緩和ケア 家での看取り

緩和ケア 家での看取り

 

写真は、身内の育てたサガリバナ、珍しい花です。

 

***

 

 

緩和ケア病棟、病院によって取り組み方が違ってきますが、

自宅で看取る、という選択をした知人に少しでもお役に立てばと書いた記事です。

 

(過去記事)

 

今日は久しぶりにコロナについてまとめたものを持って

1時間弱の説明へ行ってきた。

 

コロナ禍で人の集まる場所へ外出をしたのは、ほぼ一年半ぶりかもしれない。

かたくなった頭に詰め込めるだけのものを詰め込み

 

物忘れがひどくなった脳を揺さぶりながら

自分の老眼のために用いた大きなスケッチブックを持って

 

コロナというウイルスについて

 

自己と非自己という免疫のシステムについて

 

マスク着用やガウン着用や

清潔ゾーン、不潔ゾーンの概念など

 

今更ながらではあるが

復習すること、整理整頓することで

少なくとも身近な人を守れる知識をシェアすること

を目指して話してきた。

 

緩和ケアとは離れている内容だが

最近、多くのことを同時にこなす力がなくなっていて

こちらで書いた文章をある方へ渡したいと思い書いています。

 

自宅で大切な方と最後の時間を過ごす。

客観的に考えると、残酷な時間である。

 

共に過ごす時間は大切な人であればこそ永遠であれ

と思うものです。

人は誰しも最後はこの世を離れます。

ですが、愛する人との時間は永遠なれ、とやはり思うものです。

 

とても辛いですが

貴重な時間をどのように過ごすか

答えはありませんが、少しでもお役に立てればと思います。

 

痛みを取ること

ペインコントロールが何にもまして優先すると思います。

痛みは死から逃れようとする人の体のSOS、サイン、

 

それが患者様の意識の最優先であり続ける限り

死という恐怖と対峙し葛藤していることになります。

 

ゼロではないが和らげ、緩やかにするというのが

緩和ケアの意図になります。 

 

そして残り少ない貴重な時間の中で

クオリティーの高い時間をステロイド剤を用いて

導いていきます。

 

会いたい人に会う時間

ゆっくり家族水入らずの時間

ご本人の望まれる尊いひとときを

サポートする側が演出する、という努力も

とても大切な思い出になります。

 

がん細胞は貪欲です。

点滴も食事も健康な細胞へはいかず

がん細胞を太らせていきます。

 

過酷なようですが

緩和ケア病棟ではよほどでないかぎり点滴はしません。

 

患者様と過ごす時間の中で

スタッフが緩和ケアの手を差し伸べるのは

患者様と同様ご家族へのケアです。

 

痛みの棘にもがくご家族の心に寄り添い

ご家族が患者様に寄り添うのをあくまでも黒子として

手になり足になり知識を手助けし

最後まで伴走します。

 

誰かが必ず聞いてくれる

一人ではない

 

大切な人を看取るのにマニュアルはありませんが

看取りたい、という思いは

関わる方々の心を動かし

最上のことを提供しようとする輪になっていき、

ワンチームから、

唯一無二の時間が生まれていきます。

 

少しでもお役に立てればと思い

急ぎまとめてみました。

 

 

楽園の入り口にいますか?

楽園の入り口にいますか?

 

本物の楽園は天国だと思っているので、

生きている間、自分が立っている今・ここは楽園の入り口にふさわしいだろうか。

 

そんなことを意識して生きるようになって、

物がすべてがお気に入りに囲まれていない時でも、状況がベストでなくても、コト切れそうな気分の時でも、楽園の入り口で暮らしている、と思える力があればいい。

 

家の中をカフェ気分にするのは、10代から始まり、

インテリアが大好きで、物書き以外だとインテリアコーディネーターになりたかったほど、心地いいおうち時間は永遠の憧れです。

 

父が庭の片隅に板を張って休み場を作ったことがあり、

学生仲間が我が家を訪問して、おしゃれ~、とおおはしゃぎした。

大木の下を輪で囲むように、テーブルもあって、木陰は気持ちよかった。

隣近所、客人、外国からの訪問者まで、人が人を呼び、昼寝をする人もいた。子供たちは宿題を持ちより、そこでご飯も一緒に食べた。

隣にブランコまで作っていた。もう数十年前のことだが、鮮やかに蘇る。

 

父の影響かもしれない。

シンプルでモノは少ないけれど、心地いい、を目指している。

シンプルな空間にそっと置かれた花はよく香る、と聞く。

 

楽園の入り口はこんな感じ?

