母の命日

認知症になってどこへ連れていかれるかも定かではなかっただろうに

母は、終の棲家を東京の我が家に決めてくれた。

 

私を厨房のおじさんと間違えて、「おじさん、おじさん、大将はいる?」

と、いつも主人を探していた。

 

心臓マッサージで肋骨骨折があり、体の向きを変えるのも大変だったが

うちの大将は力持ちで、誰よりも繊細に体を支えてくれるので、本能的に

いつも探していたのだと思い出す。

 

教え子がくれた灯りをともして花をかざり、大好きだったカステラを供える。

 

年末の慌ただしい中、

狭い室内で通夜をし、年明けて郷里まで移動、皆が待つ家で葬儀をした。

 

いざという時、痛みを乗り越えきれない時は慢性疼痛を処すよう、主治医になって下さった先生は麻薬管理の資格を取って下さったが

なんと、カロナールを二度使用しただけで天国へ帰っていった。

 

係わって下さったチームの力が凄かったことももちろんだが、

今静かに思い出せば、大将はそうとう凄い。

肋骨が刺さらないように、痛みを起こさせなかったということになる。

今頃、私は大将に、ありがとう、と心の中で泣いてお礼をしている。

 

嫁さんの母親のおむつ替えだけでも凄いことなのに

車いすに下ろしたり、散歩させたり

多忙の中、黙々とやってくれていたが、痛みを起こさせないというのは

やはり今思い出しても凄いこと。

 

「大将はいる? 」

私だけ、と指さして教えると、もぞもぞと顔を横へ向けて悩んでいる様子

もバレているのに、大将を探していた。

 

私の介助では、イマイチだったのだろう。

 

大将に、親指を伸ばして、偉い! を伝え、

大きなはっきりとした声で、「真面目、真面目」 と褒めていた。

 

亡くなる直前まで、ありがとう、ありがとう、と吐く息の合間に伝えようとし、

私たちは母から

「死ぬこと」 を肌で教わった。

 

こちらこそお母さんありがとうございました。

母は、子育て中、一度も子供を叱ったことがなかった。

生涯、孫も含めて、声をあげたことがなかった。

 

私が多忙を極めた頃

娘は祖母の後姿をよく見ていたのだとこれも今頃気づく

娘の生きるモデルは仕事で家にいない母親ではなく祖母の立ち居振る舞い

 

おかげで私とはまるで違う所作をする子に育ち

品がいい、とよく褒めていただくのも、

やはりお母さんのおかげでした、

と、これも写真に手を合わせてお礼をした。

 

私の生き方が不器用で、たくさんの方々のフオローで子供たちは育ったが

東京まで婿殿におんぶされて運ばれてくるのを拒まず身をゆだねた

母の生き方、愛の示し方をこれからも見習いたい。

 

婿殿を称賛する。

 

あげまん遺伝子、娘に隔世遺伝で全部いったと思っていたが

不器用な娘のフオローを仕上げに来てくれたと気づいたら涙が止まらない。

大将の良い所、お母さんのおかげでたくさん知りました。

 

子供たちのいいところももう一度再確認できました。

私もお母さんのように生き切って、感謝して

ありがとう、ありがとう、と最後は天国へ帰れるよう頑張ります。

 

深い愛を

お母さん、ありがとう。

 

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