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    2020/07/17

    子育て・教育 - 祈り

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    2020/07/16

    祈り

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    2020/07/13

    子育て・教育

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愛という漢字

愛という漢字

漢字は聖書を知ると、鳥肌ばかりが立ちます。

愛は返ってくると嬉しいですし、

やはり帰ってこない愛を注ぎ続けることができるのは

自分の場合ですと、子供たちでしょうか。

 

夫婦は一対とカウントされていますので、

子離れのできない母親ですが、

こういう時代の暗闇を目の当たりにすると

子どもたちのことをあれこれ心配ばかりしています。

 

親へ心配をかけずに自立していくことが親孝行だと

ずうと思っていましたが、

 

今日は

だいぶ昔に亡くなった父親のことを思い出して

違うかも知れない、とまさかの親側の本音に、ドキッとしました。

 

老人になる前に亡くなってしまった父親ですが、

亡くなる直前までの短い間、

上の子二人の子育てを手伝ってもらった。

 

若いころと違って体力の落ちた今ごろになって、

走り続ける日々が急に休みが多くなって、

当時の親の気持ちに最近ようやく追いついている。

 

孫を山へ海へと男の子だから、と連れて行き

エスカレートしていく鍛えっぷりに

母が、私の許可を取るよう

夜中、そっと話していたのを聞いてしまった。

 

「自分の子どもの時は、お父さん、若かったでしょう。

親子は体力が合うように、神様がそのようにしているのだから」

 

亭主関白の背中が、急にがくっと落ちたのを見てしまった。

 

ある時は、

孫娘のつくる初めてのお弁当作りに

親なら制限がかかるだろうから、

まずは自由にやってみよう、と

こそっと二人だけで買い物に行き

5千円分の食材を買ってあげるはめになり、

小さなお弁当箱に

一切れの卵焼き、一個だけの小さなハンバーグ

いっぱい残った野菜

サラダはほんのひとつまみ

 

今ならメールで写真を共有できるだろうが

当時はあとづけの会話力が

その溺愛ぶりを伝えてくれていた。

 

出来上がったお弁当を持って友達とお出かけした孫娘の

散らかった食材を愛しそうに全部集めて調理して

どれだけあの小さな作品が素晴らしい出来だったか、

お弁当自慢を亡くなる前まで自慢していた。

 

私たちが遠方へ越してしばらくして亡くなったが

寂しすぎたのかもしれない・・・

と、今日は遺影を見て、謝った。

 

完全に巣立つのが当たり前、

と思い始めたのはいつごろからだろう。

私は祖父母を覚えているし、

両親とは違った知恵をたくさんもらったと記憶している。

 

息子が20歳の記念に

バイクで旅をして寝袋だけで眠った武勇伝を写真と共に

見せてくれた時、

いつどこでそんな知恵身につけたの?

とあの時は不思議に思っていたが

 

自分で・・・

違うな

やはりたくさんの愛の添加物をいっぱい君たちは貰っていたんだね。

親は命を守るためにお金を得て来て

ご飯を食べさせて、寝かせる場所を確保して・・・

その日、その日を乗り越えるのに

けっこういっぱいいっぱい

 

友達やおじいちゃん、おばあちゃん、先生、知り合い・・・

いっぱい親の知らない所で恩恵を受けてきたんだと有難い。

 

どういう場所で寝ていいか知ってる?

