月別:2023年11月
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それぞれの神

御獄(ウタキ)のことをヤマともいい、ヤマを抱き守る女を神司(カンツカサ)ともいう。口伝(くちうつし)で新米神女を誕生させる儀式を、ある地域では獄抱(ヤマダキ)とよんでいる。

 物語は、明治28年、主人公絹江と夫の耕三が絹江の故郷へ帰省するところからはじまる。

 ひと月に一度、沖合に停泊する汽船が唯一の交通手段、点在する離島のひとつ、小島が絹江の故郷であった。ところが台風でそのひと月の交通手段、戻るはずの汽船が来ず、島でもうひと月を過ごすことになった若い夫婦へ次々と試練が襲いかかる。

 干ばつがひどく農作物は育たず、食べるものがない。雨がほしい。雨を乞う人々。それを神へととりなす祈りをする島の最高神女が亡くなってしまう。御獄が空くことを神は忌み嫌うという。すぐにも血統祭司の引継ぎへの準備が始まるなか、絹江の名前も候補者の中にあった。

 絹江は神に選ばれた女だという。

 同胞の過酷な実情を知った絹江に、妻の身重を知った医者である耕三に、逃れるのか、捉えられるのか、それとも歩み出でるのか。

 それぞれの神が、二人に、島の人々に、生きること、生き抜くことを問いかけていく歴史小説。

 

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生きている間に人はどれだけの景色を見るだろうか。

行って見たい国や見たい景色はまだまだ多い。

 

器用ではなかったので、その日、その日の暮らしがやっと。

景色を楽しむ、立ち止まって味わうというのは、子育てや仕事を退いた今ならではのこと。

体力勝負という条件付きの特権、神様からのご褒美、案外短い貴重な時間なのかもしれない。

 

***

 

この浜を何度歩いただろう。

どれだけの人と歩いただろう。

 

そんなことを思いながらあまりの癒しに写真を撮った。

でも思い出してみたら、子供と遊びで訪れたこともなければ、誰かと話し込むために歩いた記憶もない。

 

車中や喫茶店や自分の家のなんちゃってカフェルームや、話し込んだ場所はおおかたそんな所。

 

風情とはほど遠いバタバタとしたこれまでの生活を

コロナ禍が方向転換させたのかもしれない。

 

人と簡単に会えなくなって子供と二人早朝散歩をはじめた。

波に足が濡れる、ちょっと寒い、でも大丈夫、島ぞうりを履いていると気分だけなんとなく大丈夫、そう励ましあいながら二人でペタペタと透き通るような波の上を歩いた。

 

南の島は朝日が昇るのが遅い。

薄暗い時間に家を出るのは初めは怖かったが、慣れてくると、昇り始めた太陽の日差しの強さに、もう少し早く出よう、と毎回思わされた。

 

岩場に人影があった日には、ドキッとしたが、相手もどきっと警戒している。

誰もいない、鷲やカラスや魚の群れ、波の音、そんな空間に、

朗々と本を読み上げている人の姿。

 

邪魔にならないようコースを変えて

家に戻って珈琲タイム。

 

声の主は太宰治を読んでいた。

青森県出身の作家さんの脳が、時代を超え、空間を超えて、南の島の早朝の浜辺で読み上げられている。

 

人は生きている間にどれだけの風景に出会うだろうか。

止まったような時間がようやく動き出した。

ありがたい。

 

懐かしい人と会える場所

空き家を掃除しながら8か月滞在し、もうすぐ東京へ戻ろうかという一週間前、

夜10時にピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。

夜9時に寝て朝5時に起きる田舎のポツンと一軒家暮らしの気分の女子二人、

10時はもう深夜。

***

恐る恐るカメラを見たら、金のネックレスの強面のお兄さんが立っている。

「どちら様ですか」

反応したほうがいい、ととっさの判断で返すと、名前を名乗る。

聞きづらい。

困っていると、「○○ちゃん、○○」

ちゃん付で呼ぶ人は限られている。

すぐに玄関ドアを開けると懐かしい小学生以来のいとこの姿。

大人になって数回法事などで会ったことはあるものの、対面はほぼ小学校以来。

***

「夜の10時だよ」

「もしかして寝てた?」

「そうさあ、朝、5時起きしてるから」

「畑?」

「ええ? かっこいい、あこがれること刺激しないで」

「僕、5時に畑だよ」

「えっ? うそ、マジか」

***

本当の深夜12時半ごろまで、泣いて笑って話が止まらない。

ハンディのある娘が、「帰らんでえ」と一度で情が深まってしまった。

退職後に珈琲農園をするために来島していること、仕事のこれまで、親や姉妹のこと、止まらない、話の機微が合うこと、合うこと。

兄弟姉妹のようなズカズカ言いすぎるなあ、というところもなく、友人よりも濃いDNAの細かい記憶、あの時のあのシーン、止まらないシェアの数々。

***

翌日も暇な私たち親子を農園予定地に案内し、食事に連れて行ってくれた。

その翌日は、目の前でステーキを焼いてくれるお店で、うちの子はすっかりいとこのファンになっていた。

「癒される~」

と喜んで手を繋いでくれるおじちゃんの手をしっかり握るいまどき女子。

帰り、農園予定地から見上げた夜空はあまりにもきれい。

海を見下ろす丘は夜のとばりに星が花火の終わりのように降ってくるかのような火の粉の点在に見える。ほんのりと色がついているような星が美しかった。

***

そうかあ、もう帰るんか・・・

途中、長いな、と思った日もあったけれど、あっという間に一週間が過ぎてタイムスリップしたようにここに座っている。

***

朝日を見たくて、という。

ここからの朝日?

なんて凄いこと、どうやって思いついたの?

いいと思わない? 朝日を見ながら珈琲を淹れて飲むと最高だなあと思って

それはそうです。私のブログ、「珈琲タイム」ってつけてるんだよ。

「珈琲好きなの?」

DNAかあ

DNAだねえ

いいよねえ、最高だよねえ

***

珈琲はもう全部植えたよ、とメールがあった。

ペンより重いものもったことがないよ~、と足がデコボコ荒れ地に慣れない、痛い~、腰が痛い~

「イノシシと戦える? 出るかもよ」

「死んだふりする」

許してくれないよお

・・・

「それより夜誰も通らないし真っ暗だし、一人で寝るの怖いかも」

ええ~、ぽつんと一軒家のスピリッツないやん

ないよ

ええ~

そんなこんな小学生のノリで冗談ばっかりいって置いてきてしまった弟分

大好きだったおばちゃんを思い出しながら、珈琲農園、訪れる日を楽しみにしている。

 

 

 

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冬の寒さです

今日は冬の寒さ。

ダウンジャケットを着ている私の傍を白いシャツの男性が通っていきました。

ヒートテック、さらにはホッカイロをふくらはぎに貼って、仙骨のあたりにも貼って、その上にセーター、ダウンジャケットを羽織って、冬に対して気負い過ぎている自分が少し恥ずかしかったです。

昨年の今ごろは南の島に長期滞在中で、それでもホッカイロを貼っていました。

さすがに箱ごとは売っておらず、バラ売りのホッカイロをレジで不思議そうに見られながらも買っていたのを思い出します。

よいですか、静脈には熱がないんです。手伝っているんです、と

ナーバスを笑う友人には何度も弁解をし、またここでも書いています。

***

たぶん寒さに強いDNAが自分にはないような気がしています。

冷気に徐々に慣れさせてくれていた秋の優しい空気が恋しいです。

秋が短すぎます。