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カテゴリー:日記・コラム・つぶやき

11日にブログを再開する案内を親しい方々へメールでお知らせした。

ヤッホー!! と声をかけさせていただいた。

 

人生は山登りに似ている。

 

8合目? 9合目? それとも山頂はすぐそこなのか。

お元気ですか。山登っていますか。どの辺りにおられますか。

 

登り始めで出会った青春の仲間たち

4合目あたり思いのたけを語り明かした友

7合目辺りで滑落しそうなところを命がけで助けて下さった恩人

 

もうそろそろ8合目かというところで愛おしい助けに行こうか、と

心をわしづかみにしてきた子たち

 

ふもとでピクニックというより山を登っている、そんな共通の何かがあって惹かれた方がたへ、声をかけさせていただいた。

 

皆忙しい方々ばかりなのに

返信が次々と続いて止まらない。

3年過ぎのコロナ禍で錆びていたのは我が身だけ、心が奮い立った。 

 

***

 

「恐れ」

という鎧が、自由に書く、という本質を奪ってきた。

 

恐れることは、一番神を冒涜することだと原点に帰った気がしている。

のびのびと降りてきたものに手を任せ、指を任せ書いてきたはず。

何が怖い? 何が禁忌? それではお前は何故いるの? 

 

不思議な感覚です。

ようやく何かが全身から抜け出たような、それこそ自分であって自分ではないような、明日、いや今のこの瞬間天に召されても、もういい、というようやくの境地です。

 

 

そういう感覚を伝えてメールは送信するのが親切というものなのに、言葉足らずで送ったにも関わらず、返信して下さる友人の凄いこと。 

油断していない。風の音も聞き逃さない。神様の合図に応答できる方々って、こういう方々をいうのかもしれない。

リスペクトです。

 

自分って、なんて凄い人ばっかり出会ってきたのと、この一週間、感動が止まりません。

仕事ができる人って何かが凄いって聞いてはきたのですが・・・ 

 

少年よ、大丈夫、君もくいこんでいるよ。

泣きそうだよ。凄いじゃないか。そうそうたる大人たちに混じって・・・

 

 

自分で投げかけておいて

 

 

心は子供のように柔らかで、対応の早さは大人すぎる大人たちの格好良さに、先に到達していたであろうそれぞれの境地を思い、さあ登るぞ、歩くぞ、とありがたい気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます。

 

 

 

鎌を2本持って参加

以前は砥石と水を持って、鎌が切れ味が悪くなると砥石で研いでは草を刈っていたが、珍しがられたので、お調子者はやめて、さっさっさと草を刈ってきた。

 

女性は落ち葉を掃き集め袋に入れ、男性は高枝を切ったり鎌を使ったり、暗黙のルールがあることを10年近く住んで今日初めて気づいた。

 

隣りのご高齢のご主人から枝切りばさみを借りて、どんどん手つかずの場所を刈っていたらあとで我々がやりますから、と止めが入った。

 

草がいっぱい服についているのを見て、それ落とすだけでも大変ですから、もういいですよ、と労わって下さった。

 

野人はしばらく何していいのかわからない。

 

それでお隣りのお役に立てるような蜘蛛の巣を取りのぞいたり、枯れ木を切り落としたり、

田舎暮らしの労働の10分のいちも消化できず不完全燃焼で帰宅した。

 

*** 

 

 

鎌、クワ、鉈、のこぎり、

これは庭ではない、山だよ、と天を仰いでは父に文句を言いながら片付けに追われた空き家の庭。

 

久しぶりの草刈りで今もう筋肉痛を感じている。

田舎では文句を言いつつも背中の筋肉が柔らかくなっていくのが嬉しかった。

 

体を動かすために脳があるんだよ

へえ~

 

冬がもうすぐだと思うと、やはり二拠点生活はありがたい。

果たして今年は行けるか。

もうだんだん飛行機に乗るのが億劫で辛いなあ、と感じている。

生きていくを維持するのは大変です。

 

 

海派? 山派?