得意げに聞いていた息子に

木の根元や燃えやすいものがないことや

少し土地がむき出しで緑の上に場所をとらないことなど

など話したら、

少しムッとされた。

じいちゃんとの聖域に踏み込むな、

と思っていたのかもしれない。

 

絵に書いてくれたのを見て

へえ~

と、改めてレクチャーを受けたが

やはり昔の人から受けた野人教育は理にかなっているから凄い。

 

厳しい毎日に自然回帰願望が続いていたが

今日は、何かが方向転換した気がしている。

 

今日も子どもたちが無邪気に傍を駆け回って帰っていく。

4秒見たら犯罪ね、と

言われているので、

頑張れ、と心の中で応援して見ないようにおばちゃんは頑張っている。

田舎暮らしに猛烈に気持ちが揺らぐ瞬間、

 

でもコロナ禍で、

何かが変わったのは確か

 

東京で暮らしていて

東京人が東京を愛さなくて誰が愛する、

と愛郷心のようなものが強くなった。

東京が愛おしい。

 

上京してここでなければ学べないものがある人も多い。

なにより日本の首都ではないか。

 

頑張れ、東京

頑張ろう、東京人

そういう気持ちが日に日に強くなっていく。

 

人々の愛は冷たくなり、と聖書にある。

本物の愛を実践できるのは神のみ。

 

「愛」

という漢字には、三位一体の神の意味がぎゅっと

収められていると思う。

ぶどうの木の枝は低く低く伸びていく。

高ぶるなかれ、

低くなれ、

と天からの声を聞いたような気がしている。

 

あなたの神を愛せよ

神の第一の戒めである。

 

東へ西へ南へ北へ

天から地へ

地の底まで総ざらいして

神の愛には地境がない。

 

どなたも神の被造物

とりなして祈ります。

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153匹の大きな魚

153匹の大きな魚

 

 

神の網にかかった153匹

 

こういう日が来ることをまったく想像できなかった。

個人的には何度か死にそうな目に遭った。

交通事故には二度

病院で徐脈でCCUで、死ぬんだなあ・・・と覚悟した日もあった。

 

個人の状況であって

乗り越えて今日まで生きてきたら

聖書も開く

夢を見る日もある。

何度も、「これは奇跡だ」 と涙した日もある。

 

でも今日のこの状況は

まったく毎日が、想像を超えている。

 

自分はいったい今まで何をしてきたんだろう・・・

 

聖書はことばで編纂されているが、同時に数字が多く出てくる。

ことばは数字であり

数字はことばになり

 

アバウトな表現でことばが語りだすようでも

全部、数字で

聖書は緻密に

初めであり、

終わりであり、

成就であり、

神のパーフェクトな完成をみる。

 

153匹

神の網にかかった大きな魚たち

 

私には誇るものは何もない。

何よりいじけている。

 

子どもたちと離れていること

自分が現場にいないこと

 

家で子供の頃、

神様へ頼み込んだ最初の願いが

今叶ってしまっていることに覚悟が足りないこと

 

「かみさま、おねがい。

わたしは書くおしごとがしたいのです。

だれにもじゃまされないところで

書くことがしたいです」

 

神様は聞いて、ジャストミートで叶え下さっているだけだ。

 

神様なのだから、

時はいちばん理にかなった時にして下さるのだ。

 

恐ろしい・・・

私は自分の愚かさが怖い

覚悟が足りない・・・

 

子どもたちとも会いたいのです。

友達ともお茶したいです。

夜の海辺も歩きたいのです・・・

そんなことが先ほどまで脳裏をかすめていた。

 

それもみなあなたはしてきたではないか。

 

あなたは大きな魚で網にかかったのだ。

自分からかかったのだ。

 

獲ってもらったはいいが、

そのあと、

食べれない魚は食べてもらえない。

 

網を投げるように命じたのは神様

かかったのは自分

 

それだけでも十分ではないか

腐ったものにならなければいいじゃないか。

何を焦っているのか・・・

 

さあ

全身全霊であなたの神を愛せよ

 

わたしが網にかかった時、

網の仲間・一緒にかかった人たちがいるはずだ

 

その人たちへ伝えるだけではなく

 

このような時代に

家に居ながら

誰にも会うことができず・・・

届け、と書ける環境におかれたではないか

 

神の山に備えあり

 

 

とりなして祈ります。

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カラス四羽と鳩のつがい

 

