月別:2024年02月
待ち針取ってくれる?

 

(過去記事より)

 

 

第2子出産後の産休中、職場の研究論文をまとめて出す期限があり、

必死で机に向かって書きものをしていたら、赤ちゃんを抱いてくれていた父が、

「大きくなって、お母さんが年寄りになって、あれして、これして、と言ってきても、勉強中でそれどころじゃない、と言うんだぞ」

と、突然言い出した。

 

はっ、と我に返って、赤ん坊を受け取り授乳していたら、涙がポロポロ落ちてきた。

父がその場を離れたあと、

 

授乳を終えたばかりの私に、

「待ち針、取ってくれる」 と裁縫をしていた母が声をかけてきた。

 

「一本でいいの?」

と渡すと、

 

私が渡した待ち針を母は裁縫箱へ戻した。

もう一度、取ってごらん、と言う。

 

他のものも全部抜いてみなさい、と。

最初に渡した待ち針が一番スムーズに抜けて、それを結局渡した。

 

「一番さびていない針を取ったのがわかった?」 と聞いてきた。

女の人は男の人と違ってね、子供を育てている時は両手がないのと同じで、

誰もあてにしていないから大丈夫、と昔の人は言ったんだよ。

妊婦は片手がないのと同じ、とも言うね。

 

与えられた目の前のことを丁寧に誠実にやっていれば錆びない人になる。

私を使ってください、と出しゃばって頭を出したところで、錆びた針はまた裁縫箱に戻される。

 

使う人がね、

すっと抜けてすぐ使える針を選ぶからね。

焦らなくていいから、と。

 

赤ん坊を抱きながら、ボロボロ泣いた。

気負っていた張りつめていたものが溶けて・・・

育児のいとおしさがこみあげてきて、堰切ったように泣いた。

 

職場復帰をして、子どももまだ2か月、

アメリカへ行く話が出た。

 

行かないから大丈夫、と両親に事情を説明すると、

「行ってこい、お父さんが責任もって預かるから」

と背中を押したのは父だった。

 

戻ってきたあと、

父の世話上手は完璧で、たぶん最高のデキだったと母が教えてくれた。

 

若い女性が仕事と子育てのはざまで悩むだろう将来のために、

待ち針の話をよくします。

 

どの方も生き生きと聞いてくださる。

錆びない、ってかっこいい、そうなりたい、と。

 

キャリアウーマンと言えば、当時のキャリアウーマンだった母の言葉、

時代を経ても錆びないから祭司の話は不思議です。

石原まさしさん 続き

 

昭和歌謡を若い方が伸びやかに歌っています。

とても素敵な歌声です。

上京したて、

昔も今も地方から夢を追い求めて花の都・東京へ若者が上京してきました。

 

勢いがありました。

今もあります。

外国の方々も増えました。

勢いがあります。

 

時代が新しいうねりをもって激しく動いているように感じます。

頑張れ、兄ぃ兄ぃ!

 

***

 

東京ある、ある、ですが、

静かな柔らかな物腰し、そのスマートな仕事ぶりに底力を感じた瞬間、そんな東京人に向かい合っていると感じて臆した瞬間、

何度も故郷に帰りたい、と泣きそうになりました。

 

ところが東京出身者は一握り

親の代などを遡れば上京組がほとんど。

 

みな始めがありました。

頑張れ!

シュッ(おばちゃん語で鍛えられてあか抜けて根を上げた時があったとしても結果投げ出さなかった人。自分に勝った人?)とした人になれ、若人よ。

応援しています。

 

石原まさしさん 同郷の若手歌手

 

 

尊敬する先輩の誕生日なので、電話をかけた。

お忙しい方なので、マシンガントークにならないよう注意しながら、

 

***

 

あなたの若い方応援記事、読みました。

ぜひ、この方も応援して、まだ上京したてだと思うのよ、コンサートがあったら是非行ってね、と。

了解です!

