いじけ虫

いじけ虫

(過去記事)

子育て中の親御さんも読んでくださっているので、

今日は、わたしのいじけ虫が治った話を書きます。

 

60歳で起業した母は、父が亡くなり仕事をたたんだあと、晩年、

子どもたちの家で数ヶ月単位で暮らすという形をとり、最後が私の住む東京でした。

 

海外へも行き、日本語が通じない孫たちともジェスチャーで暮らし、髪形もあちら風へチャレンジし、少しお化粧もしているな、というおしゃれなおばあちゃん暮らしを楽しんでいました。

 

海外でそのまま永住かな・・・

と寂しさが募ったいきおいで母へ国際電話をかけたら、

 

移住一世の方々からパイオニア精神の話を伺ったことを嬉しそうに言い、

 

世界は広いね~と電話のむこうから伝えてくれた。

母の公的祭司生活の話にそって自分なりに調査したことを手紙で送っていたので、それの質問に応えられる範囲のものを教えてもらったあと、

 

よく調べたね、感心した、と。

では、みな達者でね、とあっさり電話を切ろうとしたので、

 

「お母さん、今頃言うのもなんだけど、ね」

「何かな」

 

「お母さんからぶたれたこと、私、一度もないよね」

「そうね」

 

「叱られたこともないし、お母さん、怒鳴ったこともないよね」

「そうね」

 

「誰にもそうよね。兄弟、誰も叱られたことないよね。それ、凄いことだよね」

「ありがとう。よく気づいたね、偉いねえ」

 

電話を切った後、気づいたね・・・って、

凄い、そういう意識でいたってことか・・・

祭司ってやっぱりすごいな、と会話の内容をしばらく反芻していました。

***

 

子供の頃の私は、いじけ虫が玉にキズだったと友人に言われたことがある。

中学校で部活をしていて、その部が大会優勝をし、優勝パレードということになった。

 

私は足に大きな傷跡があり、短い足の見えるユニフォームは練習ではいいが、

大会で知らない人の目の前に足をさらすことがどうにもできなくて、

 

試合当日、迎えに来た監督や仲間たちから逃げて試合に出なかった。

試合は勝ち進み、そのたび、ユニフォームを着てはみるものの

 

足を見てはやはり泣きたくなり、いつも隠れている場所で一日を過ごしていた。

とんとん拍子に勝ち進み、チームは優勝した。

 

優勝パレードが来る、というので、町中に放送はあるは、

住民は街頭へ並ぶは、で・・・

 

隠れているところからでも、尋常じゃない盛り上がりが伝わってきた。

何かしないといけない気になり、

 

家事を手伝おうとしたら、

母がいつもと変わらない表情で、

 

私の手首を捕まえると、

人が並んでいるところへ連れていこうと歩きだした。

 

ううん、ううん、と首をふり、手をほどこうとしたら、

母の握る手は力強く、離してくれなかった。

 

パレードが近づいて優勝旗を持っているキャプテンや仲間たちの顔が見えた。

「バンザイ!バンザイ!」

 

母は、私の手も一緒にあげて、周囲と同じようにバンザイをした。

下を向いて顔をそむけても、私の片手はバンザイをさせられている。

 

「あ~、00ちゃん、勝ったよ~。来年も勝つよ~。おいで、おいで」

と仲間が、乗れ、と座っている傍を手のひらで叩いて呼んでくれた。

 

「乗って、乗って」

大人も声かけてくれて、お調子者の私は思わず動こうとした。

 

手首がぎゅっとまた強く捕まった。

「おめでとう!おめでとうね。皆さん、ご苦労様、バンザイ」

 

母がバンザイのあと、頭を深々と下げたので、私も真似て頭を下げた。

仲間の姿は熱狂の渦の中、消えて見えなくなった。

 

自分がいじけ虫全開中であろうがなかろうが、

人が凄いことを成し遂げた時は、心からおめでとう、のバンザイをする。

 

母は始終、笑顔で、いつもと同じ顔だった。

説教をされたわけでもなく・・・手首を握られただけの記憶ですが、

 

翌年、私は足をさらして、優勝パレードにも参加することができた。

気が付けば、いじけ虫もいなくなっていて、

 

どこからくるの、その自信?