一、二週間前くらいからか、

カラスがつがいで飛んできて

家から見える広場でみみずを取って食べるようになった。

それが今は四羽になり、低空を飛び、上空も舞う。

毎日、来ているので棲家のようになったか、と気になっていた。

 

珈琲を飲む時、

空気を入れ変えるため窓を全開にするよう努めている。

窓越しではなく、

肉眼に芝生の緑や木々の新緑が心地よく迫ってきて

気分を変えてくれる。

私たちがこの家に越してくる前から

「キュシュウーヲシッテルカ、キュウシュウヲシッテルカ」

と鳴く鳩のつがいが、広場の木々の下を棲家としていたようで、

初めて聞いた時、

私には、

九州を知ってるか?

と鳴いているようにしか聞こえず、

 

先ほど

珈琲を持って椅子に座っていつものように鳴き声を聞こうかと思ったら

聞いたことのないドスのきいた鳴き声が・・・

 

「ギゥズーオゥーズッテルガー」

ギュースオヲ・・・

と鳴いている。

「知ってるよ、知ってる」

と驚いて珈琲を置いて芝生の広場を見た。

 

電線に鳩

向こう側の電線にカラス

雄同士の縄張り争いか、そもそも縄張り争いなどするものなのか

何の知識もないので

ただひたすら静かに見ていた。

 

しばらくじっと電線に止まったまま

どちらも動かない。

 

よく見れば

鳩は四方をカラスに囲まれているようにも見える。

 

瞬きしてしまい、慌てて目を凝らすと、

カラスは音もなく急に位置を変えていた。

鳩の背後に止まっていた。

 

鳩はバタバタとうちわをあおぐようなスピードで

私の頭の上を飛びながら遠くへ

 

逃げたほうが縄張りを失うのかな・・・

カラスが二羽から四羽へ増えていったのは確かで、

空を見ればあちらの屋根の上、こちらの屋根の上と

とまるところが日常化してきている。

 

鳩は戻ってくるのだろうか。

九州を知ってるか? ともう一度鳴き声を聞かせてくれるのだろうか。

 

コロナ禍で、

近くの公園を家族で買い物帰りに寄っただけで

犯罪? というような光景に会った。

 

家にいても、

ピンポ~ン

と鳴って、はい、とすぐ答えるのも怖くなることがあった。

 

比較的、安全な場所だと思っていた所に

ピリピリした空気を感じるようになった。

 

 

生きものは強いなあ・・・

 

命を張り合う生き物の緊張感

 

上京するまでは、ほぼ私は野人だった、という自負があるのなら

すぐにとはいかずとも

感覚や嗅覚が自分の家族の縄張りの安全性を

あれくらいの緊張感で守らないとなあ・・・

 

台風や大雨を昔の人は匂いでかぎ分けていた

 

来る、

 

といい、

その言葉が吐かれた後は、

父親や兄弟をしっかりと見上げて指示を聞いていたように思う。

 

カラスの四羽は上空からじわじわと鳩一羽を攻め込むように

円を描くように交差して飛んだりしていたが、

今日はそれに静かに立ち向かったような鳩の雄を見て

 

凄いなあ・・・

 

と生活圏を守る戦いに緊張した。

 

じわじわと日常の匂いが変わっている。

 

鳩は、初めてカラスがすぐ傍に降り立った日、

カラス一羽に警戒はしたものの

そのそばをいつものように地面をつついて自分が端のほうへと移動し

 

毎日飛んでくるようになると、

ある時は木の枝に隠れるようにやり過ごしていた

 

ただ、カラス四羽の動きを見ていると

カラスは頭がいいとは聞いていたけれど、

ワンチームで次々と形勢を変えて攻めてくる様は

ここ数日、とても凄かった。

 

一羽と一羽の静かな戦いから始まった縄張り争い

 

今日の対峙を目の当たりにして、

生きものの共存というのは難しいものだと思いました。

ぶどうの木

ぶどうの木

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。

   (ヨハネ15章5節)

 

