

ベランダでもできる演出を家族のために、自分のために

健康を維持するために、まずは目の前にあるものを活かして

 

ウイルス時代に負けてなんかいられません。

 

 

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