一人になりたい時、ならなきゃいけない時

子供が4人、ナースのお仕事はオペ室、ICU、NICU、救急外来、

ほぼ毎日残業、それからの学校立ち上げ時や病棟立ち上げの応援スタッフ・・・

振り返るのも恐ろしいほどの昔の自分

 

小学生の児童が行方不明の報道にナーバスになって記事を書く気になれず、

戦争の報道、物価高騰・・・

どうしても耳に飛び込んでくる苦しいニュース

 

現在はナースを引退し、作家業と親から継いだ祭司としての役割と家庭管理が仕事

どれも自由自在に時間調整できるし、ムリだと思う時は休むことにしている。

 

一人、珈琲タイムだけのためにスタバへ

 

そんなこと初めてやってみた。

 

ぼーと窓の外を見ながら、甘いキャメラルマキアートを飲みながら、このままじゃアカンと自分に語りかけてみる。

 

あの子に十分なことを私はやってあげれただろうか・・・

 

 

そうです。

時間ができると私が陥る辛い罠

4人分を思い気分が滅入りそうだからこそ、車を走らせてわざわざ来た珈琲タイム

 

親なんぞ、なるもんじゃあない。ならなくったっていい。あんたは物書きでいい。出奔しなさい。

 

私の師匠が中途半端なうじうじ、目の前のことばかりに右往左往するばかりの私に強い励ましで、言い放った言葉。

 

一生、すべてに後悔したらいい

あれもダメ、これもダメ、もったいないねえ、本当にもったいない。

他の誰かにあなたのその物語が降りてくる脳をあげられたらいいのにねえ。

 

先生ももうこの世にはおられない。

 

人生って何なのだろう。

 

子供の時に、大谷さんのように賢く人生設計できるのって、本来は生まれてくる子供たちすべてに教えてあげたいことじゃないですか。

 

 

珈琲タイムで、思考の断捨離をする。

 

さて断捨離が終わったら、思考の軸をキチンと今、この時に、合わせる。

 

***

 

 

珈琲タイムは生涯私の最高の自分軸を整えるツールです。

 

私などそもそも人生の設計図などない。

強いて記録図にしてみたら、バカでかい図になってしまった破天荒な人生図

それをひとつ、一つ悔いのない美しいものにできるはずがありません。

 

つくづく半人前の自分・・・

祈る時、神様の前で、ただただ何も持たず、無で座り祈る時

 

静かに力を得た時に、ようやく一人前ならやるべきことを、ひとつ、またひとつ、やり残しがないように、そんな毎日を過ごしているんだな、と思っています。

 

神様に助けられて、ようやく一人前、それを忘れたらアカンなあ。

子供4人分、あの人にもこの人にも感謝。

親になったらね、

頭を下げることが増えるんだよ。

 

子供の全部を自分が守り切れているわけじゃない。

あの方のおかげ

あの人にも感謝、

何よりすべてをお見通しの神様に感謝。

助けられている。

だから頭を下げるの。

お祈りするの。

 

母から教わった「祈る」 という言葉の意味

 

人が腰をかがめて首を垂れる、祈る姿勢、そのものを現しているのが「祈る」 という漢字らしい。

 

 

 

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