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  • あなたの若い日に

    2020/07/08

    聖書

    創造主を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」という年月が近づく前に。(伝道者の書12章1節)7ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さっ ...

  • 柔和で、ろばに乗られる。

    2020/07/06

    聖書

    見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも雌ろばの子の子ろばに。(ゼカリヤ書9章9節)***7そ ...

  • 自分のいのちを失った者

    2020/07/05

    祈り

    37わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。38自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。 ...

  • 吾子よ

    2020/07/04

    子育て・教育

    わたしには枕を高くして眠れない気の弱さがある。救われた者ならその罪も消えているだろうに寝る前、一人、ひとりの子どもの名前を呼んで、神様、お守りください、と哀願し ...

あなたの若い日に

あなたの若い日に

創造主を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」という年月が近づく前に。

  (伝道者の書12章1節)

 

7 ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。

 

8 空の空。伝道者は言う。すべては空。

 

12 わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。

 

13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

  

14神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

  

    (伝道者の書12章)

  

***

 

何の喜びもない、と呟く日は本当にある。

 

すぐにそんな自分に罪悪感がわき、

家を掃除し、アイロンをかけたり、原稿を読み直してみたりする。

 

だが、この伝道者の書は、

そんなつぎはぎでなんとか重苦しさを逃れようとする姑息さを

一気に吹き飛ばしてくれる爽快な章だと思う。

 

***

 

四方を囲まれたような閉塞感を覚えているのは私だけではないと思う。

 

天への視野を求めるかのように

神が環境を狭めてきているように感じてならない。

 

子どもたちに会いたい。

 

雲が薄黒くおおい、外へ出るな、出るな、と災害も疫病も

やっきになって、人の心を追い込んでいく。

  

***

  

多くのことを書いても疲れるだけ、とある。

 

自分の体験したことを書ききることも疲れてしまうのに、

知らないことがあまりにも多く、

知見者のことばに耳を傾け、目を凝らして読み、

神は繊細に、なんと多くの人を生み出されたことか、

と同じようなことがないことに、驚きます。

 

アメージンググレイスです。

 

自分以外のどなたかのシェアして下さる情報は、

神様からのギフト。

 

人の一生分は、どれもが神様の全力投球。

  

感染症予防対策の関係者を数名

国や都が一般公募すればいいな、

と年明けから思っていた。

 

優秀な人材はかぎりなく市井にもおり、

知恵の結集を呼び掛けても良いのではないか、と。

 

水の災害、そうこうしている間に台風も怖い。

 

各地で削がれていく力に

組織を超えて、一般のアイディアも頂きながら

各専門家が検討し、連携していく。

 

鶏口牛後

鳥のくちばしから見える視野もスピード感が必要な時は必須だと思う。

   

引き続きとりなして祈ります。

 

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柔和で、ろばに乗られる。

柔和で、ろばに乗られる。

 

見よ。あなたの王があなたのところに来られる。

この方は正しい方で、救いを賜り、

柔和で、ろばに乗られる。

それも雌ろばの子の子ろばに。

   (ゼカリヤ書9章9節)

 

***

 

7 そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着を

その上に掛けた。イエスはそれに乗られた。

 

***

 

9「ダビデの子にホサナ。

祝福あれ。主の御名によって来られる方に。

ホサナ。いと高き所に。」

   (マタイの福音書21章)

 

***

 

子ろばの背中の紋様、初めて見た時は

鳥肌が立ちました。

 

旧約聖書にある聖句

新約聖書で成就という長い年月を経て

背中の紋様は十字架

 

***

 

神を畏れ、祈ります。

 

 

 

 

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自分のいのちを失った者

自分のいのちを失った者

37 わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。

 

38 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

 

39 じぶんのいのちを自分のものとした者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。

 

       (マタイ10章)

 

自分から指を手を離すことができない人間各自の愛着を

どうあがいて処理しようにも無理がある。

 

