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「国宝」

ようやく観に行くことができました。

 

2月に東京へ戻り、大雪に南国脳を思い切り切り替えるチャンスを得て、行ってきました。

 

美しかった。

凄かった。

 

「役に生きる」

という、推し活中の横浜流星さんの晴れ舞台

 

TVや映画館がない田舎暮らしで、「べらぼう」 も拝めずでしたので、全身全霊で観てきました。

 

しゅん坊は、かわいく踊る

ファンは観ていて辛かったですね。

 

復帰した時のしゅん坊の舞は二人で競い舞う時とは違いました。

それでも二番手という設定の役を生ききり演じきっていました。

 

そんなことまでできるという若手の役者さんって他におる?

 

凄い俳優さんです。

 

 

 

そして、この方の感想に唸りました。

素人の自分が表現できないけれども何か感じた奥の感覚を説明して下さっています。

 

やはり歌舞伎の世界で生きている方の一言、ひとことが重いです。

本物の歌舞伎を観に行こうと思います。

 

少し「国宝」 から離れますが、海老蔵さんだった頃、大河ドラマで武蔵を演じられたことがありました。

刀を交えるシーンで飛び上がった武蔵の足の動きがレベチで、歌舞伎役者さんって、なんて凄いの? と驚いたのを今でも覚えています。

 

 

そんな難しい演じることなど臆しそうな歌舞伎役者を演じきって、売れに売れている吉沢亮さん、横浜流星さん、あっぱれな役者魂、武者だったと思います。尊敬します。

 

世界中がこの二人の美しい女形の競演に魅了されるのは、ファンとしてとても嬉しいです。

 

よく頑張った。

その視点でしか追えない映像の数々

 

二・三回、観に行くべきだと思いました。

 

次は、俳優さんのご苦労を想像するところから離れて、物語に没頭できるように観てきたいと思います。

 

そしてその次は歌舞伎の世界の映像美に酔いしれてきたいと思います。

 

美しい。

日本の伝統文化は素晴らしい。

 

ありがたいですね。

 

今日でも損なわれず、伝承するために今、この瞬間も懸命に励まれている方々がおられることを改めてありがたいことだと、「国宝」 で思うことができて感謝です。

 

 

車を預けていざ行かん

暑い時に暑い所に行くなんて、二拠点生活の本質からズレていますが、

今回は、緊急、帰省なので致し方ありません。

 

車にバイバイをして電車で帰宅

 

サラリーマンのちょうど昼食タイムと重なり、

さっそうと歩く働き世代に気持ちが引っ張られ、

気づいたら、自分も速足

 

かっこいい女子も多くて、時代を感じました。

 

都心に行くたびに思うこと、

シュッとした働き盛りのかっこいい人の多さに、

日本、大丈夫だなあ、と嬉しくなります。

 

地方には地方の良さがあって・・・いいですねえ。

 

血統祭司という不思議な家系に生まれて、

加齢と共に、

現役の仕事が一つ終わり、また一つ終わろうとしています。

 

最後まで残る仕事が、これだったんだ、とようやく今頃わかったりしてきました。

 

次世代のためにできること。

 

祈ること。

全身全霊で役割を果たしてこようと思います。

 

 

 

 

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「王様と私」渡辺謙さん

 

(過去記事)

 

「王様と私」 の日本凱旋公演があったのは2019年の夏

 

 

長年、渡辺謙さんのファンで応援していたので

即、チケットを子供と二人分購入。

 

当日は二人とも緊張して行きましたが

最高の公演にそのあと母はもう一度一人で行きました。

 

「一人で行くの? それって人としていいの?」

と、呆れられましたが

 

キャンセル席を狙って二度目の席はいい席でした。

横を王様が通っていくのですが、王様の服が触れるまで

私はうかつにも二度目なのに、

横を通ることをすっかり忘れていたのです。

 

「ラストサムライ」 で、海外へ赴いた謙さん

英語で歌って踊って・・・

40代で英語デビューしたとは思えない凄い迫力でした。

 

二度目の公演が終わった後、友人へ冊子と共にレター

彼女はトム・クルーズ、いのち

私は謙さんファン

「ラストサムライ」で共演した時は夢を見ているようね

と二人で喜び合った絆の強い私たち

 

「何? あなた、何しているの? 働きなさい。

え~!嘘でしょう。舞台観たの?嘘でしょう。

ハリウッドが来たの~」

 

冊子が届くやいなや、

こらー!