石原まさしさん、まだまだ南国なまりがおばちゃんと同じくらい残っているけれど、若いからすぐにあか抜けていくと思います。

高校三年生、地元の祭りで、兄ぃ兄ぃになる前なのに、頑張っています。

歌も上手でイケメンで、島のおばあたちに推されているピュアさも残しつつ、若いファンがたくさん生まれてくるよう、多くの方々に愛される歌手に育っていくよう応援しています。まずは歌、子供と二人、聴きにいきたいと思います。

 

いじけ虫

(過去記事)

 

子育て中の親御さんも読んでくださっているので、

今日は、わたしのいじけ虫が治った話を書きます。

 

60歳で起業した母は、父が亡くなり仕事をたたんだあと、晩年、

子どもたちの家で数ヶ月単位で暮らすという形をとり、最後が私の住む東京でした。

 

海外へも行き、日本語が通じない孫たちともジェスチャーで暮らし、髪形もあちら風へチャレンジし、少しお化粧もしているな、というおしゃれなおばあちゃん暮らしを楽しんでいました。

 

海外でそのまま永住かな・・・

と寂しさが募ったいきおいで母へ国際電話をかけたら、

 

移住一世の方々からパイオニア精神の話を伺ったことを嬉しそうに言い、

 

世界は広いね~と電話のむこうから伝えてくれた。

母の公的祭司生活の話にそって自分なりに調査したことを手紙で送っていたので、それの質問に応えられる範囲のものを教えてもらったあと、

 

よく調べたね、感心した、と。

では、みな達者でね、とあっさり電話を切ろうとしたので、

 

「お母さん、今頃言うのもなんだけど、ね」

「何かな」

 

「お母さんからぶたれたこと、私、一度もないよね」

「そうね」

 

「叱られたこともないし、お母さん、怒鳴ったこともないよね」

「そうね」

 

「誰にもそうよね。兄弟、誰も叱られたことないよね。それ、凄いことだよね」

「ありがとう。よく気づいたね、偉いねえ」

 

電話を切った後、気づいたね・・・って、

凄い、そういう意識でいたってことか・・・

祭司ってやっぱりすごいな、と会話の内容をしばらく反芻していました。

***

 

子供の頃の私は、いじけ虫が玉にキズだったと友人に言われたことがある。

中学校で部活をしていて、その部が大会優勝をし、優勝パレードということになった。

 

私は足に大きな傷跡があり、短い足の見えるユニフォームは練習ではいいが、

大会で知らない人の目の前に足をさらすことがどうにもできなくて、

 

試合当日、迎えに来た監督や仲間たちから逃げて試合に出なかった。

試合は勝ち進み、そのたび、ユニフォームを着てはみるものの

 

足を見てはやはり泣きたくなり、いつも隠れている場所で一日を過ごしていた。

とんとん拍子に勝ち進み、チームは優勝した。

 

優勝パレードが来る、というので、町中に放送はあるは、

住民は街頭へ並ぶは、で・・・

 

隠れているところからでも、尋常じゃない盛り上がりが伝わってきた。

何かしないといけない気になり、

 

家事を手伝おうとしたら、

母がいつもと変わらない表情で、

 

私の手首を捕まえると、

人が並んでいるところへ連れていこうと歩きだした。

 

ううん、ううん、と首をふり、手をほどこうとしたら、

母の握る手は力強く、離してくれなかった。

 

パレードが近づいて優勝旗を持っているキャプテンや仲間たちの顔が見えた。

「バンザイ!バンザイ!」

 

母は、私の手も一緒にあげて、周囲と同じようにバンザイをした。

下を向いて顔をそむけても、私の片手はバンザイをさせられている。

 

「あ~、00ちゃん、勝ったよ~。来年も勝つよ~。おいで、おいで」

と仲間が、乗れ、と座っている傍を手のひらで叩いて呼んでくれた。

 

「乗って、乗って」

大人も声かけてくれて、お調子者の私は思わず動こうとした。

 

手首がぎゅっとまた強く捕まった。

「おめでとう!おめでとうね。皆さん、ご苦労様、バンザイ」

 

母がバンザイのあと、頭を深々と下げたので、私も真似て頭を下げた。

仲間の姿は熱狂の渦の中、消えて見えなくなった。

 

自分がいじけ虫全開中であろうがなかろうが、

人が凄いことを成し遂げた時は、心からおめでとう、のバンザイをする。

 

母は始終、笑顔で、いつもと同じ顔だった。

説教をされたわけでもなく・・・手首を握られただけの記憶ですが、

 

翌年、私は足をさらして、優勝パレードにも参加することができた。

気が付けば、いじけ虫もいなくなっていて、

 

どこからくるの、その自信?

と言われるほどお調子者に拍車がかかり、

 

足のことなど、何も気にならなくなっていった。

母に躾けられたことはあっても、叱られたことは、やはり一度もない、と今でも思います。