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カテゴリー:日記・コラム・つぶやき

 

(過去記事)

 

今日の珈琲タイムは和食屋さん

 

「お久しぶりです。お元気でしたか」

と声をかけられて、覚えて下さってありがとうございます

と言うと少し涙ぐんでおられた。

 

2019年の12月、英語圏に住む姉が帰国したので案内したのが

最後だったようで、お店の人の方が覚えていた。

年明けからコロナ禍で、そうだ、あの頃まではこうして伸び伸びと

外食していたんだ、と思い出した。

 

お店も大変だっただろうな、と改めて思いました。

店内のお客さんもマスクで黙食で気配がないほどマナーが良く

おかげさまで安心して美味しい日本食を楽しんできました。

そしてここの食後の珈琲がなんとも美味しいのです。

私の口によく合うので、コロナ前は、月に1回は通っていました。

 

お姉さま、お元気ですか?

と一度しか来店したことのない姉の国の様子も聞いて下さり

早く行き来できるといいですね、と温かい。

 

思えば、コロナ禍前は、外食にもよく出かけていた。

美味しいスイーツも食べていたのに体重は若い頃と変わらなかった。

それが免疫力をあげるぞ、と作りに作った私の料理のみの顛末とスティホームで

15㎏増・・・って、ある? 

 

ナチュラルな暮らしがどんなにありがたいことなのか、今更ながら感謝

コロナが落ち着いたら

海外旅行へも行こうね、と子供に言うと嬉しそう。

子供と海外旅行へ行ったことが一度もないことに気づいたのも

正直立ち止まったからで、それも不幸中の幸いかもしれない。

 

真面目で一生懸命な店員さんの優しさに経済まわさなきゃ、ね

と市井の人ながら本気で思いました。

 

「踏むなよと 浜に敷かれし 花香り」

 

誰もが一生懸命生きている

気づかずに踏んでしまっている花もあるかもしれない。

花の香りに気づける感受性は大事にしていきたい、と思う。

 

一人きりでは生きていけないし

生きている意味も感じられないし、

家の中ばかりは寂しいです。

人は人の中にあって、生き生きと言葉を交わし、

 

やっぱり外の空気を普通に吸える社会が早く来たらいいな、と思います

 

 

昨日はぐるぐると子供を探して心配もしたぶん、今日は朝から動けず

 

なじぇに謝らないのだろう。

悟ったのは、親の方でした。

ようやく何かがわかったのです。

この子は若者、20代、人生一番楽しいだろう年代。

 

ーなじぇに、親の了解を得なきゃならないの。ー

 

 

私の20代なんて、親の言うことどころか存在すら脳裏になかったような、

 

 

ーなじぇに、好き嫌いを他人が決めるの。ー

 

 

私なんて、友達に恋に、あれこれ好きなことに夢中だった気がする。

 

 

ー仕事時間以外の私時間は私のものじゃん。ー

 

だよね・・・目からうろこです。

 

 

 

親の私からみたら、IQは幼児と言われれば、いつまでも幼児を保護している

感覚が抜けず、またそれがかわいくいとおしく、何年も続く子育ても気にならず、

 

ところが、今日、ぐったりしている私は幼児を育てる年齢ではありません。

部屋のドアを閉じて自分時間を過ごしている子は、明日の仕事の予定を聞いてきます。

 

お母ちゃんのほうの視点が自分軸でした。

謝って、思い切り人生楽しんで、とハグ・・・許可もらってしたいと思います。

 

***

 

27歳の時、人生に立ち止まったことがあります。

それこそ山に入り、一人座禅を組んで瞑想したこともありました。

 

インドの舞踊家・シャクティさんの

「立ち止まるな、立ち止まったら動け、人生は立ち止まるな、それは死だ」

という、踊ったあとのマイクパフォーマンスにどきっとして、

そのあと、山に入りました。

 

生きるって何?

ふと、人生って何?

