早朝、道路沿いの草と格闘していると、毎回、元気よく、「おはよう! 頑張ってるね」 と軽トラから声をかけてくれる兄ぃ兄ぃがいる。
外人さんがカタコトの日本語で「オハヨウゴザイマス」 と頭を下げながら挨拶してくる。
日が昇るころになると、また違う挨拶が飛び交う。
幸せな気分がふわあと全身を巡るので、きっと何か体にいい・・・が出てきているに違いない、とこれは癒しだ~、と心から感謝している。
断捨離続きの日々はごみ収集車の職員さんたちとの間接的な・・・でもある。
透明度が弱い袋で資源ごみを出してアウト。
鉄なべを燃えないゴミ袋でアウト。
一生懸命、市の分別資料を見ながら取り組むも、残念な日々も続く。
東京都の分別習慣でついやらかしてしまうと、もちろんアウト。
炎天下の中、
ある時、全部合格して全部持って行った車に、頭を下げてお礼をしたら次の家のごみを乗せていた若い職員さんが、ごみを入れたあと、暑いだろうに、動きを止めて、こちらに向いて礼儀正しく頭を下げていた。
思わず涙があふれて、兄ぃ兄ぃ、ありがとう、暑い中、本当にお疲れ様、と、癒し・・・があふれ出てきた。
それからというもの、ますます資料をよく読み、ごみ箱を毎回洗い、足元になるだろう場所の草を取り除き、ありがとうの気持ち、伝われ! とおばあも頑張っている。
不合格の日もあるけれど、それでもあふれ出る癒し物質
***
庭の草取りをしていると、散歩しているのだと声をかけてくれる90歳は過ぎているのだという島のマダムたちが3人ほどおられる。
誰かわかる? と皆が同じ声掛けのあと、どなたも同じことを言う。
「ありがとうね」
「きれいにしてくれてありがとうね」
うっと泣きそうになる。
ゆっくり歩く後ろ姿に、気が付けば頭を下げている。
背筋を伸ばし杖を片手にウオーキングをして、自分の家でもないのに、
ありがとうね、と励まして立ち去る後ろ姿・・・
学生の頃、夏休みのバイトで得たお金で、初めて買った本は
「菊と刀」
「風姿花伝」
専門書に追われる人生になるだろうから、初めにこれを買え、
尊敬する方に薦められて買った二冊。
何度も何度も読んだ。
専門書に呑まれていく日々の中で、残念ながら
今でもすぐに手繰り寄せられる箇所は、情けないが、
「老人の後ろ姿を真似よ」
まず真似から入れ、先達をただ真似よ、と記憶している。
達人の奥義、あれこれ言うな、ただ真似よ、と。
島生活は真似なければと思う師匠が身近にたくさんいる。
日常の息をするだけで真似て生きる知恵が入ってくる。
それも癒し付きだ。
ようやく、真似よ、の意味がわかり始めたような気がしている。
真似よ、が癒し付き、
ありがたいかぎりです。