「王様と私」渡辺謙さん

「王様と私」渡辺謙さん

 

(過去記事)

 

「王様と私」 の日本凱旋公演があったのは2019年の夏

 

 

長年、渡辺謙さんのファンで応援していたので

即、チケットを子供と二人分購入。

 

当日は二人とも緊張して行きましたが

最高の公演にそのあと母はもう一度一人で行きました。

 

「一人で行くの? それって人としていいの?」

と、呆れられましたが

 

キャンセル席を狙って二度目の席はいい席でした。

横を王様が通っていくのですが、王様の服が触れるまで

私はうかつにも二度目なのに、

横を通ることをすっかり忘れていたのです。

 

「ラストサムライ」 で、海外へ赴いた謙さん

英語で歌って踊って・・・

40代で英語デビューしたとは思えない凄い迫力でした。

 

二度目の公演が終わった後、友人へ冊子と共にレター

彼女はトム・クルーズ、いのち

私は謙さんファン

「ラストサムライ」で共演した時は夢を見ているようね

と二人で喜び合った絆の強い私たち

 

「何? あなた、何しているの? 働きなさい。

え~!嘘でしょう。舞台観たの?嘘でしょう。

ハリウッドが来たの~」

 

冊子が届くやいなや、

こらー!

と電話がかかってきた。

 

仕事でもっとクタクタになれだの、遊びすぎだの

因縁ばかりつけて人間性のかけらもない悲鳴をあげて

 

でも最後には

「これが中高年になっても恐れないで上京したキミへの

神様からのご褒美だね。そうかあ、キミは東京在住かあ、

チクショウー、いいなあ」

と、現場感を教えて、教えて、と話はエンドレス

 

トムクルーズが基地にヘリで降り立ったという情報が入って

その情報を持ってきた友人と三人で一日中基地周辺を車で走り

まわっていたことなど、話は尽きない。

 

いいなあ、謙さんは日本人だから

他の舞台作品も観に行けるものね

ゆとり年齢になったら、東京暮らし、絶対いいよねえ、と

あれほど上京を心配していたはずなのに、心境は変化する。

 

電話を切って

そうかあ、そうよね

舞台、行けばいいのよね、電車で行けるんだもんね

 

それがコロナ禍で

ステイホームに続くステイホームで、懐かしい友人と

電話ばかりで交流していると、田舎へのホームシックにかかってしまった。

 

子供の巣立ちも重なった。

 

はっと気づけば、ここは東京、周囲は知らない人ばかり

田舎では知らない人を探す方が難しい

引きこもっていたって、

戸を強引に開けられて様子を大きい声で尋ねられるだけだ。

 

動いていたエスカレーターがピタリと止まったような景色

自分の足で歩きださないと風景は止まったまま

上の階へ行くの?

 

下の階へ戻るの?

 

しばらくは動きださないと思うよ

そのエスカレーター

 

よし、上の階へ行ってみよう

上りエスカレーターに乗っていたんだから、

降りる方が楽だけれど

一度きりの人生だから

思い切り観て聴いて生き倒したいじゃないの

 

冬の感染の流行状況を見ながら予防しながら

もう止まってしまうのだけは嫌だから、頑張って前へ進もう

 

日常に、ふっとロマンという風を送ってくれるのが芸術

秋はやっぱりロマンティックです。

 

 

32年前の主人公、渡辺謙さん

32年前の主人公、渡辺謙さん

(過去記事)

 

「尾瀬に生き、尾瀬に死す」

 

テレビを産休に入ったのを機会に買い、最初に観たのがこのドラマだった。

尾瀬の道を登っていく俳優があまりにも懐かしい人に似ていたので、TV局に電話をかけて俳優の名前を教えていただいた。

 

渡辺謙さんはそのあとも「独眼竜正宗」などで活躍され、その後は世界のケン・ワタナベとして今ではあまりにも有名な方である。

 

当時、27歳・28歳の頃

ICU勤務と幼い子供2人の子育てに忙しい日々、

仕事で論文をまとめる役目を請け負ってしまい、NECワープロ文豪ミニ5UVを買った。

 

大きい、そして重い、そして革命だった。手書きの時代が終わったのだ。

 

職場の会議室に置かせてもらい、仕事の隙間時間にタッタッタと打っている傍で同僚が、「触わらして」と恐る恐る手を伸ばしてきたり、

死ぬほど忙しいのに、若いというのは恐ろしいものですね。無我夢中で勢いで習得していくのですから。

 

***

 

それからしばらくして外国在住の身内からTVある? と

謙さんのニュースを教えてもらった。

 

「天と地と」の降板、闘病の報道。

 

通訳ボランティアで知ってはいたが報道されるまで電話は慎んでいたようだった。

 

その日の仕事帰りに気づいたら文豪ミニを自宅に持ち帰っていた。

休暇を5日もらえ、3日間子供たちと海で遊び、残り2日間は子供たちを保育所へ預け、生まれて初めて小説を書いた。

 

***

 

