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- オペ室編
月曜日から土曜日の午前中まで勤務。
それと月2,3回のオンコール勤務。
開院、手術室オープンまでの間、麻酔科医による、挿管、血管確保、心電図の症例実習、術式以外のシュミレーション講義を重ねに重ねたあとも、
土曜日の午後は希望者用に、講義や実習が続けられていた。
県外から1年、2年の応援ドクターがそれこそ手取り足取り教えて下さった。
器械出しからいよいよ外回りの指導も始まり、
麻酔カートの点検、中身の配置などを確認していたら、
「今日はすぐ帰らないでね、少しみな集まって」 と師長。
器械の説明会かな
と一日の業務を終えて休憩室に行くと、みなソファや椅子でくつろいでいる。
そして一人ひとり名前が呼ばれ、私の番になった。
「お疲れさまでした。はい、金の成る木さん」
と厚い封筒を渡された。
初給料だ。
その厚みにガクガクと震える新人に、
「開けてごらん」 と
お札の束を持つのは生まれて初めて。
手はガクガクとお札を落としそう。
「何枚まで持ったことあるの?」
「3万円」
「数えてみせて」
長いテーブルに一枚、二枚、三枚、置いていく。
十枚置いてもまだあった。
17万6千円。
「封筒に早くしまえ」
「今日はぶっそうだから誰か車で送って行ったほうがいい」
心配するドクターたちに、主任が、
「大丈夫、一緒にタクシー乗せてこの子先に降ろすようにするから」 と、
封筒を大事に持って主任にその日はありがたく送ってもらった。
そして、仕事がだんだんただの負荷ばかりから達成感も少し感じるようになった6月10日、帰宅前の集合がかけられ、名前を呼ばれ封筒がまた手渡された。
また厚い封筒だ。
「手当てよ」
手当って何?
「数えてごらん」
お札を並べた。
17万円。
「師長、私、この前いただきました」
そういうと、
これはね、と師長が封筒の表に印字されている内容を教えてくれた。
危険手当に、オンコール、などなど
今度は私が主任をタクシーに誘い一緒に帰った。
封筒から直接出したらダメだよ、と教えられていたので財布に少し移し、緊張して支払ったのを覚えている。
月に2度のお札の束、慣れるのに一年はかかった。
それから生まれて初めてもらったボーナス、年末調整、給料、これでもかの12月の札束ラッシュ。
働くって、こういうことかあ・・・
学生の時の忍耐と違って、対価が生じる、なんともいえないふわふわ感。
金の成る木は初給料で親に服を買い送り、ボーナスで兄の子を連れて正月帰省を果たした。堂々の返済20万円、プラス、気持ちを少し手紙と一緒に渡した。
凱旋した気分だった。