と言われるほどお調子者に拍車がかかり、

 

足のことなど、何も気にならなくなっていった。

母に躾けられたことはあっても、叱られたことは、やはり一度もない、と今でも思います。

 

 

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南国にほぼないもの

南国にほぼないもの

花粉症

乾燥シーズンの静電気パチパチ

温泉

お雛様(今は飾る家も増えたかな)

 

温泉デビューはコロナ禍のスティ・ホームが叫ばれている時でした。

客がほぼいない日に予約を取って訪れたのは元お相撲さんが経営するお宿。

本当にうちとあと一組

その宿がTVで紹介されたので、嬉しくて記事を書いています。

 

車での遠出でほぼ他者との近距離接触もなく、

生まれて初めての温泉に、不思議な肌触りに、数回入ったのを思い出します。

 

今では家の中に温泉がある家にあこがれるほど、

雪と温泉は、何度味わっても脳が宇宙旅行をしているような異次元世界のような、タイムスリップ感に陥ります。

 

 

地球って不思議ですね。

日本って、北海道から沖縄までって・・・贅沢なお宝国だと思いませんか。

上京して寒い冬や早い展開に感じられる二季から四季への対応の変化を経験していくうちに、結構キツキツに準備をすることを体が覚えてのんびり屋が少しだけ、緊張しぃ、になったようにも思います。

 

初めての雪景色・梅の丘・満開の桜並木・紫陽花・ひまわり・・・

上京してすぐの頃は、これらの景色の中を歩いている自分がいることが嬉しくて、仕事もとても楽しかったと記憶しています。

 

我が家から少しですが富士山が見えます。

毎朝、カーテンを開ける時、その日の富士山の表情を見ることが至福の時で、夜は星空がバルコニーから楽しめるのが嬉しくて家を選んだほどです。

 

子供と厚着をして毛布を羽織って椅子に座って、珈琲タイムを少し楽しみます。

ストーブも引っ張ってきて、気分はプチキャンプです。

飲むのはミルクティだったり、ココアだったり、お汁粉だったりしても、

「珈琲タイム行く?」 です。

 

***

 

温泉宿で楽しんだのは、企業秘密らしくあったかい美味しい飲み物でした。

外国の方が増えたので、もう少し落ち着いた頃に自分たちへのご褒美にまた行きたいと思います。

なんのご褒美かは自分でもわかりませんが、ご褒美は大事です。

 

 

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人ったらしだった父

  • 思い出
人ったらしだった父

 

 

(過去記事)

 

ある会合で、無口な方だろうから、とあえて難儀はしたくないな、と見覚えのある方の所へ挨拶へ行かずにいたら、あちらから近づいて下さり、乾杯をして下さった。

 

「あなた、〇〇さんの娘さん?」

はい、そうです、とパーティ慣れしていない新参者丸出しで緊張してこたえると、

 

私はあなたのお父さんのファンでした。このたびは・・・

とお悔やみの言葉を頂戴した。どうしても外せないパーティに喪が明けて早々顔を出している労もねぎらって下さった。

 

***

 

慣れない場で頑張る私をサポートして下さるように、横で立って、そのまま父とのエピソードを語って下さった。

私は若い頃、著名人を案内する機会が多くてね、あなたのお父さんにどれだけ助けられたか、恩人だと思っています、と

 

ある日、いつものように約束していた客人を父に紹介して案内を、と声をかけに寄ったら職場におらず、無責任なヤツだなあ、とカチン、と頭にきただけでなく、どうする、時間はないぞ、と焦ったらしく、

 