人の脳にはそれを記憶する場所があり、

それがあるゆえに

十字架上の神の成した業があり、復活というプロセスがある。

 

神を愛するゆえに

悟った、と子を手放すような者を神は喜ぶだろうか。

 

***

 

神の奥義は

「わたしがした。あなたにはできない。わたしがした。わたしに帰れ」

である。

 

人間にはできないことをした、

それが信仰のもといである。

 

人にできるなら神を知る機会はない。

 

神は存在の根源である。

 

***

 

十字架上の形は無力の極みである。

「死」である。

 

それも神の子の

「死」である。

 

それを信じて、ただ信じて

神の子の「死」に渡した先に起きたことを信じて

初穂のあとに繋がっていける道、

それが今の時代に生きる恩恵だと思う。

 

「死」

の先、

十字架の先を知るのは、当時、神のみ。

 

私たちひとり一つの身を持つ今も

目を閉じて実際、自身の「死」をその身に帯びなければ

見たことではないから、正直、わからない。

 

***

 

信じて目を閉じる。

 

猛者でも人にはできない。

 

先に実践し、見せて下さった方の神に対する絶対な一致、信仰。

 

それを超えることは、誰もひとはできない。

 

多くの方々の臨終の時、立ち会った時、

医療従事者冥利に尽きる瞬間がある。

 

誰もが極みで安堵の表情を見せるのが、とても腑に落ちる。

 

この地上で最愛の人に見せただろう表情とも違う

一番安心する人に見せる顔とも違う。

 

赤ん坊が泣きながら生まれるなら、

人は最後、誰かの顔に迎えられて逝くのだと思った。

 

神の御顔を見たのだろうな、と何度も畏れに畏れた。

 

***

 

神の御顔を見たらみな死ぬのだと書いてある。

 

生きている間、ことばに在って、霊に在って、生かされてきた。

 

目を閉じた時、

ことばは終わるのだ。

 

人の霊は天に上り、獣の霊は地に下る。

 

天は、神のおられる確かな所

幼い時からいつのまにか知っていること

 

***

 

祭司だった親を看取った夜、

「怖いねえ」

と息の合間に言うのを聞いて、

生き死にが怖いのではない、というのを悟った。

 

その時だ

子をゆだねるしかない先はそこにある、と悟った。

 

神を知る、ということは何よりの親孝行だと思った。

 

本当の心配事を親に課さないからだと、

今なら不思議なこの順序に、神の深淵に感謝するばかり。

 

子らが親孝行だということに今さらながら頭が下がる。

 

私は悔いなく、目を閉じてよいのだと頭が下がる。

 

子らのことを云々、祈り続けるずうと先にまで伸びてある御手、

神の恩寵

ただ恵みである。

 

愚かな母親に伸びた神の御手、恩寵である。

 

***

 

弱い人は幸いである。

 

死の極みに強い人など存在しない。

 

神は光にそっと私たちを移そうと今も見ている。

 

神はわたしたちの親

誰も滅んでほしくない

光へ、移そうと

繊細に、各自に合わせて、御手を伸ばしておられる。

 

神は愛。

 

永遠のいのちである。

 

そこへ抱き込められている感覚、それが私の信仰である。

 

 

 

 

 

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吾子よ

吾子よ

わたしには枕を高くして眠れない気の弱さがある。

 

救われた者なら

その罪も消えているだろうに

寝る前、

一人、ひとりの子どもの名前を呼んで、

神様、お守りください、と哀願している。

 

信仰を得ていなかった時と変わらないではないか、

と言われても仕方がない。

 

***

 

洗礼を受ける前、

がむしゃらに子供たちを守るため、働き

前に、前にと走って生きてきた。

 

どの子が転んだか、どの子がどの時泣いていたか

落とさないよう、全力で守り走ってきたように思っていた。

 

