金の成る木と信じて送金頼む オペ室編2

金の成る木と信じて送金頼む オペ室編2

 

 

卒業祝いで行ったちゃんこ鍋のお店で、一言挨拶をとお箸のマイクを渡されたので、お父さん、お母さん、これまで仕送りありがとうございました。

もう仕送りは大丈夫です。

 

かっこいい挨拶までしたため、もちろん3月以降仕送りはなく、

家賃・光熱費・食費・諸々・・・

 

金がない。

 

始発のバスが6時だったので、新人のオペ準備の時間配分を考えると、7時着はアウト。早朝5時に家を出て病院まで歩いていたので、交通費はいらない。

家賃は家主さんに相談、でも何かと心細いおこちゃま貯金では厳しい毎日。

 

入職したその日にお給料ってもらえるものじゃないんだ・・・

呟いた新人に派閥の各ボスから食事をおごってあげる、のお誘いが。

歩いて帰るので、外食は、とひたすらストイック気分で潜り抜ける誘惑な毎日。

それに追い打ちをかけたのが、師長の、

「ええ、なに、この子、知らなかったの? ちゃんとお金が満額でもらえるのは5月25日、だって一か月働いて計算されるのよ。何、何なの、もしかして仕送り大丈夫って言ってしまった?」 という大きな声。

 

うなだれて頷く私に代わって、命かかってんだから、と電報を打ってくれることになった。

文面、ほら、考えて、

休憩室の全員が早く、とせかす。

 

「金の成る木と信じて送金頼む」

 

全員に爆笑されてしまった。

 

数日後、休憩室にお届け物

 

私宛のこれも今では考えられないのですが、職場に、蛸や烏賊の父が燻製した自慢の品や母の自慢の品々が入った箱が届けられ、皆様へ、とあった。

 

巻物もあるよ、と候系は任せて、と眼科のドクターがぱらーと広げたら、長い本当に巻物。

 

貴方を金の成る木と信じて、金銭、20万円を送らせていただき候

達筆な毛筆で、半分まで、貴方、貴方、貴方

 

そして半分からはお世話になっている皆皆様へのお礼状だった。

こちらに旅行に来た際には観光案内もします、家へ泊っても大丈夫なことなど、エスカレートしていく巻物は生き生きとした声で最後まで読み上げられた。

 

見せて、見せて、巻物初めて見た

 

烏賊の燻製、美味しそう。

 

その日は金曜日、

 

外飲みももちろんだがお酒をほとんど口にしない外科医たち、誰かがビールを買いに行った。今日は特別な、と皿を並べる人。椅子をテーブルを囲むようにセットしていく人。

普段の疲れを癒す静かな語り合う時間が生まれた。

慣れない人との距離感も心持ち近づき派閥も形がなくなったような、ちょっとサプライズな嬉しい日になった。

静かに飲んで食す、大人な集団、かっこいい人たちだなあ・・・

新人は職場というものが急に愛おしくなったのであります。

 

 

好きに生きたらええねん オペ室編1

好きに生きたらええねん オペ室編1

 

親に強いられた職業とはいえ、ぐちゃぐちゃいう間もなく鍛えられ、一斉に仲間たちが飛び立つのに混じって新卒として総合病院のオペ室に放たれた。

 

開院に向けて準備が進められ、全国からUターンしたベテラン達が、おのおの流儀を持ってバチバチするなか、気の小さいオドオド系の新人は、派閥の緩衝材的な立ち位置に。

 

一人で器械出しができるようになり、デビュー戦でいきなり、天才外科医にぼこぼこにされた。

 

「これじゃない」

止血鉗子を投げ返される、洗浄用のスポイトも投げ返される。生理食塩水の入りが十分ではない、と一度手を止めて指導にきたが、震える手で試みる新人に、

 

「おまえ、メガネはどこのメガネ使ってる?」

「はい、○○メガネです」

「××メガネに変えろ」

 

スポイトの7分目くらいが続いた頃、さすがに本当にキレたようで、

「おまえの顔、どこ?」

「???」

出身を聞いている、と麻酔科医の天の使いのような声

「○○です」

「××に変えてこい」

 

そんなこんなでぼろぼろな状態で、緊張感の限界の糸も切れたのかもしれない。

使い終えた器具を大泣きしながら、水をじゃーじゃー流しながら洗っていたら

 

「Aちゃん、気にするな。あんなやくざのいうことなんか。初日に仕方ないだろう。サポートも立っていて支障ないんだから、あのやくざ、育てようという気持ちがまったくないからさ」

 

検体を顕微鏡に置く作業をしながら、やくざ天才外科医の子分のB先生が励ましてきた。

 

あれこれあれこれ、自分のストレスものっけて水に負けない大きな声で背中越しに喋りは止まらない。

 

水を止めた。

振り返って、

「ぺーぺーがぺーぺーを励ますな。今、オペの流れを復習しているのに、邪魔するな」

鼻水も涙もぐちゃぐちゃで、両手ぐーで、気づいたら緊張の糸は完全に切れていた。

 

「何、なに、このやろ、おまえがかわいそうだから、師長、師長、このバカ、師長、聞いたあ? こいつ」

 