「私一人で案内するには荷の重い有名な方で、一緒についてきた若いお嬢さんがたがまた元気で、案の定、海を見るなり、わあ~!!ですよ。すぐに泳ぎだしまして、流れが速いので、絶対、ダメですよ、と車の中で説明していたんですがね」

 

次々飛び込んで、あっという間に潮に流され始めたらしく、溺れるのも時間の問題だと、必死で浜を走ったらしい。

 

遠くにあなたのお父さんを見つけてね、すぐに大声で呼んで手を振りました。

 

流木に腰かけていて、聞こえないのかまったく見向きもしないから正直腹が立ちました。

私はもう走り疲れて座り込んでしまったね、浜走るの慣れてないですからね。石でも投げて合図を送ろうとしたら、あなたのお父さん、立ち上がって、海に入っていって、あれはみごとなクロールでした。流されてくる女の子を一人、浜へ担ぎ上げて、すぐに次も助け出してね。あのきれいな抜き手、あっという間に捕まえていくんだよね~。波、流れ早いのにね。

 

惚れた、ね。

男が男に惚れた

ものすごくかっこよかった。

 

シャワーを使い終わった客人たちのために、

新鮮な魚やイカや蛸が刺身に下ろされていて、

テーブルいっぱいに酒席の用意がすでにされていたらしく、

 

「人ったらし、だったね」 

 

流される場所もよんでいて、ね

私は、ね。いやあ、好きだったなあ。

 

ありがとうございます。

お調子者で・・・ご迷惑もおかけしたことと思います、と

 

失ったばかりの父への寂しさを包み込んで下さった、ありがたくも優しい乾杯に、

素敵な大人って本当にいいなあ・・・こんな大人になりたい。

十分大人年齢でしたが、背伸びして参加したパーティの意義を知った夜となりました。

 

脳のA10神経が、心地いい・・・と、

最初に記憶したのは、父親。

 

母のことを書こうとしていたら

人ったらしが天国から夢に現れた。

 

それで、忘れないうちに書いています。

堂々のファザコンです。

 

 

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生きよ、父が鳴いて知らせる夜

  • 思い出
生きよ、父が鳴いて知らせる夜

 

(過去記事)

 

もう20数年も前の話、

父の通夜の日

 

庭の門の近くで兄が椅子に座っていた。

私が近づくと、交代しよう、と椅子から立ち上がった。

 

忙しい、と

いう私に、

いいから座ってごらん、親父が来ているから、と

 

椅子に座ると、木の枝にフクロウが見えた。

我が家の大きな木に前から棲みついているふくろう。

人の気配にすぐ飛びたってしまう慎重なはずのふくろうがじぃと動かずに

こちらを見据えている。

 

15分ほど椅子に座って、

「ありがとう、お父さん」

というと、飛び立っていつもの所へ戻っていった。

 

今回、空き家掃除の雨の日の疲れた日

ココロ、クッククロ・・・

久しぶりに鳴き声を聞いた。それもずうと鳴いている。

 

なあに、お父さん?

あまりにも静寂な夜に鳴き響くので、お父さん、なんですか?

と茶化すように、ふくろうの住まいの木の近くの部屋まで行くか、と寝床から起き上がった。

寝入る間際で聞こえたふくろうの鳴声に、お通夜の時を思い出したので、はいはい、と奥のその部屋へ入っていった。

 

なんと昼間大掃除でその部屋を片づけたあと、窓もドアも全開にしたまま、泥棒さん、いらっしゃい

で、そのまま寝入るところだったのだ。

もちろん、そういうことは初めてのこと。

ドキドキと鍵を全部かけ、カーテンを閉め、寝床に戻り、

ありがとう、お父さん、というと、鳴き声はピタリとやんだ。

 

奇跡が起こった、というのはこの話ではなく、

まだまだこれは序の口でした。

 

天国とつながっているのか、この島は。

ここは真下なのか、不思議な体験ばかりが続いていくのです。

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