今日は短い時間でしたが、久しぶりの珈琲タイムを街中のおしゃれなカフェで過ごすことができました。
昨日、30数年ぶりに超秀才だった幼なじみと再会し、
あまりにも優しい声や表情が菩薩様というのはこんな感じ? と思ったほどです。
私のマシンガントークを笑いながら頷きながら聞き通してくれて、
悟った人の持つであろう神々しさを子供のころから幼馴染の彼女に感じてはいたが、
長じて
いやあ・・・
自分の凡人ぶりに、改めて、
ああ・・・人って・・・こんなにも違うものなのか、と
こんな素敵な人が生まれて最初の友人として与えられた
稀有な、本当に自分は恵まれていたんだなあ、といろいろなことが脳内を巡り、
感謝。
私の巻いて巻いて勝手に語りつくすこれまでの話を微笑んで全部聞いていた。
いないよ、そういう人。
初めてだよ、そういう人。
不思議そうに質問していたのは、東京に住んでいてどうしてその語り口なのか、訛り?
話術? 取れてないだけ? 何故? ただその一点だけを何度も解こうとしていた。
そうです。
わが幼馴染はまだ全国模試が珍しかった頃、始まったばかりだったのかもしれない。
塾も予備校も家庭教師もいない、片田舎の学校から受けて全国1位を獲った超秀才なのです。ほぼ満点だったと聞いた。
もう一つ
私のマシンガントークに、秀才脳が ?
高校の夏休み、
親の押し付けてくる進路から逃げようと思い、あなたのノートを借りに行ったところね、
「うん」
得意の英語からまず自信をつけて、そのあとで数学を借りてとお家に行ったの
「うん」
借りた英語のノートは全部英語しか書いてなかったから、これじゃないの貸して、って言ったら、これしかノートはないっていうの
「それで?」
優しく微笑みながら、笑う準備をしてくれているが、
英語しか書いてない、で共通理解できない世界にいるのだあ、
誰か、助けてくだしゃい、と泣きそうになっている凡人に話のオチがあろうはずもなく、
and そして、とか
三人称、とか
ここは全文をまとめて、とか、書いてないし、とかオチになるとは思えません。
わからない人が書き込むのであって、
いらなかったということです。
英語しか書いてない英語の授業のノートって他に見たことがありません。
そこからはオチなしのマシンガントーク、たぶん3時間しゃべり倒したと思う。
誰も頼んでいないのに・・・
また会いたいから連絡先を交換していい? と交換した。
今度はマシンガントークをやめてみようと思う。できるかどうかはわからないが、
知りたい。
不思議の先を知りたいのです。
恩人でもある幼馴染に会えた昨日、毎晩、映画か? というほど見る夢をまったく見ませんでした。
不思議です。