きつい派閥間のせめぎあいを工夫して、工夫して、スタッフ配置に悪戦苦闘している師長は、すぐに駆け寄ってきて、

 

「偉い、偉い、よく頑張った。あれはやくざだからね、ほんとう、B先生のいうとうり、怒られたこと記憶しなくていいよ。大丈夫だから」

 とハグして頭も撫でてくれた。

今では信じられない光景かもしれませんが、本当です。

 

「ちがうってば、コイツ、おれのこと、ぺーぺーって、ぺーぺーって、信じられる? ぺーぺーって、このやろう」

「そうさあ、ぺーぺーさあ、二人とも。はい、頑張ろうね。仲間、チーム、最高のチームめざそうね」

師長は三人の手を重ねて、よし、と気合を入れて、自分の仕事に戻っていった。

 

 しばらくオペ室編でいきます

 

 

GWが終わりました

 どうしてGWは疲れてしまうのでしょうか。

先月の「緩和ケア病棟」の南国行脚の疲れが取れないままGW、ブログに記事も載せずに、日が過ぎていくばかり、訪問くださった皆様、すみませんでした。

 

行脚の一つに

40年ぶりに会ういとこ会がありました。

 

朝の10時から夕方の6時まで喋り倒しました。

疲れが取れない、と呟く前に、こういうバランスの悪さを自省せねば、と今頃思います。

 

細かいところの笑いのつぼ、もうアカンですね。

戻ってからも思い出しては時も場所も関係なく襲ってくる笑いに死にそうです。

 

懐かしの同級生にもツボらされてしまい、これも時、場所、関係なく襲ってきて、結構キツイです。

 

いつも低刺激の私の東京ライフ

南国から戻ると、時差ボケのような状態で、刺激的過ぎた興奮をなだめる時間が必要で、ぼけーと珈琲タイムを買い物途中に取るようにしています。

 

そうこうしている間に、さらに南へ車も運んで長期滞在予定の来月の日がカレンダーに見えてきました。

暑さ、空き家の掃除、庭に棲みつく生き物との戦い、想像するだけでテンションだだ下がりです。

 

前回、8か月滞在した時には、たくさんの出会いがありました。

それを思い出せば、元気も出てくるはず、

 

誰だかわからないほど真っ黒になってしまうのも想定ずみ

 

先月のお礼状もまだ書けずに失礼している方々へは、もしかしたら皆様よりもっと南の方から送らせてもらうことになりそうで恐縮です。

 

ゆるーく生きていきたいのに、

またあの巨大カエルかあ・・・イグアナもいるんだって、木の上に・・・

 

 

オリブ山病院を訪ねて

  • 出版

 

特定医療法人葦の会 オリブ山病院は沖縄県那覇市首里にあります。

理事長先生、統括看護部長、当時から勤務されておられるドクター、室長、チャプレン、懐かしい方々とお会いすることができました。

 

拙著「緩和ケア病棟」は、フィクション、小説ではありますが、病院・病棟の舞台として書かせていただいた経緯もあり、病院名をあとがきに記載してもよいでしょうか、という許可を頂くため今回訪問致しました。

 

タイトルがマニュアル的な書物と間違われやすいというのもあり、説明をさせていただきました。

 

病院創設者・田頭政佐前理事長先生の功績を紹介したいと長年思っていたことを伝え、本のあとがきに書くこともありがたいことに心よく了解して頂きました。

 

緩和ケア病棟を案内していただきましたが、当時からおられた先生、案内して下さっている統括看護部長、外勤前に会いに来て下さった室長、チャプレン、誰も加齢されておらず、当時のままでした。

 

正直、鳥肌がずうと立ったままで、ここは異次元世界か、タイムスリップしているの私? と一人だけバッチリ加齢が目立ちすぎた私は、東京へ戻った今も少し妙なままです。

 

やはり特別な場所でした。

温かい歓迎に心から感謝申し上げます。

現理事長先生からサイン入りのご著書を数冊頂きました。

謙虚で優しいお人柄の先生を前に、調子に乗りやすい私は、マシンガントークで若干用意した笑わそうとたくらんだネタも隙間をみては確実にしゃべり倒してきました。

あとは出入り禁止にならないことを祈るばかりです。

 

天に帰る時が来たら、ここへ運んできて、と遺言状を用意しておかなきゃと帰り道、本気で手帳に書き込んでいました。

天国の入り口、それとも真下、神様に愛されているオリブ山病院を改めて体感し、不思議な感覚が今も続いています。

父の命を忠実に果たしたイエス様の誠実さが重なって鳥肌がやまなかった田頭真一現理事長先生のご著書を紹介させていただきます。

下記の2冊以外にも多数のご著書を出版されておられます。

「わたしを見たものは父をみた」

何故だかそのみことばが頭から離れなくなりました。

小さなことにも誠実だったから大きなことをあなたに任せよう、神様のみことばは今も生きておられ、私たちに力を下さいます。

父子2代、どれだけ多くの方々が救われ、そして救われ続けていることでしょう。

私も癒された者の一人です。

恩返し、恩送り、書くことで少しづつでもそう思っています。

 

 

 

 

死という人生の贈り物 田頭真一

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全人医療とスピリチュアルケア 田頭真一

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