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生きている間に人はどれだけの景色を見るだろうか。
行って見たい国や見たい景色はまだまだ多い。
器用ではなかったので、その日、その日の暮らしがやっと。
景色を楽しむ、立ち止まって味わうというのは、子育てや仕事を退いた今ならではのこと。
体力勝負という条件付きの特権、神様からのご褒美、案外短い貴重な時間なのかもしれない。
***
この浜を何度歩いただろう。
どれだけの人と歩いただろう。
そんなことを思いながらあまりの癒しに写真を撮った。
でも思い出してみたら、子供と遊びで訪れたこともなければ、誰かと話し込むために歩いた記憶もない。
車中や喫茶店や自分の家のなんちゃってカフェルームや、話し込んだ場所はおおかたそんな所。
風情とはほど遠いバタバタとしたこれまでの生活を
コロナ禍が方向転換させたのかもしれない。
人と簡単に会えなくなって子供と二人早朝散歩をはじめた。
波に足が濡れる、ちょっと寒い、でも大丈夫、島ぞうりを履いていると気分だけなんとなく大丈夫、そう励ましあいながら二人でペタペタと透き通るような波の上を歩いた。
南の島は朝日が昇るのが遅い。
薄暗い時間に家を出るのは初めは怖かったが、慣れてくると、昇り始めた太陽の日差しの強さに、もう少し早く出よう、と毎回思わされた。
岩場に人影があった日には、ドキッとしたが、相手もどきっと警戒している。
誰もいない、鷲やカラスや魚の群れ、波の音、そんな空間に、
朗々と本を読み上げている人の姿。
邪魔にならないようコースを変えて
家に戻って珈琲タイム。
声の主は太宰治を読んでいた。
青森県出身の作家さんの脳が、時代を超え、空間を超えて、南の島の早朝の浜辺で読み上げられている。
人は生きている間にどれだけの風景に出会うだろうか。
止まったような時間がようやく動き出した。
ありがたい。