助かってほしい、生きてほしい、

祈り方もわからないまま、ワープロに向かうと指が勝手に動き、気づけば物語が生まれていた。

 

渡辺謙さんに演じてもらいたい、そう祈って書きました、と後に編集者の方にこの時の様子を話したら、二人でいつまでも話が止まらず、それが次の小説をおろしていくきっかけになった。

 

***

 

それから人生の波乱万丈も激しくなり、小説を書く時間はほぼなくなっていった。

主人公の姿が先に降りてくる、という不思議が起きて、

その方に触発されて、その方のイメージで物語が生まれていく。

 

***

 

「緩和ケア病棟」という小説も、先にあまりにも清潔で高潔なナースに出会ってしまい、その方を目で追い意識した1日ののち、数日後に物語が降りてきた。

 

主人公が先にいた。

 

本当に不思議です。

そうでなければ二足の草鞋を履く小説書きが、またぞろ書き出す、直して出す、ということなど無理な話です。

 

どの仕事も同じで、そんなに物事、甘くはない。

資料も時代考証もほぼほぼしてこなかったので、ようやく時間ができた今、調べてみると、恐ろしい、合っている。

 

怠けて放置していることさえも忘れて、そろそろ天国へ帰っていくのかなあ、と油断していたら、やるべきことを放置している人の中には、入り口で追いかえされてしまう人もなかにはいるらしい、と聞き、ええっ、そうなの? と焦りが生まれ、恐ろしくもなり、終活意識で、大昔の原稿を断捨離、断捨離、と手を付け始めました。

 

ナーバスな私に喝! を入れるコツを知り得ている友人のアドバイスは時にありがたいです。

 

 

どの花も咲いた オペ室編4

どの花も咲いた オペ室編4

 

 

敬語の使い方が間違っているらしく、

「タラちゃん」

と新人は呼ばれるようになった。

 

全国からUターンしたベテランナース達は、オペ室オープンに向けて、術式、手技を基本、病院の核となるスタッフに寄せていくことになる。

 

現役オペ室のエリートたちを集めたなかで、おさめていく師長と主任は必死だった。今だとIT技術が進んでいるのでシミュレーションももっとスマートにできるものだと思う。

 

当時はアナログ

簡単なオペから引き受けていき、だんだん難度の高い症例も引き受けていく、その予定月数などもオリエンテーションされていたが、新人には初めのオペから、オペだった。

 

ドクターは同じメンバーでまずは、彼らと一緒に仕事をこなしてきた主任が器械出しをし、師長が外回りをする。すでにできあがっているチームのオペは流れるようにスムーズで、それに応える主任と師長の仕事を見学することから始まった。

即戦力になれる人が優先に見学に入り、主任の横に立つ、器械出しを代わる、主任が横で見守るなか完全に一人でやりきれたあと主任は降りる。

スムーズな支障もない完璧な状態だとドクターや主任が判断したら、主任はその人の外回りにつく。

しばらくしてその必要もなくなったら、次の即戦力へと指導が移る。

 

心臓外科や脳外もこなしてきた先輩方のそれぞれのデビューを新人は見学を許された。

 

「たぶん私より凄い人たちなのよ、みんな」

 

一緒に立って見学の指導までする主任が教えてくれる。

 

「タラちゃん、よくみておくんだよ」

 

かっこよくオペ着に腕を通す北里帰りのいつもはおちゃめな先輩が、きれいに並べていくメスや鉗子や止血用の糸

 

全員で何度も受けたマニュアルどうりの並べ方。

立ち方、構え方。

「よろしくお願いします」

オペレーター、執刀医の一言でオペ開始。

麻酔医が頷き、器械出しがガーゼをそれぞれに渡していく。

 

おちゃめな先輩はどこにもおらず、別人のようなまなざしと動きの完璧な美しさ。

手術の流れは、初めてのチームと思えない静かな流れの中であっという間に閉腹に至った。

花がカタカタと音を立てて咲いていく様のような、踊りの舞いがストーリーを作り上げていくような、鳥肌が立つようなそれぞれの腕先の技にただただ感動。

 

咲いた。

先輩、かっこいいよ。

やっぱ先生たち、かっこいいや。

 

どの先輩の開花の瞬間も鳥肌ものだと、感動につぐ感動。

それは派閥もできるよ、みんな凄いし、完璧だし、

 

新人は、見学、見学の最初は、それはそれは充実した高尚な世界に浸っていました。すぐに自分もああならなければいけない、なんてことを考えながら見学していた同期の新人たちの休憩中の言葉を聞くまでは。

 

あれをやれってこと?

「当たり前じゃん。タラちゃん、大丈夫? あの人たち、難度の高いオペの最初をやって見せてくれたら、大抵、外回りだって想像つくでしょう。この子、天然過ぎる」

 

あれをやるってこと?

「そう」

 

どの花の開花も凄すぎる、美しすぎる・・・

花咲く日・・・私たちも迎えなければならないってこと?

「はい、そうです」

 

・・・