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新しい生活スタイル

新しい生活スタイル

感染予防をしながらの生活はいちいち手間がかかります。

 

暑い気温の中、建築現場で働いている方々を見ていると本当に胸が痛みます。

 

どの職業もピンチ、

どの年代もピンチ、

越せるかな、夏、

耐えられるか、次の波。

 

頑張れ、というさだまさしさんの歌声を子供の横で聞いていて

涙がぽろぽろとこぼれてしまいました。

 

***

 

昨夜、寝る前に、

洗礼後の自分の人生の経過を思い出し、

なんと悔いの多いことよ、

あの時のあそこへ戻りたい、という後悔が一気に湧き上がってきた。

 

洗礼を受けていなかったら、たぶん乗り越えきれなかっただろうとぞっとした。

 

***

 

どんなに自分が生まれ変わったとしても私は人間

体も限界が必ずくる、それに伴い弱さも生じる。

 

そんな自分が、とりなして祈る人?

 

いいのかな、思い込んでいるけれど、軸は大丈夫?

 

***

 

十字架上で死を成就し、黄泉にまで下り、踵で蓋をし、

9となり天の父の右の座に着かれた方、

その方は8+1というこの方があって初めて私たちの

中で奇跡を知らしめる、三位一体の一位格、

聖霊なる神が、みことばにあって内にもおり働くことを示して下さった。

***

初穂となったのだ。

神は聖、真っ白、どこにも影のない聖い白

私には黒がある。

誰彼から見たら、ただ真っ黒にしか見えない部分もある。

 

嫌だ、この人,とけして高潔ではない。

 

***

 

陰に皇極があり、

陽に皇極がある。

 

織りなす模様はチクチクと痛い。

 

神様の聖が織り込まれるのだから、痛い。

 

陰の罪ある人の中におかれた聖霊。

 

天から下ってこられた罪のない方、陽の中へ人の体という

限りの中へ皇極は8として十字架へかかり

全人類の罪を贖うという、陰陽で〇、天地を繋いだ。

 

8の繋ぎは狭い門、

だが通れば〇

地に居ながら天にいる、この不思議。

 

過去をも踏みなおす主、

聖書の奥義は痛み、渇きに即応えよう、とスタンバイしておられます。

 

信仰は自由意志。

 

無理に心の扉を開けない。

 

ドアノブは外側ではなく、自身の内側にあるというこれもまた不思議な摂理。

 

嫁取り物語。

 

愛しい人ほど無理強いはしない、

大切な花嫁。

 

あなたのお嫁さんになりたいです、

と応答する時がドアノブが開くとき、

 

***

 

嫁にいきたいと思う時はそれぞれだと思う。

 

愛しくてたまらないと完結した時、

そんな甘いものじゃない・・・

 

助けて下さい、と命乞いをした時かもしれない。

 

奇跡に高揚した時かもしれない。

 

人にはそれぞれ個人のその時があるのだと思うと

神の造られた人への尊厳を心からありがたいと思います。

 

 

 

 

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悟れるか

自分は悟れるだろうか。

 

日本語は、漢字は、本当に不思議です。

 

こういう時代がくることを正直、まったく想像していませんでした。

 

映画も好きでよく観ましたし、聖書も40代から知るようになりました。

 

***

 

生まれた時から家は神事をするのが主で、

生活はそれに付随して動いていたので、神様への畏怖心は強かったと思う。

 

ところが目の前の事に集中する性質で、バランスよく周囲をみない。

 

気が付けば、今、ようやく頭を上げて状況を見る、という

当たり前なことを、この数ヶ月で体感した。

 

***

 

昨年から不思議なことが起きた。

 

その前からきっと不思議だらけだったと思いますが、

なにしろ頭を上げずに駆け抜ける気質。

 

時間が与えられて、ようやく頭を上げた感じ。

 

そして、はっと涙がこぼれています。

 

神様って強制しないんだなあ・・・と。

 

***

 

終わりの時代、とりなしてがいない、と聖書にあります。

 

私は聖書をすべて学んだわけでもなく

まったく知らないというわけでもないので、

終わりの時代、ということばが、どういう時かを知れ、という

語りかけも心の中にすっと入ってきます。

 

***

 

宗教団体や政治団体や特定の組織に属していない個人、

特段、知識が豊富にあるわけではない。

 

作家だったり、医療従事者だったり、祭司だったりと

自分の職業が今の立ち位置を残してきたように感じている。

 

作家はまずは眼鏡をかけるな、と教えられた。

 

白衣は病者の誰の痛みにも染まれる白であれ、と教えられた。

 

祭司は、どこへも属するな、と教えられた。

 

***

 

けっこう孤独である。

 

どこまで悟り続けられるか、思うこともしなくなった。

 

準備期間はそうとう与えられてきた、甘えるな、とも思う。

 

国難であることはどこの国も同じだと思う。

 

自分の生活圏の足元が崩れ始めていると誰もが感じているかもしれない。

 

***

 

とりなしてはここにおります、主よ

 

***

 

書くだけで世界中とつながる不思議な時代。

 

自分が悟ったところだけでも書き残し、ここが祈りの場所にできたら幸い。

 

執着しない、差を取ることが完全にできた方は十字架上の神様だけ

死の際まで、普通の人の指は何かをつかもうとする。

 

何かに触れようとする。

 

***

 

「恐れなくてもよい」

と、人の弱さに添う神の愛。

 

