- 投稿 2026/05/23
- 思い出

どうしようもなく寂しい時
近しい人の声も、日常のルーティンもノルマも自分を解放してくれない時、
普段着に少し羽織るものを持って近場で珈琲タイムをする。
単行本を開いて、窓際の隅っこの席で、窓の外をぼーと眺めながら珈琲タイムを過ごす。
年を重ねてくると、どうしようもないことはどうにもできないことなのだと、すぐに諦めと悟りの境地がやってくるので、「お疲れさまでした、自分」 という珈琲タイムが多い。事後処理の整え、の時間
若い時は違う。
何故?
どうして?
どうすればいい、私、どう動けばいい?
午後9時に電話が鳴った。
「あした、アメリカへ行くから、今までありがとう。元気で頑張って下さい」
気づけば車を走らせ電話の主のもとへ駆けつけていた。
カーテンなしの大きな窓からはっきりと段ボールやスーツケースと格闘している主の姿が見えた。
「下に来ている」
「さようなら。元気で。お互い夢叶えよう。気を付けて帰って下さい」
しばらく放心した後、いつも行く喫茶店に行った。
もう一度、いつものカフェにいるからと電話しようと手が動きかけたが、珈琲の香りがふわりと衝動を止めてきた。
ひとくち珈琲をのんだ。
温かい。
電話の主とは人生が二度と交差することもなく、思い出すこともほとんどない。
あの時の応急処置が良かったのだと、今ならわかる。
私の人生の主人公は彼ではない。
私の人生を最後まで伴走してくれるのは私
珈琲タイムはたとえ突然の失恋でさえ、整えてくれた。
珈琲タイムに裏切られたことがない。
心を許し合った友ともだんだん疎遠になってくる年齢になったら、一人、珈琲タイムを過ごすカフェを見つけておいたらいいと思います。
昨日、寂しさのあまり珈琲タイム
相席になった方と、気づけば、一時間あまり、武道について熱く語り合っていた。
それもありかな、と
とりとめもなく、昨日、襲われた突然のどうしようもない孤独感を処した方法を、つらつらと書いてみました。