子供の頃、ぶどうの木の下で友達と鬼ごっこをした。

小学校へ入学してすぐの頃だったと思う。

友達の伯父さんの家に遊びに行った。

 

 

よその家で遊ぶことはほとんどなかったので、

その時の光景を今でもはっきり覚えている。

 

小さな子供たちが駆け回るのを

温厚なご夫婦は飲み物まで用意して

「おもてなし」してくださった、と覚えている。

汗をいっぱい掻いて、庭先でいただいた飲み物を覚えている。

 

今のように物がいっぱいある時代ではなく

ましてや田舎

遊びにくる子供の集団へ飲み物を用意する習慣はなかった。

 

長じて

仕事でご高齢の婦人を訪ねることになった。

弱っているところなどないように思える程

立ち居振る舞いは上品で穏やかな方だった。

そろそろ帰ろうとすると、

「あなたの本を買いました」

と、棚から出して見せて下さった。

後日、本屋から回収された私の処女作で、自分も数冊しか持っていない。

 

「私はあなたより先に召されると思います。

正直に聞きますね。あなたはクリスチャンですか」

「いえ、まだ」

違います、とではなく

私は、まだ・・・と答えたのだった。

 

ごめんなさい、忘れて下さい、と

お辞儀をされたので、

帰ろうと靴を履いた。

あれ?

「ぶどうの木」

子供の頃、遊んだ家のおばちゃん?

 

そのまま聞いてみた。

そう、そう、あなたは遠慮してひとりだけ

どれだけ声かけても飲み物に手を伸ばさなかったのよ、と。

それであなたのお母さんへ話して、

翌日、お母さんと一緒に来て、

ぶどうの木の下で思い切り一人で遊んでいたのよ。

お母さんと一緒に飲んだ飲み物、覚えている?

あなた、さっき飲んだわよ、と。

 

子どもがいなかったので、

飲み物を躊躇した子供に胸が痛んだという。

(なんて面倒くさい子供だったんだろう・・・)

と、申し訳ない表情をしていると、

本は何度も読ませてもらってますよ、と笑い

「わたしはぶどうの木であなたがたは枝です」

という聖書のことばを教えてくださった。

 

低くのびるぶどうの木の枝

低くしゃがんで苦しんでいる人へ、人へと伸びていく神様の御手

あなたもしゃがむ人なのよ

子どもの時と何も変わっていない。

今日がとても待ち遠しかった、と握手して下さった。

 

車まで見送りに来てくださった養子の方が

母は、コーラーの瓶がきちんと冷蔵庫に用意されているか

何度も確認していたんですよ。

本もちょうどあなたから見える場所に置いて

子供の頃の話をしていました、と

 

十数年後、教会で

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」

というメッセージを聞いた時、

私は泣くだけ泣いた。

 

その方は、その後しばらくして亡くなられた。

もう一度訪ねようとした矢先、養子の方が伝えに来てくださった。

震える文字で書かれた

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」

と、私の子供の頃のニックネーム、ちゃん付けで宛ててあった。

忙しい中、たくさんの方々と一期一会もあるなか、

どん底のしゃがんでしまった時があって、

確かに、

わたしも枝でした、と泣いた。

 

きれいで穏やかで

そんなふうに私も年を重ねられたらと思う。

ご主人と感染症に立ち向かって勝った歴史を持つその方の家は

当時、まだ感染症の記憶に怯える老人の間では

子どもが遊びに行ってはいけない家だったのだという。

出された飲み物のうしろに見えたたくさんの小瓶

 

母は翌日、すぐに謝りに行ったのだという。

この子は、よその家で遊んだことがない子で、

もう一度遊ばせていいですか、と頼んだという。

母親がいる強みからぶどうの木の下で思いきり遊んだから

葉の影やぶどうの実が顔に触れた重さや

木の根に転びそうになったこと、

匂いはコーラーの匂いのほうを覚えていて

コーラーの匂いを嗅ぐと、今でもぶどうの木を思い出す。

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