師匠はありがたいことにたくさんいた。今もいる。

 

 

(過去記事)

 

災害が続き、記事を書く余裕がなく、すみません。

台風12号が通過中ですが、電子書籍、初出版をしました。

今日は、楽園の守り人である恩人の告別式がありました。

恩返しができなかった、と嘆く私たちに、「お先に」と

軽く手を振ってゲートをくぐって本物の楽園へと帰っていかれた。

片手でさようならをするその後ろ姿へ、

個人的なお礼を書かせていただいております。

 

 

「○○くらぶ」

不思議な空間は無償で毎週あった。

曜日に合わせて、魚を獲り、イカを釣り、蛸をとり、

さしみにし、新鮮な手料理で客人をもてなす不思議な楽園の守り人。

ハーモニカが上手で、ギターも上手で歌もプロ並み、話も深い。

一見さんも常連も誰も拒まない、皆、招き入れる。

何故、くらぶはこの日なんですか?

新参者が問う。

主さんが明日休みだからさ

ベテランメンバーが教えてくれる。

朝まで続く南国の夜

男の美学、試される情の濃い明けない宴。

(明日仕事であろうが、朝まで帰してくれない。怖いねえ・・・

男子のみの会・・・試される、男だろ、まあ、いいから呑め)

 

***

 

 

歴史の柱がポキンと一本折れたように、一昨日、天へ逝かれた。

変わらないものを伝承することの物凄さ。

潮目をよみ、季節をとらえ、自分の分の中で極め尽くす。

楽園の入り口には、そういう郷の美学が、どん、と座っていてくれる。

その方がおらなくなったら・・・どうなるんだろうか・・・

それぞれが持ち場で極め尽くせ、そう天から言われている気がした。

楽園はここだ、と伝えきれるか。

本物の野人の放つ匂いが遠ざかっていく。

大変お世話になりました。

ありがとうございました。(合掌)

Hiro & Tami  月間やいま 南山舎

友人から紹介があって本日届いた南山舎の月刊やいま、雑誌の12月号に、

ご夫妻のインタビュー記事が載っているとのこと。

当ブログ記事でも書かせていただいた↓

島で聴いたサクソフォーン

 

ご夫妻に許可を得て記事を書いています。

 

 

これが本業です、と話していましたが、

話半分に聞いていた自分に猛省。

 

プロじゃないですか。

BEGINの生みの親って、風の便りに聞いていたものの、

ご夫婦で出されたCDを拝聴させて頂いて納得です。

 

奥様の影響で、島に牧師さんがおられない時代、

送られてくるCDを聞き、アカペラで讃美歌を歌っていたという。

音楽家のご主人を伴うようになって、

ご主人が伴奏するアカペラじゃない讃美歌を皆さんで歌うようになって、

 

讃美歌の伴奏に慣れてきた頃でしょうか、

ご主人が離島赴任から戻る船内で体験した、降りて来たメロディー。

 

それを島イズムをのせて、ご家族総動員、教え子のプロのミュージシャンと

一緒に作品化したのが、

「愛と光のうちで」という、今回オリジナル讃美歌のCD

 

***

 

「ガジャンのブルース」は中学2年生の時の作品と雑誌のインタビューで答えています。

 

♪ ガジャン、ガジャン、ガジャン・・・ぼくはガジャンにかーちましたあ~♪

 

ガジャン、ガジャン、ガジャン、ガジャンって、何かわかりますか。

蚊、です。

中2の少年が勝ったのはガジャン。

 

南国のガジャンは強いんです。

逞しいんです。

生き物が濃ゆくて強いんです。

ガジャン倒すの、けっこう難しんです。

 

あと、ヤモリ・家守も強いんです。

戦う前に心折れそうになるくらい、いっぱいいるんです。

ヤモリは家を守る、とか王の宮殿に住むとか言われますので、

王の宮殿かあ・・・頭の上・天井を這っていても、

そうかあ、王の宮殿かあ・・・叩けません。我慢です。

 

そういう話ではなくて、

 

CDを出してくれてありがとう、とお礼を伝えました。

毎日、子供が聴いています。

 

私も疲れて体調が悪い時は、

子供のベットに横たわって何度も聴きます。

 

郷愁が笑いも誘うし、涙もこぼれさせるし、

なにより癒します。

 

郷愁の先に待つ神の国への望郷心のようなもの

それを呼び起こされているような、

懐かしいような、そんなメロディーが心の琴線をそっと奏でていきます。

 

讃美歌、数多くは知りませんが、

 

♪全能の父なる主 あなたの愛はとこしえまで♪

 

