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投稿者:拝原 しげる
「刀を下ろせぃ」ラストサムライ

(過去記事)

 

「ラストサムライ」で真田広之さん演じる氏尾が

トム・クルーズ演じるオールグレンさんへ言ったセリフ。

「刀を下ろせぃ」

 

なにしろ9回続けて当時観に行ったものですから

 

エドワード・ズウィック監督大ファンの主人、

これはもう観るしかない、9回観ても、何度観ても新鮮な映画でした。

 

ラストサムライについて詳しくはこちら↓

https://eiga.com/movie/1491/

 

剣道歴が長かった主人が、

「刀を下ろせぃ」 のセリフについて教えてくれたのが3回目くらいの時。

 

確かに、トム・クルーズが手に取ったのは木刀。

木刀でも、「刀を下ろせぃ」 になるあの名場面。

 

真田広之さんの完璧な打ち合い、茶道のお手並み・・・道・・・道・・・

もうはまりにはまって、すべてにはまって、DVDも買いました。

 

美しいですね。

 

剣道ではファイティングポーズはない、と教えてもらった。

相手から戦う意志を奪う武道。

 

命を取り合う前に、

「やめておこう」

 

相手に思わせるほど、技が出来上がっていなければならず、

恐れに勝った自分を示していなければそもそも立ちあいならず、

 

見合っただけで、

恐れ入りました、となれば、ほっとするのが命と命のしのぎ合い。

 

ファイティングポーズは、俺、勝った! ですから

「刀を下ろせぃ」

 

真田広之さんの表情が動かない・・・カッコイイです。

強い人は戦わせない。

 

参りました。

 

月にも花にも見捨てられ

(過去記事)

 

まさか、まさかの子どもからのうたのプレゼント。

 

義経の句を朗々とうたいあげてくれる。

涙が出ました。

 

「言い切りの快」

俳句も短歌も短柵に、通信内容をいわば情報を漏らさず書き込んでいた、と思えば、

 

日本の「わび さび」の世界が切なく迫ってきます。

お若い方が、すうっと、そういう世界を表現して下さると・・・脱帽です。

 

日本文化はこれからも損なわれずに続いてほしい、と切に思います。

両親の代まで、母は着物で暮らし、父は筆を普段から使っていた。

 

今の私はというと、着物をきこなすスピリッツも足りないうえに筋肉が落ちている。

椅子の生活が多いし、筆など年賀状でせいぜい手に取るか、やめとこうか・・・

 

で、楽へ、楽へ、と流れて暮らしている。

その口が、文化は続いてほしいものだ、と言っている。

 

よし、少しだけ加圧しよう。

できたら、また少し加圧していこう。

 

「粋」 にいきるのは、少し無理することだった。

楽に生きているなあ・・・反省しきりです。

 

~ 月にも花にも見捨てられ ~

 

平家の子らの中、ぽつり一人源氏の遮那王、牛若丸

 

月 いわば天運

花 地における状況  見捨てられたか、わが身。

 

そのあと、源平の戦いまで義経は鞍馬山の天狗の修行を受けますぞ。

月(天運)から詠むところが遮那王である印でもありますね。

 

雨の日はJAZZを聴く

(過去記事)

 

過去記事は長い。

時短の時代、誰も読まないよ、とまた足して長い。

 

**

 

雨です。寒いです。

コタツを昨夜出してもらいました。

 

雨と言えばJAZZ

それに温かい珈琲

 

十分まったりとして用事で外へ出ると

なんと向かいの奥様、半そでTシャツ姿で階段のお掃除

 

私の防寒着姿にギョッとした様子

私も半そで姿に驚いて後ずさりしたが、誰が悪いわけでもない。

 

17℃ほどの短い冬のような季節とほぼ一年中真夏のような所

で生まれ育ち、今日のような気温は私の体感ではもう冬認定。

 

さて、どうする。

秋で体重を落とし基礎免疫力を上げるためにあれこれ想定しているが、

もうコタツを出したし、では様にならない。

 

夕食のあと、歩くぞ、と向かいの奥様の半そでパワーを覚えて

今日も7000歩、確保します。

 

そしてJAZZ

 

 

 

高校生の頃、部活から解放されて自由な時間が持てた束の間

進学先もたいていが決まり、散っていく寂しさもあって、JAZZ喫茶に

たむろしていたことがあった。

 

5人の時もあれば2人の時もあり、

きれいに焼きあがった厚切りトーストと珈琲で250円

暗い室内でランプの明かりやものすごい数のレコードや時計のコレクション

ピアノがあって、トランペットを時折マスターが誰もいない店内で練習して

いたこともあった。

 

正直、いもねえちゃんだった私たち

よく入れてくれたなあ、と今では不思議に思うほど店内の客は大人ばかり

それもたぶんJAZZがわかる人たち?

 

マスターは日野皓正さんを呼んだり、ナベサダさんを呼べたりできる人

なんだと、とわかったふうに話していたけれど、

場違いなところでよくまあ、女子高生数人で250円でたむろしていたもんだ

と、行くことになったきっかけがどうしても思い出せないが、凄く貴重な思い出

です。

 

卒業する前

私服で一人で行ってみた。

かっこつけて行ったのか、これももう覚えていない。

初めてマスターが声をかけてきた。

進学先を聞いてきたのでこたえると、店を出る時、メモを渡してくれた。

進学先の近くにあるJAZZを生演奏で聴けるお店の名前と地図が書かれていた。

 

進学先で学業が落ち着いた7月頃、そのお店に行った。

外人さんばかりで演奏者も日本人が一人もいない。

そもそもぽおーとしたいもねえちゃんが足を踏み入れるような場所ではなく

今度こそほんものの場違いだと自分でもさすがに気が付いた。

 

学生?