と、立ち止まってしまいました。

 

静寂の中で得られるものはなく、職業を変えようと真剣に思ってみたりもしました。父親に決められた職業。毎日が真剣勝負の世界で立ち止まる時間はなかったのが幸いだったのか、長子出産の休暇の隙間時間に立ち止まってしまったのです。

 

夢中で時間を忘れるくらい大好きなことが仕事になり、

話しても話しても足りないくらいいつまでも一緒にいたい人と結婚して、

そんな人生を描いてね、と子供たちには勧めてきましたが、

自分の人生は何にも考えずに、目の前のことを片付け倒す、くらいの勢いできて

急に、ふと、ふと、生きること、を考えてしまいました。

 

今日、子供を見ていて、

折り紙をしたりゆったり過ごしているのをみて、

あまりのありがたさに涙が止まらなくなりました。

 

生きるって、生きていることじゃないか・・・

 

親の傍にいて、親に何かを押し付けられても言葉がうまく伝えられなくて

時にはレジを打つお姉さんの姿にあこがれて、家で電卓打ってみたり

 

限りある中での一生を与えてしまって、ごめんなさい、といじけている母ちゃんを

責めることもわからずとも、

 

ゆったりと自分時間に浸っている。

 

人は誰しも必ず老いやがては死ぬ。

環境や状況が一変する時もある。

 

山を一合登った気がします。

 

立ち止まるな、

でも立ち止まってしまったなら、まずは座ろう。

助けは、求める者には必ず与えられると信じています。

 

 

 

数日、気温差で、ヒートショックで少し休養していました。

過去記事を管理人にアップしてもらい、以前に読んでいた方、すみませんでした。

 

紙で出したことのあるものを電子書籍で出していく作業をしているのですが、

もう30年以上前に書いたものを読んで、心臓がドキドキしだし、しまいには呼吸も苦しくなって受診。

 

若い頃の自分が書いたはずなのに、刺激がキツ過ぎて途中でぽいっ!

 

無理! 

私が死んでからお願いね。

 

そのまま直しもいいから・・・すみません、お願いします、と意気地なしです。

 

やどかりのように貝殻の中にじっとおとなしくしていました。

 

***

 

鬼滅の刃の我妻善逸、少年、

「怖い、こわい、こわい」

よっく気持ちわかります。

眠って無になって何かに身を貸して、仕事をして、

それも覚えていない、凄いです。

 

グリム童話の作家さんは、棘が刺さった痛さで遺言状を書いたというエピソード

があります。

 

果てしなく想像してしまうというのでは、おそれおおくも同じですが

偉人を少しでも見習っていきたいものです。

 

棘で遺言状を書きながらも休まず進み続けたのですから。

 

 

体調が戻ったならば、

やどかりも足出して、そろりそろりですが、砂浜歩き出しました。

 

 

(過去記事)

 

有名なリトルアーニーのお話。

 

140年ほど昔のアメリカでの実話です。

救貧院にリトルアーニーと呼ばれている少女がいた。


8歳で母親が亡くなり、

10歳の時、アル中だった父親に

 

リトルアーニーは弟と救貧院に置き去りにされます。

 

世界中が貧しい時代、

劣悪な環境から、トラコーマという目の病気に罹り失明寸前になりました。

 

さらに追い打ちをかけるように、

救貧院に来て数カ月もしないうちに弟が亡くなってしまいます。

 

天涯孤独となったリトルアーニー。

重度の鬱状態になりました。

 

一切のことに無反応となったリトルアーニー。

食事もとらず会話もしない。

 

救貧院の職員、誰もがお手上げとなり、

地下の独房のような部屋に置かれます。

 

精神病院へ移されることになり、

せめてそれまで、と

 

若い女性職員が、

私に食事を運ばせてください、と申し出ます。

 

食事を運ぶたび声をかけても反応はなく、

聖書を読みますが、反応はありませんでした。

 

若い職員はあきらめずに続けます。

がらんどうの洞窟に向かって聖書を読んでいるようで、

 

だんだん辛くなっていき、

虚しくなり、

 

明日でやめよう・・・

他の職員が何度も挑戦した時と同様、

 

彼女も諦めました。

最後の朗読となった日、

 

彼女は応答のない虚しい朗読のあと、

どうせ今日も手つかずだ、と食器を下げようとしました。

 

ところが食事がなくなっていました。

彼女は施設の長へ報告します。

 

精神病院へ移すことを少し待とうということになり、

彼女は、食事を運ぶことと聖書を読むことを続けます。

 

リトルアーニーは救貧院で長じ、

やがてパーキンス盲学校に進学し、首席で卒業します。

 

リトルアーニーは、

のちに

 

見えない、聞こえない、話せない、

三重苦で苦しむヘレン・ケラーの先生になります。

 

「ウォター」

ものには名前がある、という概念を教えたアン・サリバン先生。

 

あなたは?

「Teacher」

 

多くの教師の教えを受けたヘレン・ケラーですが、

先生、と生涯呼んだのはサリバン先生だけだという。

 

小さなアーニーのあまりにも有名なお話を

書かせていただきました。

 

奇跡の人、

あやかりたい。