そのスピリッツを真似て白衣はあり、

神の視点の至高を目指して、

眼鏡をはずして主人公が降りて来たままに書き残すのが作家であり、

ことばに降りてきた神の霊に伏して祈るのが祭司ならば、

総結集して、今、働かずして、いつ果たす、

頭を上げてしまったこの数ヶ月、

もう、ない、と思っていた集中力に最後の火が点いたのかもしれません。

 

***

 

頭がこれまで走ってきたような角度に下がらないので、

最後だねえ・・・となんとなく諦めています。

 

自分の分を懸命に努めるのみ、です。

 

人にはみな、神様から預かったタラントがあり、

倍に増やせ、という命令があります。

 

***

 

おのおのがた・・・あなたはあなたの務めを果たせ、とあります。

 

思い込むのもタラントだと思います。

 

みんな体はひとつ、人生は一度の条件は同じなのですから

自分を主人公に自分だけのタラントで人生を描き切る

悟れるか、自分。

 

国際宇宙ステーション

昨夜は運よく夜空にロマンを見つけました。

 

梅雨に入る前の月夜、今夜もきれいな月ですが、

ニュースで報道していた時間に合わせてスタンバイ。

 

まるでUFOを見てしまったかのような高揚感に浸りました。

 

***

 

これまで当たり前だと思って享受してきた日常。

 

自分も社会に貢献していると思っていたことがほんの一部だということや

人が人生の全てをかけて跡をリレーしていくことの切なさや

短さを思ったり、

 

***

 

若い時は無我夢中で頑張ったほうがいい、と昔から言われてきた

ことですが、本当にそう思います。

 

年を重ねればできないことが増えます。

 

人様に迷惑になるようなことは控えようとするから

だんだん無我夢中でするようなこと、無謀なことは頭から消えていく。

 

人生は無我夢中な時がいちばん輝いている、そう思います。

 

勢いに他者もひきずられて夢を重ねてもいきますし、

失敗か成功か、それもわからないまま走って消えて・・・

 

ISS、ああ! という感動の声をあげた瞬間から

あああ・・・と見えなくなりました。

 

人があの中で働いているなんて、凄いなあ、と

今夜も昨夜の余韻で月夜を見上げていました。

 

***

 

自分の人生を誇れるか、と天を見ながら、ふと思い

整理はできないけれども、死ぬことは大抵、物事の途中だと

何度か聞いた気がします。

 

大げさかもしれませんが、

三ヶ月のステイホームで、個人的な願いと、信仰的な祈りを分けて、

過ごすようにしました。

 

ハンディのある子供のために、自分が先に倒れるわけにはいかないという

ナーバス過ぎる感染予防と健康管理、全力を尽くしてあとは天の成すとおりに。

 

それとは別に、

生まれた時から今日までのアイディンティティ、

なんのために生まれて何のために生きているのか。

 

「わたし、このわたしはこの時のために在る」

十字架上のイエス様の

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」

 

この奥義のゆえに、

祈れ、とりなせ、という感覚を全身全霊で覚え、

 

***

 

時空間を越えて、

痛みと切なさと甘さと確かな帰属感と

不思議な到達感で心が着地する、

呆然とするような祈りの日々が続きました。

 

***

 

若い頃の無我夢中はもう無理ですが、

手を指を広げて

何も掴まず、

わが身をゆだねます、という

 

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

「わが身を御手にゆだねます」

 

という神様の一回限りの壮大なプロジェクト

意味が染み入る時間がずいぶんある今、

年齢別の神様の恩寵がありがたい。

 

赤ちゃんには赤ちゃんに、働き盛りの無我夢中な苦しさにはその渇きに添い

身が不自由な孤独な時にはそこまで伸びてくる恩寵、

すべてがありがたい。

紫陽花が咲いていました

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます。

   マタイ11-28

 

***

 

すっかり疲れてしまいましたので、

部屋で静かにひとりで聖書のマタイの福音書を読みました。

 

昨年の10月頃から庭が欲しくて、ガーデニングがしたくて、野菜を育てたくて

憑かれたように物件を探し、田舎へしばらく行こうかとも思い、

間に合わないなら、何故かTVを買わなければと思い、

 

TVを買い、ソファを買い、絨毯を買い・・・

 

質素だった生活空間は年明けて別物になり・・・

 

***

 

昨日から通常の生活に戻って

ようやく憑き物が落ちたようにポカンとしています。

 

どなたも同じように、今年の災禍を必死で戦っているのだと思います。

 

集中力を自分の判断で使う自由はほぼ削がれ

適応、さらに適応と、

災難以外のなにものでもない、苦痛の日々、まだまだ続いています。

 

***

 

少し休憩したら

七つの血潮の続きを書いていきたいと思います。

 

***

 

わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 

という上の御ことばを、神様が語ったのだと思うと、はっとなります。

 

休ませるという概念。

 

愛がなければ休ませてあげる、という言葉は出てきません。

 

一方的に無条件で休ませて下さる。

 

親以外に無条件は経験したことがない、のが大半だと思います。

 

その親が休ませてあげるどころか、恐怖を与える虐待のような闇も

あるのですから、

無条件に、完全に休ませる、

というのは、人の間では及ばない

神様からの奥義だと思います。

 

神様と人の間にある自由意志尊重の掟

「わたしを信じるか」

信じるも自由、信じないも自由。

 

子どもたちへの保護や弱者への保護も語られたうえでの選択の自由。

 

***

 

親子でも及ばない領域の休息、

体はひとりに一体、

ひとつだけですから疲れる時もあるはずです。

 

それを休ませてあげる、と語っているのですから

ありがたいかぎりです。