とトランペットを吹いていた黒人の青年に声をかけられ

どういう勉強をしているのか、と問われ、

なんちゃって英語でほぼジェースチャーでこたえたら、

「日本語教えて、僕、英語教えるから」

と自己紹介をしてきた。

 

早口の英語にきょとん状態の私に、待っていてよ、と奥から

店のオーナーだろう日本人男性を連れてきて通訳を頼んでニコニコと

話が成立したように満面の笑顔

 

○○さん? 

Mさんからよろしくって電話もらってるよ、とオーナーは

いらっしゃい、珈琲ね、と煎れてくれた。

うちはトーストはないぞ、と、少し恥ずかしかった。

 

 

兵役が終わったら医学部へ進学するんだという、語学勉強のシェア

を申し込んできたJさんと、時間が合えば、オーナーの好意でお店の

隅で勉強をするようになった。

 

トランペットの音やピアノの音が響く店内で書いたり、聞こえない発音を

繰り返したり、

 

 

Jさんはみるみる日本語が上達していった。

私もニュアンスを伝えるジェスチャー力が上がった。

 

オーナーが主催したJAZZコンサートを手伝ったこともあり、

ポスターを貼りに出かけたり、ちょっと有頂天な日々が続いた。

楽しかったが、やがて地獄と呼ばれる実習、実習が続くと当然行けなくなり

そうこうしている間にJさんは帰国してしまった。

 

正月休み、帰省した際にマスターMさんへ珈琲カップのお土産を持って

お店をたずねた。

 

一人用の大人席に案内されて

まるでJAZZがわかるようなポーズだけは上手になっていたので、

かっこつけて座った。

マスターもすっかり誤解してハードルを上げて話し込んできたが、

 

なんだ、まだガキか・・・とものの数分で見抜いて、

まだあそこだな、と笑いながら昔の席へと仕切り直し

 

向かい合って座ると、

Jさん、帰国する前に遊びに来てくれたよ、と

きみのこと、ハーフ(黒人と日本人の間に生まれた子)

だと思っていたようだよ、と

英語が話せないのは可哀そうだと思ってきみに英語を教えたと

話していた、というのだ。

 

動機はそれ? 人の心の中は話してみないとわからないんだな、と驚いた。

住所、預かってるけどどうする? 

というので、もらって帰ったが、英語で手紙を書く能力がなかったことと

学生生活の地獄ぶりに、忙殺されてそのままになってしまった。

 

雨が降る日に聴くといいよ

 

マスターもJさんもオーナーも同じようなことを教えてくれたので、

今でも雨が降るとJAZZを聴きたくなる。

 

 

 

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昨日はぐるぐると子供を探して心配もしたぶん、今日は朝から動けず

 

なじぇに謝らないのだろう。

悟ったのは、親の方でした。

ようやく何かがわかったのです。

この子は若者、20代、人生一番楽しいだろう年代。

 

ーなじぇに、親の了解を得なきゃならないの。ー

 

 

私の20代なんて、親の言うことどころか存在すら脳裏になかったような、

 

 

ーなじぇに、好き嫌いを他人が決めるの。ー

 

 

私なんて、友達に恋に、あれこれ好きなことに夢中だった気がする。

 

 

ー仕事時間以外の私時間は私のものじゃん。ー

 

だよね・・・目からうろこです。

 

 

 

親の私からみたら、IQは幼児と言われれば、いつまでも幼児を保護している

感覚が抜けず、またそれがかわいくいとおしく、何年も続く子育ても気にならず、

 

ところが、今日、ぐったりしている私は幼児を育てる年齢ではありません。

部屋のドアを閉じて自分時間を過ごしている子は、明日の仕事の予定を聞いてきます。

 

お母ちゃんのほうの視点が自分軸でした。

謝って、思い切り人生楽しんで、とハグ・・・許可もらってしたいと思います。

 

***

 

27歳の時、人生に立ち止まったことがあります。

それこそ山に入り、一人座禅を組んで瞑想したこともありました。

 

インドの舞踊家・シャクティさんの

「立ち止まるな、立ち止まったら動け、人生は立ち止まるな、それは死だ」

という、踊ったあとのマイクパフォーマンスにどきっとして、

そのあと、山に入りました。

 

生きるって何?

ふと、人生って何?

と、立ち止まってしまいました。

 

静寂の中で得られるものはなく、職業を変えようと真剣に思ってみたりもしました。父親に決められた職業。毎日が真剣勝負の世界で立ち止まる時間はなかったのが幸いだったのか、長子出産の休暇の隙間時間に立ち止まってしまったのです。

 

夢中で時間を忘れるくらい大好きなことが仕事になり、

話しても話しても足りないくらいいつまでも一緒にいたい人と結婚して、

そんな人生を描いてね、と子供たちには勧めてきましたが、

自分の人生は何にも考えずに、目の前のことを片付け倒す、くらいの勢いできて

急に、ふと、ふと、生きること、を考えてしまいました。

 

今日、子供を見ていて、

折り紙をしたりゆったり過ごしているのをみて、

あまりのありがたさに涙が止まらなくなりました。

 

生きるって、生きていることじゃないか・・・

 

親の傍にいて、親に何かを押し付けられても言葉がうまく伝えられなくて

時にはレジを打つお姉さんの姿にあこがれて、家で電卓打ってみたり

 

限りある中での一生を与えてしまって、ごめんなさい、といじけている母ちゃんを

責めることもわからずとも、

 

ゆったりと自分時間に浸っている。

 

人は誰しも必ず老いやがては死ぬ。

環境や状況が一変する時もある。

 

山を一合登った気がします。

 

立ち止まるな、

でも立ち止まってしまったなら、まずは座ろう。

助けは、求める者には必ず与えられると信じています。