軽快なテンポから

やがては静かなメロディに変わると同時に力が宿って

迫りくる感覚に、

気が付けばやはり涙があふれ、

ああ・・・いい

沁みる・・・

と、心の奥に刺さっている棘を抜いてもらったような

心を柔らかくほぐしてもらったような、ほんものの癒し・・・

心が本気に休めリラックスします。

 

癒しを求めて島に観光に訪れる若い方々も多く、

ご夫妻の癒しの音楽がそういう方々へ届きますように、と

東京から祈りを込めて紹介記事を書かせていただきました。

 

映画007観に行きたい

映画007観に行きたい

(過去記事)

 

外食へはそろりそろりと行くようになった。

大の映画好きだが、映画館へはさすがに行く勇気がない。

 

007が観たい。

 

ダニエル・クレイグが今回で終わりだというので、

映画館で見納めしたいという気持ちは大きいが、

スティホームをきつめにしていたので、映画館へ行く・・・

社会復帰のハードルは高い。

 

***

 

イギリス人の紳士と結婚して、イギリスの湖畔のほとりで暮らすのが夢です。

子供はつくりません。

大きなワンちゃんと夫婦二人だけで、湖畔のほとりでお茶を飲むからです。

 

小学校低学年の夏休みの宿題だった、「私の夢」で書いた文章。

田舎の学校は時に残酷。

先生にも生徒にも大うけしたのを覚えている。

 

もちろんウケを狙ったわけでもなく、本人はいたって真面目に「私の夢」を

書いたのだ。

体育館に展示された作文を読んだ両親に、後日、わけを話す必要が生じた。

先生が、何か悩みがあるのではないか、とわざわざ家に来たというのだ。

現実逃避が半端ない、というのがどうやら問題だったらしい。

図書館で読んだ本に感化されたと気づいた先生と両親に、肯定された

 

翌年の夏休み、

イギリス人の姉と弟の小学生二人が家のまわりを探検する話を作文にして

これもまた展示された。(自分と弟をイギリス人に仕上げただけ。だから冒険はいつものあの場所と、登場人物は隣りのいつも一緒の子供たち。もちろん彼らもいつのまにかイギリス人)

 

妄想少女に先生が、将来作家になりなさい、

と、国語の放課後指導をするようになった。

 

「これを読んで感想文を原稿用紙2枚に書いてごらん」

 

当時はえこひいきなどという批判もなかったから

先生が転勤するまで指導は続いた。

 

 

先生は土曜日の午後になると、

わが家に立ち寄り、父のおろす新鮮なさしみを食べながら

新作が出ると、必ず読んでくださった。 

 

その先生に肯定されたおかげなのか、

ますます湖畔のほとりに自分は将来住むんだという夢も広がり続けた。

 

どこの家も子だくさんで隣近所入り乱れて子供の数は賑やかだった。

 

「子供なんていらない、私かっこよく椅子に座って本を読むんだから」 

 

と、妄想していたなんて、

今思い出すと、とても恥ずかしい。

穴があったら入りたい。

そんなちゃんとした大人になっていたはずが、

 

ダニエル・グレイグの007を観た瞬間、

あっという間に田舎の少女だった頃にタイムスリップしたから

映画の力は大きい。

人の脳を解放させる方法、コツを得ている。 

 

何がかっこいいか、って

あのスーツ姿のアクション

 

男性がスーツに身をつつむと、

イギリス紳士だけではなく、どなたでもかっこよくなります。

それが走ったり、バイクに乗ったり、飛び上がったり、

スーツにアクション、

このスタイルを考え取り入れた人は天才だと思いました。

 

シリーズのDVDはもちろん購入済み

家でいつでも観れるじゃないか、と言われそうですが、

やはり長年の功労にファンとしては映画館鑑賞が望みです。

 

ペンネームをいくつか使い分けて書いていることを

親しくなった人に、つい喋ってしまったことがあり、

「それ、今度持ってきてください。その本、貸してください」

で、その人から静かに遠ざかったのは、数年前のこと

それ以来、表では、書いていることは言ってはいけない、と肝に銘じた。

 

湖畔のほとりの妄想少女は、時に繊細なのだ。

 

現実はまったくベツモノの日々に追われているからこそ

やはり映画は面白い。

007を観たら、一週間は湖畔のほとりへの憧れが続くのは間違いない。

 

冬になって、寒さが迫ってくるとゲンキンにも湖畔のほとりの妄想は終わる。

湖畔のほとりは寒いんだと大人になって思い知った。

 

 

何故、コロナなの?

ああ、憂鬱だ。

 

映画観たいし、友達と妄想話でだらだらとお茶もしたい。

 

それ以外はきちんと真面目に働くから・・・

 

行く? 行かない? 優柔不断は続く。

 

2021年10月1日公開! 007公式サイト