よく聞かれる質問

海も山もどちらも好きです、と答えると、だから究極どっち? と

 

選べない。

それにはワケがある、と古い原稿を片づけながら拾い読みしていく中で、ふと気付いてしまった。

 

海にも山にも獲物を求めて入るからじゃないのかな

レジャーで連れて行かれても視線はずうと食べられるものを探している。

根っからの野人。

 

子供の頃、川で洗濯していました。

帰りは川のエビをとり、薪になる木々を拾い担いで帰りました。

またあ・・・

 

アオサをとって、貝を拾って、蛸を捕まえて担いで帰りました、子供の頃。

またあ・・・

 

本当ですよ。

 

信じてもらえない。

 

子供たちだけでそんなことできないでしょう。させないでしょう、普通

 

本当だって

 

あなたのホラ吹おばさんの汚名を晴らしてくれるかもしれないYouTube動画見つけたから見て、と最近教えてもらって観たのが、

 

たぶんアマゾン?

子供がひとりで私のホラ話をはるかに超えて、

魚捕まえたり、木の実を取ったり、裸足で薪担いで歩いていたり、

その映像が、あまりにも自然で、能力高い超野人力

 

ほらあ、いるじゃないですか。

いるはいるけれど、今、あなたはPCの前に座っているおばちゃんじゃない。

 

あの子だって

数年後にはAI活用しているかもしれませんよ。

 

確かに

 

水道が引かれる前の時代を経験した世代もこの令和の時代に生きていると思うと

凄いことです。

 

電気もなく、ランプや薪をくべる生活。

癒される~

じゃなくて・・・それからこの時代までを肌で実際を生きてきたリアリティ

 

*** 

 

42歳までに書いた小説が35本あった。

それのほとんどがタイムスリップか? というような妙な生活場面ばかり

 

由来は、たぶん時代の変化にあるのかもしれない。 

 

*** 

 

断捨離、断捨離

 

時代に必要なものはその時代が用意する。

 

電子書籍、電気の通っていなかったランプ生活の子供時代。

夢にも想像できなかった今のこのやりよう、・・・凄い時代の流れですね。

 

 

生きている間に人はどれだけの景色を見るだろうか。

行って見たい国や見たい景色はまだまだ多い。

 

器用ではなかったので、その日、その日の暮らしがやっと。

景色を楽しむ、立ち止まって味わうというのは、子育てや仕事を退いた今ならではのこと。

体力勝負という条件付きの特権、神様からのご褒美、案外短い貴重な時間なのかもしれない。

 

***

 

この浜を何度歩いただろう。

どれだけの人と歩いただろう。

 

そんなことを思いながらあまりの癒しに写真を撮った。

でも思い出してみたら、子供と遊びで訪れたこともなければ、誰かと話し込むために歩いた記憶もない。

 

車中や喫茶店や自分の家のなんちゃってカフェルームや、話し込んだ場所はおおかたそんな所。

 

風情とはほど遠いバタバタとしたこれまでの生活を

コロナ禍が方向転換させたのかもしれない。

 

人と簡単に会えなくなって子供と二人早朝散歩をはじめた。

波に足が濡れる、ちょっと寒い、でも大丈夫、島ぞうりを履いていると気分だけなんとなく大丈夫、そう励ましあいながら二人でペタペタと透き通るような波の上を歩いた。

 

南の島は朝日が昇るのが遅い。

薄暗い時間に家を出るのは初めは怖かったが、慣れてくると、昇り始めた太陽の日差しの強さに、もう少し早く出よう、と毎回思わされた。

 

岩場に人影があった日には、ドキッとしたが、相手もどきっと警戒している。

誰もいない、鷲やカラスや魚の群れ、波の音、そんな空間に、

朗々と本を読み上げている人の姿。

 

邪魔にならないようコースを変えて

家に戻って珈琲タイム。

 

声の主は太宰治を読んでいた。

青森県出身の作家さんの脳が、時代を超え、空間を超えて、南の島の早朝の浜辺で読み上げられている。

 

人は生きている間にどれだけの風景に出会うだろうか。

止まったような時間がようやく動き出した。

ありがたい。