信仰後

第一子、二子・・・

そういう感覚は昔からないが

体内にいた時、母親は自分の体の一番いい所で命をかけて

胎児に無意識にいのちを送っている。

 

どの子が一番大切か

承認欲求など、神の摂理のなかでは無意味

 

***

 

現場で

母親のいのちを優先するか

母体を優先するか

赤ちゃんを優先するか

そういうトリアージに直面する時もある。

 

人間が誰を優先するか、

最もおこがましいことだと命を救う現場では誰でもわかっている。

 

***

 

聖書を読んだことのない人でも

今起きていることは、相当な危機なのだと誰もが思っていると思います。

 

TVや映画ではない。

 

私の人生の大半はほぼ医療現場で過ごしてきた。

 

リアルに人の体はいきものである。

 

手術で開腹すれば

筋肉弛緩剤が切れかかった時、

臓器は、皮膚や筋肉や脂肪のむこうで

他の生き物と大差ない無防備さでいる。

 

***

 

ことばという緩和剤、緩衝でどれだけ人は救われているか

神の子がことばとなって生きられた、という意味が沁みてくる。

 

洗礼後、

生きることの繊細さを思う時、

我が子、

一人、ひとりの命を自分を守るより繊細、かつ大胆に守り

生き抜き

ただ生きるのではない。

 

能力を存分に生かし切り

最高の幸せを満喫して

良い人生を、よい出会いを、

などと親なら誰でも思うことを考える時、

膝を折って、

神に祈る方法が一番だと何度も思い知る。

 

***

 

私の手法など

通用しない時のほうが多かった。

 

どの子も痛い目に何度も遭わせた。

 

悔いばかりがある。

 

助けて下さい

吾子を助けて下さい。

 

どの子も

わたしにとってはひとり子のようにかけがいのない吾子

霊は平安で洗礼後ブレたことは一度もない。

 

助けた方の与えて下さった平安は当時も今も同じである。

 

体が子を思って苦しむ時、

刹那、

神が与えた一人、ひとりへの洗礼を思い出す。

 

出来損ないの母親、上等だ、お前の子らは

それで洗礼をどの子も受けているじゃないか。

 

あとは

寝ている間に起きている間に

そうこうしている間に育つものだ。

 

***

 

どん底で

子を産み育てる義務のさなか自分の健康管理さえもできず

死ぬのか、と無力、絶望の淵で

「助けて下さい。子どもたちを置いてはいけない。誰か助けて下さい」

と呻いた言葉は、

その祈りは叶えられたではないか。

 

黄泉にまで下って、沼底から総ざらいをしてあるではないか。

 

天にまでつながっている道の中、

 

もうもがかなくてもいい、と抱えているではないか。

 

それでも今日も

ああ、あの子を、この子をお守りください、と祈る罰当たり

 

ひとり、一人を並べているのに

同時にひとり子として祈れる摩訶不思議が起きる。

 

胎内でひとりひとりに胎盤という続き一体があるように

その続きは変わらない。

 

***

 

赤ん坊は手を握り締めて生まれ、

亡くなる時はましてや、

人はなかなか指を広げようとしない。

 

両手を広げ十字架で死に渡された方以外

自ら指を広げて命への執着を断ち切った潔さを

残念だが人が成し遂げたのを見たことがない。

 

命のセンサーはそのように造られているのだから

神の子の死の形に意味がある、というのは

体を知れば知るほど、恐ろしく身に迫ってくる。

 

***

 

山の登り方はたくさんのルートがあるのだと思う。

 

私は医療という現場から

神の山登りを何度も思い知らされた。

 

自分の命以外を守る職能の重さや子育てから

思い知らされた。

 

偉そうなことは人には言えない。

 

ただ祈るばかりである。

 

***

 

 

神の子は30代という最も美しい年齢で最上の仕事を果たされた。

 

若さは神の体現、

吾子よ、

神がそう呼びかける。

 

神は同時に人を、吾子を一人きりとして扱える

とりなして祈ります。

 

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