2023年、大変お世話になりました

お世話になった方々へメールでお知らせをして再開したブログですが、

書けない日もあり、お恥ずかしいかぎりです。

貴重なお時間を頂き、心から感謝申し上げます。

 

うさぎ年の今年、バイタリティもなく、持病も環境の変化と共に心を折ってきたり、ぴょんぴょんと色々なことがあり、いろいろな出会いがありました。

 

メールでお知らせした方の中に、一度しか会話していない懐かしい同級生がいます。

電話番号を交換した時に交わした会話だけで、連絡してもよいか、悩みましたが、

恩人たちの数名の方々と共に思い切ってブログの案内をさせていただいた。

 

交わした会話はわずかでも、

山を登る人だ、と勘が働いたというか、

友人になりたい、と思う人はこれまでも山を登る人で、

この方へも人生すれ違っただけでも、感謝です、と伝えたくて連絡した。

 

一生の中で数回しか会えない人でも忘れられない恩人が多い。

神の人? と思うような人とありがたいことに多く出会えた。

 

自分は主人公脳になかなかなれないが、

出会えたほぼ一期一会か、と思うような方々の会話の寄せ集めで

その人の物語が生まれ、主人公としてのその方が脳裏に残る。

 

医療従事者だったので、

一人、ひとりを主人公に会話や出会いがあっても作品にする時間がつくれなかったのはとても残念。

 

かっこいい、主人公を書き留めておく時間が作れなかったのも含めて実力不足、と

最近は悟りも早く、恩返しはやはり作品化だと、これも感じている。

 

ブログで記事を書くよりもあらすじでいいから、主人公たちを残していこうか、と自分を励まして歩き出した今年でした。

 

大谷翔平さんの「あこがれるのをやめましょう」 の名言

とてもいいですね。

 

主・人・公

聖書で主は神

人は私たち人

公はおおやけですから、

神と人とがおおやけに生きていくことを意味すると思うと、

とてもかっこいい言葉だと思います。主人公は基本一人ですから、神とあなた

の公生涯、で主人公を演じるのはあなた自身。

 

漢波法、という少し変わった分解をすると、

公、は八とムに分けられます。

これはまた別の記事で書きたいと思います。

 

自分の人生を知っているのは自分と神様だけ、

端役、脇役ではないのです。

自分の人生の舞台に登場してくださる方々も舞台から去っていきます。

20代・30代・40代・・・

どれほど濃い関係だろうが、去っていきます。

 

辛い時間も嬉しい時間も去っていきます。

 

緩和ケア病棟で患者さまが一番多く吐く言葉があります。

「わたしは十分やっただろうか」

言葉のいいまわしに多少の違いがあっても、

○○に会いたい、よりも多いのです。

舞台を私は主人公として演じきったのか・・・

舞台は成功だったのか、ではないのです。

演じきったのか、なのです。

 

一度きりの自分の舞台、

照明は神様から、か

演出も登場人物を決めたのも原作も脚本を書いたのも、自分か、

いや、

ドタキャンもあったし、客がいない日もあったし・・・

主人公と神の織りなす様、模様、

舞台が、観客が息を呑むほど見事な瞬間をひとときでも披露できたら

あこがれるのをやめている、

その人だけの人生の魅力、模様がそこに確かにあった証し、

あこがれはその瞬間、ないのです。

 

 

***

 

若い女性も男性ももっと恥をかいてもいいから出会って曝して恋して・・・

そんなことを昭和生まれは思います。

 

つれづれに年末の慌ただしい時間に書きましたが、

どの小説の中にも必ずベースは恋、を入れてください、と師匠や編集者の方からアドバイスをもらったこともあり、

さて、どうなる、と引き込む力なのだとか。

 

お若い方々、どうか舞台のクライマックスで演出したい自分の分野があろうかと思いますが、登場人物に恋の相手を登場させて下さい。

思い切り、生き生きと、

どなた様の舞台もますます研ぎ澄まされた素敵なものとなりますように、

 

今年も大変お世話になりました。

ありがとうございました。