と電話がかかってきた。

 

仕事でもっとクタクタになれだの、遊びすぎだの

因縁ばかりつけて人間性のかけらもない悲鳴をあげて

 

でも最後には

「これが中高年になっても恐れないで上京したキミへの

神様からのご褒美だね。そうかあ、キミは東京在住かあ、

チクショウー、いいなあ」

と、現場感を教えて、教えて、と話はエンドレス

 

トムクルーズが基地にヘリで降り立ったという情報が入って

その情報を持ってきた友人と三人で一日中基地周辺を車で走り

まわっていたことなど、話は尽きない。

 

いいなあ、謙さんは日本人だから

他の舞台作品も観に行けるものね

ゆとり年齢になったら、東京暮らし、絶対いいよねえ、と

あれほど上京を心配していたはずなのに、心境は変化する。

 

電話を切って

そうかあ、そうよね

舞台、行けばいいのよね、電車で行けるんだもんね

 

それがコロナ禍で

ステイホームに続くステイホームで、懐かしい友人と

電話ばかりで交流していると、田舎へのホームシックにかかってしまった。

 

子供の巣立ちも重なった。

 

はっと気づけば、ここは東京、周囲は知らない人ばかり

田舎では知らない人を探す方が難しい

引きこもっていたって、

戸を強引に開けられて様子を大きい声で尋ねられるだけだ。

 

動いていたエスカレーターがピタリと止まったような景色

自分の足で歩きださないと風景は止まったまま

上の階へ行くの?

 

下の階へ戻るの?

 

しばらくは動きださないと思うよ

そのエスカレーター

 

よし、上の階へ行ってみよう

上りエスカレーターに乗っていたんだから、

降りる方が楽だけれど

一度きりの人生だから

思い切り観て聴いて生き倒したいじゃないの

 

冬の感染の流行状況を見ながら予防しながら

もう止まってしまうのだけは嫌だから、頑張って前へ進もう

 

日常に、ふっとロマンという風を送ってくれるのが芸術

秋はやっぱりロマンティックです。

 

 

32年前の主人公、渡辺謙さん

(過去記事)

 

「尾瀬に生き、尾瀬に死す」

 

テレビを産休に入ったのを機会に買い、最初に観たのがこのドラマだった。

尾瀬の道を登っていく俳優があまりにも懐かしい人に似ていたので、TV局に電話をかけて俳優の名前を教えていただいた。

 

渡辺謙さんはそのあとも「独眼竜正宗」などで活躍され、その後は世界のケン・ワタナベとして今ではあまりにも有名な方である。

 

当時、27歳・28歳の頃

ICU勤務と幼い子供2人の子育てに忙しい日々、

仕事で論文をまとめる役目を請け負ってしまい、NECワープロ文豪ミニ5UVを買った。

 

大きい、そして重い、そして革命だった。手書きの時代が終わったのだ。

 

職場の会議室に置かせてもらい、仕事の隙間時間にタッタッタと打っている傍で同僚が、「触わらして」と恐る恐る手を伸ばしてきたり、

死ぬほど忙しいのに、若いというのは恐ろしいものですね。無我夢中で勢いで習得していくのですから。

 

***

 

それからしばらくして外国在住の身内からTVある? と

謙さんのニュースを教えてもらった。

 

「天と地と」の降板、闘病の報道。

 

通訳ボランティアで知ってはいたが報道されるまで電話は慎んでいたようだった。

 

その日の仕事帰りに気づいたら文豪ミニを自宅に持ち帰っていた。

休暇を5日もらえ、3日間子供たちと海で遊び、残り2日間は子供たちを保育所へ預け、生まれて初めて小説を書いた。

 

***

 

助かってほしい、生きてほしい、

祈り方もわからないまま、ワープロに向かうと指が勝手に動き、気づけば物語が生まれていた。

 

渡辺謙さんに演じてもらいたい、そう祈って書きました、と後に編集者の方にこの時の様子を話したら、二人でいつまでも話が止まらず、それが次の小説をおろしていくきっかけになった。

 

***

 

それから人生の波乱万丈も激しくなり、小説を書く時間はほぼなくなっていった。

主人公の姿が先に降りてくる、という不思議が起きて、

その方に触発されて、その方のイメージで物語が生まれていく。

 

***

 

「緩和ケア病棟」という小説も、先にあまりにも清潔で高潔なナースに出会ってしまい、その方を目で追い意識した1日ののち、数日後に物語が降りてきた。

 

主人公が先にいた。

 

本当に不思議です。

そうでなければ二足の草鞋を履く小説書きが、またぞろ書き出す、直して出す、ということなど無理な話です。

 

どの仕事も同じで、そんなに物事、甘くはない。

資料も時代考証もほぼほぼしてこなかったので、ようやく時間ができた今、調べてみると、恐ろしい、合っている。

 

怠けて放置していることさえも忘れて、そろそろ天国へ帰っていくのかなあ、と油断していたら、やるべきことを放置している人の中には、入り口で追いかえされてしまう人もなかにはいるらしい、と聞き、ええっ、そうなの? と焦りが生まれ、恐ろしくもなり、終活意識で、大昔の原稿を断捨離、断捨離、と手を付け始めました。

 

ナーバスな私に喝! を入れるコツを知り得ている友人のアドバイスは時にありがたいです。